Vol.91 ブルトマンの2つの論文とロビンソン著『神への誠実』


 『ブルトマン著作集14』神学論文集4(新教出版社)に収録されている論文の内、昨日、「神への信仰はもうおしまいか」と「神観念と現代人」を読んだ。
 どちらの論文も冒頭にジョン・A・T・ロビンソン司教の著書『神への誠実』が引き合いに出されている。ぜひとも読んでみたいと思い、調べてみたら、ロビンソン著『神への誠実』の翻訳本が小田垣雅也の訳で、日本キリスト教団出版局から出ている。だが、書店の店頭はおろか、愛知県下のいずれの図書館にも蔵書として無いことが分かって、はなはだ残念だ。書店の店頭に並んでいないのは、諸々の事情から致し方ない。けれども、どれだけ立派な図書館を建てたとしても、借りたい本が無ければ、何の意味があろうか。
 話を戻そう。
 2つの論文を読んで、宗教と人間に対する考え方が大変勉強になった。たとえば、「神の変様」について。いずれにせよ、ブルトマンにはいつも感心させられ、教えられる。
 

 『神への信仰はもうおしまいか』について。
 文末に「此岸から彼岸への逃避はありえない。神に出会うのは此岸においてなのである。この逆説を理解することこそ、唯一の重要なことである」と記されており、僕は思わず深く頷いた。
 

 『神観念と現代人』について。
 「無神論は虚無主義である(中略)。自然科学の無神論は、それが世界を客体化的観察方法で処理してゆくという点においては、一つの方法的な操作である。この方法はどうしても神を無視するほかない。神とか超感覚的なものとかは、客体視の対象ではありえないからである」。
 「『宗教心はとどのつまり孤独のあらわれである』。世界は彼岸との結びつきから解放されたが、そこにいる人間に重くのしかかっている問題は、自己自身を見出し、自己自身の在りかたを確かなものにすることである。超越との関係を失ったために、人間の自己自身についての知の確かさも失われてしまった(後略)」。

 上の文章に関して、丁寧な注釈があり、それも引用しておく。

 「人間は万事に対処できるが、自分のことばかりはどうにもならぬ。人間は一切に対して身を守れるが、人間が相手だとだめである。ぎりぎりのところ人間が問題だからである。」

Vol.90 ブルトマン著「古代ギリシアならびにキリスト教における楽観主義と悲観主義」を読んで


 前回の更新(Vol.89)からの続きで、『ブルトマン著作集14』神学論文集4(新教出版社)に収録されている論文の内、過日に読んだ「古代ギリシアならびにキリスト教における楽観主義と悲観主義」について。
 

 古代ギリシアの詩歌に見られる悲観主義(の調子)についてはホメロスの『イーリアス』などを例に挙げて、また、プラトンやストアの世界観を分かりやすく取り上げたりと、ブルトマンの知識に僕は感心しきり。
 さらに人間について論じた箇所には、今回も深く教えられた。

 「人間(すなわち彼の本来の自我)は異邦人としてある。この人間を、ぞっとするような孤独感、恐ろしい不安を襲うことがある(104ページ)」。
 「この世における人間の存在は時間的なものであり(117ページ)」。

 『コリント人への第一の手紙』第七章三一節「この世の有様は過ぎ去るからである」とあるように、もはや楽観か悲観か、それは問題ではなくて、「人は過ぎ去って行く時間にしばられたままでいるか(117ページ)」、それとも新しい者となるか、ということである。『コリント人への第二の手紙』第五章一七節「だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである」。

Vol.89 『ブルトマン著作集14』神学論文集4(新教出版社)を読んで


 『著作集14』(神学論文集4)に収録されている論文の内、過日(23日と24日)に「共観福音書の研究」、「教育とキリスト教信仰」、「古代ギリシアならびにキリスト教における楽観主義と悲観主義」を読んだ。それらについて、備忘録として、少しばかり記しておきたい。
 

 「共観福音書の研究」は同じ『著作集』の第1、2巻と内容が重なり、訳者あとがきにも「いわば縮刷普及版」と記されていたことから、並行して読んだ。マルコ、マタイ、ルカの三書のうち、現時点で、僕はまだマルコには目を通していない。三書の成り立ちがよく分かった。
 「教育とキリスト教信仰」について、キリスト教的な教授のたった一つの方法は愛(人間愛)である、という結論もさることながら、僕自身は「人間は問いそのものである」という考え方に共感した。これについては次に読んだ「古代ギリシアならびにキリスト教における楽観主義と悲観主義」とも関係するのだが、それについて書くと長くなることから、次回の更新で。

Vol.88 続 ZARA 2018年度セール


 3週間ぶりにZARAの話題。
 今朝はイオンモールナゴヤドーム前にあるZARAへ行き、下の写真にあるピンストライプ柄スーツブレザーを購入(参照)。
 

 以前にこうしたピンストライプ柄スーツブレザーを目にしていたのですが、諸々の理由から、欲しいけれど買えませんでした。
 今回はセール品ということもあり、即決。
 

Vol.87 『哀歌』(エレミヤの哀歌)を読んで


 『哀歌』の作者はエレミヤだとばかり思っていたら、どうやら違うという説もあるようで。だとしたら、いったい誰なのか。
 『聖書』は分からないことが多すぎて、だから嫌じゃないのだ。
 内容は5つの歌から成るエルサレム崩壊を嘆く。

 三章
 二五 主はおのれを待ち望む者と、おのれを尋ね求める者にむかって恵みふかい。
 二六 主の救を静かに待ち望むことは、良いことである。
 二七 人が若い時にくびきを負うことは、良いことである。
 二八 主がこれを負わせられるとき、ひとりすわって黙しているがよい。
 二九 口をちりにつけよ、あるいはなお望みがあるであろう。

 上に引いた箇所が僕の心に残った。
 

 以下は余談。
 昨日(24日)は江南市にある村久野会館へ行き、すいとぴあ江南が主催する円空仏木彫教室の特別講座である長谷川公茂先生の講演を聴いた後、隣接する音楽寺の円空仏に会ってきました。
 

Vol.86 続『ブルトマン著作集5』新約聖書神学3(新教出版社)を読んで


 前回の更新(Vol.85)からの続きで、『ブルトマン著作集5』の第五七章「神論と宇宙論」と第五八章「キリスト論と救済論」を読んだ感想を記したい。どちらも大変勉強になったから。
 第五七章「神論と宇宙論」について、キリスト教と『聖書』において宇宙はいかに考えられているのかを知ることができた。
 ブルトマンは『コロサイ人への手紙』の第一章一五~二〇を具体例として取り上げていた。

 第一章
 一五 御子は、見えない神のかたちであって、すべての造られたものに先だって生れたかたである。
 一六 万物は、天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、位も主権も、支配も権威も、みな御子にあって造られたからである。これらいっさいのものは、御子によって造られ、御子のために造られたのである。
 一七 彼は万物よりも先にあり、万物は彼にあって成り立っている。
 一八 そして自らは、そのからだなる教会のかしらである。彼は初めの者であり、死人の中から最初に生れたかたである。それは、ご自身がすべてのことにおいて第一の者となるためである。
 一九 神は、御旨によって、御子のうちにすべての満ちみちた徳を宿らせ、
 二〇 そして、その十字架の血によって平和をつくり、万物、すなわち、地にあるもの、天にあるものを、ことごとく、彼によってご自分と和解させて下さったのである。

 ブルトマンの言葉を僕なりに理解すれば、以下のようになる。
 上に引いた第一章一五~二〇には、キリストの宇宙的位置が記述されており、宇宙的諸力はそこに起源と存在の根拠を持つ。宇宙全体の構造がキリストの身体と理解され、その頭がキリストである。キリストの身体が教会であるならば、教会は目に見える教会を超えた宇宙的存在であって、宇宙を有機的建造物として把握する。
 

 第五八章「キリスト論と救済論」は個々の書(手紙)に沿った具体的な内容になっている。『新約聖書』の中から取り上げられていた内、『ペテロの第一の手紙』、『ペテロの第二の手紙』、「牧会書簡」と称される『テモテへの第一の手紙』と『テモテへの第二の手紙』と『テトスへの手紙』、『ユダの手紙』について、僕は理解を深めることができた。
 たとえば、『ペテロの第二の手紙』について、手紙の目的はキリストの再臨への疑いと戦い(1章16、3章4、3章12)、目前に迫った審判の真剣さと、純潔な生活を過ごすことへの責任を教え込むことにある、というのがブルトマンを読んだ僕の理解である。

Vol.85 『ブルトマン著作集5』新約聖書神学3(新教出版社)を読んで


 久しぶりに『ブルトマン著作集』を手に取った。いつもながら内容はとても難しいけれど、それでもぐいぐいと力強く引っ張られて、実に面白く読んだ。1980年に出版された本だから、既に38年の歳月が過ぎているけれども、言葉というのは時間を超越するものなのだ、と改めて実感した(願わくば、僕の言葉もそうであってほしい)。
 前置きはこのくらいにして、本論へ。
 『ブルトマン著作集』第5巻(新約聖書神学3)の内容は「第三巻 古教会への発展」となっている。もう少し詳しく書くと、第五三章から第五九章までと、付論として「方法論と学術史」、訳者による「聖句索引」が加えられている。
 下の写真は目次です。
 



 「聖句索引」については、訳者の言葉を引用すれば、「本書(新約聖書神学1~3)は系統的・組織的に分類された聖書注解書のようなものなので、索引による逆引きは大変有用ではないかと思います」とあり、その言葉通りに参考になった。
 下の写真がそれで、僕の場合はブルトマンが『旧約聖書』のいかなる箇所に興味を示していたかを知ることができて、大変満足した。
 

 本書(『著作集』第5巻)において、僕が目を通した箇所は第一部第五三章第三節から第三部第五九章第三節までで、とりわけ第五七章「神論と宇宙論」と第五八章「キリスト論と救済論」を興味深く読んだ。それらについて、次回の更新で触れてみたい。

Vol.84 『エステル記』第一~一〇章を読んで


 『エステル記』に関しては、その内容について、特に(具体的に)心に留めておきたい、といった箇所はなかった。なるほどタイミングというのは、とても大切である。
 『ルツ記』と同じく、聡明な女性が主人公で、悪者のハマンは一喜一憂したり、陰謀が失敗して、処刑されたりするが、登場人物の中で、最も人間的らしく描かれていたように感じた。
 

 しかしながら、『エステル記』は別の意味において、僕の心に残った。
 各教会ではいろんな集会が行われているが、その一つに「聖書通読の会」があり、過日(19日)、参加した。つまり、いつも、というか、これまでは独りで『聖書』を読んでいたが(主日礼拝は別として)、初めて他の人と一緒に読んだのだ。
 下の写真が集会となった場所(部屋)です。
 

 僕は聖書通読の会に参加して、『エステル記』を朗読しながら、『マタイによる福音書』第一八章二一節「ふたりまたは三人が、わたしの名によって集まっている所には、わたしもその中にいるのである」の言葉を思い出していた。

Vol.83 『マタイによる福音書』第一七~二八章を読んで


 前回の更新(Vol.82)からの続きで、『マタイによる福音書』を読んだことに対する結論は既に書きました。
 以下に引いたのは僕が共感した箇所で、『ヨハネ』と『ルカ』に重複する箇所は省いてあります。

 一九章
 一二 というのは、母の胎内から独身者に生れついているものがあり、また他から独身者にされたものもあり、また天国のために、みずから進んで独身者となったものもある。この言葉を受けられる者は、受けいれるがよい」。

 僕は独身で、そのことを心中で申し訳ない、と思っていることから、上に引いたようなフレーズにはめっぽう弱いのだ。前々回の更新(Vol.81)でも書いたけれど、こればかりは相手のあることであり、自分の力ではどうにもならない。
 

 二八章
 九 すると、イエスは彼らに出会って、「平安あれ」と言われたので、彼らは近寄りイエスのみ足をいだいて拝した。

 いつも不思議に思うのだが、口語訳と新共同訳では、どうしてこんなにも違うのだろうか、と。
 上に挙げた二八章九の口語訳では「『平安あれ』と言われた」とあり、新共同訳では「『おはよう』と言われた」とある。
 僕が口語訳を好きなのは、こういう些細な違いにある。「おはよう」ならば、平凡な挨拶だが、「平安あれ」は、いかにもイエスの声を聞いたという気がする。

Vol.82 『マタイによる福音書』第一~一六章を読んで


 過日(16日)、『マタイによる福音書』を午前と午後の2回に分けて読みました。
 前回の更新(Vol.81)に関連して、『ヨハネ』『ルカ』『マタイ』といった不規則な順番で読むのも、僕らしいかな、と。
 少し気が早いですが、いつか『マルコ』を読み終えたら、すぐさまブルトマン著作集『共観福音書伝承史』(新教出版社)を読みたいです。むしろ、『共観福音書伝承史』を読みたいがために、といっても過言ではありません。
 以下に引いたのは僕が共感した箇所で、『ヨハネ』と『ルカ』に重複する箇所は省いてあります。

 五章
 一二 喜び、よろこべ、天においてあなたがたの受ける報いは大きい。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。
 六章
 二二 目はからだのあかりである。だから、あなたの目が澄んでおれば、全身も明るいだろう。
 二三 しかし、あなたの目が悪ければ、全身も暗いだろう。だから、もしあなたの内なる光が暗ければ、その暗さは、どんなであろう。
 三四 だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。
 一〇章
 四二 わたしの弟子であるという名のゆえに、この小さい者のひとりに冷たい水一杯でも飲ませてくれる者は、よく言っておくが、決してその報いからもれることはない」。
 一一章
 二八 すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。
 一四章
 二九 イエスは、「おいでなさい」と言われたので、ペテロは舟からおり、水の上を歩いてイエスのところへ行った。
 一六章
 一九 わたしは、あなたに天国のかぎを授けよう。そして、あなたが地上でつなぐことは、天でもつながれ、あなたが地上で解くことは天でも解かれるであろう」。

 六章三四「思い悩むな」と一一章二八「わたしのもとに来なさい」はクリスチャンに限らず、多くの人たちの心を打つ言葉であろう。
 一四章二九について、口語訳では「イエスは、『おいでなさい』と言われた」となっており、新共同訳では「イエスが『来なさい』と言われた」となっている。原語で「おいでなさい」「来なさい」は、何と書かれているのかを知らないし、どちらの訳でも構わないのだが、僕がイエスから言われたい言葉があるとすれば、この一言に尽きる。
 『マタイによる福音書』を読むと、イエスの呼ぶ声が聞こえる。
 

Vol.81 『テサロニケ人への第二の手紙』を読んで


 僕には自分の力ではどうにもならないことを気に病む悪い癖があって、それがこうして『聖書』を読ませる(いわば外側の)要因の一つになっている。
 と、本論とは何の関係もないことから、書き始めたのには、理由がある。

 一章
 六 すなわち、あなたがたを悩ます者には患難をもって報い、悩まされているあなたがたには、わたしたちと共に、休息をもって報いて下さるのが、神にとって正しいことだからである。

 二章
 二 霊により、あるいは言葉により、あるいはわたしたちから出たという手紙によって、主の日はすでにきたとふれまわる者があっても、すぐさま心を動かされたり、あわてたりしてはいけない。
 

 二章の途中から「テサロニケ人への第二の手紙」は僕の心を打たなくなった。なぜだろうか。同様に「テサロニケ人への第二の手紙」の中で、最も人に知られている以下の箇所についても。

 三章
 一〇 また、あなたがたの所にいた時に、「働こうとしない者は、食べることもしてはならない」と命じておいた。

 僕はまた、『聖書』において、第一の手紙と第二の手紙があると、どういう風の吹き回しなのか、順序通りではなくて、第二の手紙から読みたくなってしまう。

 以下は余談。
 昨日(17日)の午後はすいとぴあ江南へ行き、(毎年恒例となっている)円空彫り講座のお手伝いをしました。

Vol.80 『ハバクク書』を読んで


 さっと一読した際には、少し退屈を覚える内容に感じたけれど、よくよく読んでみると、実に凄い。人の出会いに例えたら、初対面の印象は良くなかったが、結果的に仲良くなった。
 二章四の「見よ、その魂の正しくない者は衰える。しかし義人はその信仰によって生きる」については、いまさら僕が何かを書き加える必要もないだろう。
 

 僕個人にとっては同じ二章の以下の箇所も心に響いた。

 二章
 一八 刻める像、鋳像および偽りを教える者は、その作者がこれを刻んだとてなんの益があろうか。その作者が物言わぬ偶像を造って、その造ったものに頼んでみても、なんの益があろうか。
 一九 わざわいなるかな、木に向かって、さめよと言い、物言わぬ石に向かって、起きよと言う者よ。これは黙示を与え得ようか。見よ、これは金銀をきせたもので、その中には命の息は少しもない。
 二〇 しかし、主はその聖なる宮にいます、全地はそのみ前に沈黙せよ。

 上に引いた箇所からは戒めを、そして全書からは「待つ」ということの大切さを教えられたように気がする。

Vol.79 『テトスへの手紙』を読んで


 「テトスへの手紙」において、しばしば取り上げられるクレテ人のパラドックスに関しては、さほどの重きを感じなかった。

 一章
 一二 クレテ人のうちのある預言者が「クレテ人は、いつもうそつき、たちの悪いけもの、なまけ者の食いしんぼう」と言っているが、
 一三 この非難はあたっている。だから、彼らをきびしく責めて、その信仰を健全なものにし、
 

 一章
 一五 きよい人には、すべてのものがきよい。しかし、汚れている不信仰な人には、きよいものは一つもなく、その知性も良心も汚れてしまっている。
 二章
 一五 あなたは、権威をもってこれらのことを語り、勧め、また責めなさい。だれにも軽んじられてはならない。
 三章
 二 だれをもそしらず、争わず、寛容であって、すべての人に対してどこまでも柔和な態度を示すべきことを、思い出させなさい。

 テトスは「コリント人への第二の手紙」「ガラテヤ人への手紙」「テモテへの第二の手紙」にも登場するという。それら3通の手紙を僕はまだ読んでいない。
 彼(テトス)の人間像に触れていないからだろうか。あるいはパウロのメッセージに上からの目線をどことなく感じたからだろうか。「テトスへの手紙」は僕の心にはあまり響かなかった。

Vol.78 『ヨシュア記』第七~二四章を読んで


 前回の更新(Vol.77)からの続きで、2回に分けて読んだ『ヨシュア記』についての感想です。
 

 一〇章
 一二 主がアモリびとをイスラエルの人々にわたされた日に、ヨシュアはイスラエルの人々の前で主にむかって言った、「日よ、ギベオンの上にとどまれ、月よ、アヤロンの谷にやすらえ」。
 一三 民がその敵を撃ち破るまで、日はとどまり、月は動かなかった。これはヤシャルの書にしるされているではないか。日が天の中空にとどまって、急いで没しなかったこと、おおよそ一日であった。
 一四 これより先にも、あとにも、主がこのように人の言葉を聞きいれられた日は一日もなかった。主がイスラエルのために戦われたからである。

 上に引いた箇所を読んで平清盛が沈む夕日を扇で仰いだというエピソードを思い浮かべたのは、きっと僕だけではないはず。そして、ヤシャルの書を読んでみたくなった。

 二〇章
 二  「イスラエルの人々に言いなさい、『先にわたしがモーセによって言っておいた、のがれの町を選び定め、
 三 あやまって、知らずに人を殺した者を、そこへのがれさせなさい。これはあなたがたが、あだを討つ者をさけて、のがれる場所となるでしょう。

 もしも現代に「のがれの町」があったとしたら、世の中の姿は大きく違っていたことだろう、と。

 二三章
 二  ヨシュアはイスラエルのすべての人、その長老、かしらたち、さばきびと、つかさびとたちを呼び集めて言った、「わたしは年も進んで老人となった。

 老いたヨシュアの口から出た言葉を僕は二度、三度と読み返していた。

Vol.77 『ヨシュア記』を第一~六章読んで


 『ヨシュア記』を2回に分けて、読みました。
 今回は今月8日に読んだ『ヨシュア記』第一~六章について(次回に『ヨシュア記』第七~二四章について)書きたいと思います。

 一章
 二 「わたしのしもべモーセは死んだ。それゆえ、今あなたと、このすべての民とは、共に立って、このヨルダンを渡り、わたしがイスラエルの人々に与える地に行きなさい。
 七 ただ強く、また雄々しくあって、わたしのしもべモーセがあなたに命じた律法をことごとく守って行い、これを離れて右にも左にも曲ってはならない。それはすべてあなたが行くところで、勝利を得るためである。

 ヨシュアという人は主から言われたことを忠実に実行する、その姿に感動を覚えた。また、三章のヨルダン渡河は圧巻であった。

 二章
 一 ヌンの子ヨシュアは、シッテムから、ひそかにふたりの斥候をつかわして彼らに言った、「行って、その地、特にエリコを探りなさい」。彼らは行って、名をラハブという遊女の家にはいり、そこに泊まったが、
 六章
 二五 しかし、遊女ラハブとその父の家の一族と彼女に属するすべてのものとは、ヨシュアが生かしておいたので、ラハブは今日までイスラエルのうちに住んでいる。これはヨシュアがエリコを探らせるためにつかわした使者たちをかくまったためである。

 登場人物の一人である遊女のラハブとは、いったいどんな女性だったのだろうか。僕が気になっているのは、彼女の内面的なこと(信仰心や親族を救う等)ではなく、外見のこと。僕が思うに、遣わされた斥候たちは聡明な彼女を見て、どう感じていたのだろうか。
 

 文末になってしまいましたが、『ヨシュア記』を読んだ際、『旧約聖書』のガイド本やYouTubeにアップされていたハーベスト・タイム・ミニストーリーズの「ヨシュア記 60分でわかる旧約聖書 中川健一(様)」を参考にさせていただきました(この場を借りて、お礼申し上げます)。

Vol.76 『ピレモンへの手紙』を読んで


 『ピレモンへの手紙』は今月上旬(4日)に読みました。
 本文の内容が短いことから、長々と書くのを止めて、簡潔に記したい。

 一四 しかし、わたしは、あなたの承諾なしには何もしたくない。あなたが強制されて良い行いをするのではなく、自発的にすることを願っている。
 一八 もし、彼があなたに何か不都合なことをしたか、あるいは、何か負債があれば、それをわたしの借りにしておいてほしい。
 

 上に引いた言葉は僕が気になった個所で、「ピレモンへの手紙」を読んで、僕が感じたことは、パウロが「捕われの身で産んだわたしの子供オネシモ」をいかに大事に思っているか、それがよく分かりました。
 僕には子どもがいないことから、なおさらそう感じるのかもしれません。

Vol.75 『使徒行伝』第二五~二八章を読んで


 前回の更新(Vol.74)からの続きで、『使徒行伝』の備忘録。
 4回目は第二五~二八章で、過日(今月2日)に読みました。

 二六章二六 
 王はこれらのことをよく知っておられるので、王に対しても、率直に申し上げているのです。それは、片すみで行われたのではないのですから、一つとして、王が見のがされたことはないと信じます。
 二六章二七
 アグリッパ王よ、あなたは預言者を信じますか。信じておられると思います」。
 二六章二八 
 アグリッパがパウロに言った、「おまえは少し説いただけで、わたしをクリスチャンにしようとしている」。
 二六章二九
 パウロが言った、「説くことが少しであろうと、多くであろうと、わたしが神に祈るのは、ただあなただけでなく、きょう、わたしの言葉を聞いた人もみな、わたしのようになって下さることです。このような鎖は別ですが」。
 二七章二五
 だから、皆さん、元気を出しなさい。万事はわたしに告げられたとおりに成って行くと、わたしは、神かけて信じている。
 二八章二三
 そこで、日を定めて、大ぜいの人が、パウロの宿につめかけてきたので、朝から晩まで、パウロは語り続け、神の国のことをあかしし、またモーセの律法や預言者の書を引いて、イエスについて彼らの説得につとめた。
 二八章二五
 互に意見が合わなくて、みんなの者が帰ろうとしていた時、パウロはひとこと述べて言った、「聖霊はよくも預言者イザヤによって、あなたがたの先祖に語ったものである。
 二八章三〇
 パウロは、自分の借りた家に満二年のあいだ住んで、たずねて来る人々をみな迎え入れ、
 二八章三一
 はばからず、また妨げられることもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えつづけた。

 『使徒行伝』の後半は回心したパウロ(の生き方)を例に挙げて、クリスチャンのあるべき姿が語られていた。
 

 下は再読する際に必要な登場人物や地名などを整理して、挙げました。

 二五章一一 皇帝カイザルに上訴
もしわたしが悪いことをし、死に当るようなことをしているのなら、死を免れようとはしません。しかし、もし彼らの訴えることに、なんの根拠もないとすれば、だれもわたしを彼らに引き渡す権利はありません。わたしはカイザルに上訴します」。
 二五章一三 アグリッパ王の登場
 数日たった後、アグリッパ王とベルニケとが、フェストに敬意を表するため、カイザリヤにきた。
 二五章一三 パウロが引き出される
 翌日、アグリッパとベルニケとは、大いに威儀をととのえて、千卒長たちや市の重立った人たちと共に、引見所にはいってきた。すると、フェストの命によって、パウロがそこに引き出された。
 二六章一 パウロの弁明
 アグリッパはパウロに、「おまえ自身のことを話してもよい」と言った。そこでパウロは、手をさし伸べて、弁明をし始めた。
 二七章一 ローマへ向かって船出
 さて、わたしたちが、舟でイタリヤに行くことが決まった時、パウロとそのほか数人の囚人とは、近衛隊の百卒長ユリアスに託された。
 二七章一四 暴風、難破、そして、上陸。
すると間もなく、ユーラクロンと呼ばれる暴風が、島から吹きおろしてきた。
 二八章一 マルタ島にて
わたしたちが、こうして救われてからわかったが、これはマルタと呼ばれる島であった。
 二八章一四 ローマに到着
そこで兄弟たちに会い、勧められるまま、彼らのところに七日間も滞在した。それからわたしたちは、ついにローマに到着した。

Vol.74 『使徒行伝』第一九~二四章を読んで


 前回の更新(Vol.73)からの続きで、『使徒行伝』の備忘録。
 3回目は第一九~二四章で、過日(先月31日)に読みました。

 二〇章二四
 しかし、わたしは自分の行程を走り終え、主イエスから賜わった、神のめぐみの福音をあかしする任務を果し得さえしたら、このいのちは自分にとって、少しも惜しいとは思わない。
 二〇章三五
 わたしは、あなたがたもこのように働いて、弱い者を助けなければならないこと、また『受けるよりは与える方が、さいわいである』と言われた主イエスの言葉を記憶しているべきことを、万事について教え示したのである」。
 二〇章三七
 みんなの者は、はげしく泣き悲しみ、パウロの首を抱いて、幾度も接吻し、
 二一章一三
 その時パウロは答えた、「あなたがたは、泣いたり、わたしの心をくじいたりして、いったい、どうしようとするのか。わたしは、主イエスの名のためなら、エルサレムで縛られるだけでなく、死ぬことをも覚悟しているのだ」。

  上に引いた箇所は僕が読んで、心に残った言葉たちです。読んでいるうちに、パウロがだんだんとイエスに似てくる、そんな気がしてならない。
 

 下は再読する際に必要な登場人物や地名などを整理して、挙げました。

 一九章一 エペソにて
アポロがコリントにいた時、パウロは奥地をとおってエペソにきた。そして、ある弟子たちに出会って、
 一九章二一 エルサレムへ行く決心
 これらの事があった後、パウロは御霊に感じて、マケドニヤ、アカヤをとおって、エルサレムへ行く決心をした。そして言った、「わたしは、そこに行ったのち、ぜひローマをも見なければならない」。
 一九章二三 エペソの騒動
 そのころ、この道について容易ならぬ騒動が起った。
 一九章二九 アリスタルコの登場
 そして、町中が大混乱に陥り、人々はパウロの道連れであるマケドニヤ人ガイオとアリスタルコとを捕えて、いっせいに劇場へなだれ込んだ。
 二〇章一 マケドニヤへ
 騒ぎがやんだ後、パウロは弟子たちを呼び集めて激励を与えた上、別れのあいさつを述べ、マケドニヤへ向かって出発した。
 二〇章二 ギリシヤへ
 そして、その地方をとおり、多くの言葉で人々を励ましたのち、ギリシヤにきた。
 二〇章四
 プロの子であるベレヤ人ソパテロ、テサロニケ人アリスタルコとセクンド、デルベ人ガイオ、それからテモテ、またアジヤ人テキコとトロピモがパウロの同行者であった。
 二〇章一五 トロアスからミレトへ
 そこから出帆して、翌日キヨスの沖合にいたり、次の日にサモスに寄り、その翌日ミレトに着いた。
 二一章一 エルサレムへ向かう
 さて、わたしたちは人々と別れて船出してから、コスに直航し、次の日はロドスに、そこからパタラに着いた。
 二一章一七 エルサレムに到着
 わたしたちがエルサレムに到着すると、兄弟たちは喜んで迎えてくれた。
 二一章二七 パウロ逮捕される
 七日の期間が終ろうとしていた時、アジヤからきたユダヤ人たちが、宮の内でパウロを見かけて、群衆全体を煽動しはじめ、パウロに手をかけて叫び立てた、
 二三章二四  カイザリヤにいる総督ペリクスのもとへ
また、パウロを乗せるために馬を用意して、彼を総督ペリクスのもとへ無事に連れて行け」。
 二四章二七 フェストの登場とパウロの監禁
 さて、二か年たった時、ポルキオ・フェストが、ペリクスと交代して任についた。ペリクスは、ユダヤ人の歓心を買おうと思って、パウロを監禁したままにしておいた。

Vol.73 『使徒行伝』第一五~一八章を読んで


 前回の更新(Vol.72)からの続きで、『使徒行伝』の備忘録。
 2回目は第一五~一八章で、過日(先月30日)に読みました。

 一七章二三
 実は、わたしが道を通りながら、あなたがたの拝むいろいろなものを、よく見ているうちに、『知られない神に』と刻まれた祭壇もあるのに気がついた。そこで、あなたがたが知らずに拝んでいるものを、いま知らせてあげよう。
 一七章二五
 また、何か不足でもしておるかのように、人の手によって仕えられる必要もない。神は、すべての人々に命と息と万物とを与え、
 一七章二七
 こうして、人々が熱心に追い求めて捜しさえすれば、神を見いだせるようにして下さった。事実、神はわれわれひとりびとりから遠く離れておいでになるのではない。
 一七章二八
 われわれは神のうちに生き、動き、存在しているからである。あなたがたのある詩人たちも言ったように、『われわれも、確かにその子孫である』。
 一七章三一
 神は、義をもってこの世界をさばくためその日を定め、お選びになったかたによってそれをなし遂げようとされている。すなわち、このかたを死人の中からよみがえらせ、その確証をすべての人に示されたのである」。
 一八章九
 すると、ある夜、幻のうちに主がパウロに言われた、「恐れるな。語りつづけよ、黙っているな。

 上に引いた箇所は僕が読んで、心に残った言葉たちです。第一五~一八章のはずが、なぜか第一七章ばかり。パウロがアレオパゴスの評議所にて行った演説は言葉巧みだ。
 

 下は再読する際に必要な登場人物や地名などを整理して、挙げました。

 一五章二二 シラスの登場
そこで、使徒たちや長老たちは、全教会と協議した末、お互の中から人々を選んで、パウロやバルナバと共に、アンテオケに派遣することに決めた。選ばれたのは、バルサバというユダとシラスとであったが、いずれも兄弟たちの間で重んじられていた人たちであった。
 一五章四〇 パウロの旅立ち(2回目)
パウロはシラスを選び、兄弟たちから主の恵みにゆだねられて、出発した。
 一六章一 テモテの登場
 それから、彼はデルベに行き、次にルステラに行った。そこにテモテという名の弟子がいた。信者のユダヤ婦人を母とし、ギリシヤ人を父としており、
 一六章一二 ピリピにて
 そこからピリピへ行った。これはマケドニヤのこの地方第一の町で、植民都市であった。わたしたちは、この町に数日間滞在した。
 一七章一 テサロニケにて
 一行は、アムピポリスとアポロニヤとをとおって、テサロニケに行った。ここにはユダヤ人の会堂があった。
 一七章一〇 ベレヤにて
 そこで、兄弟たちはただちに、パウロとシラスとを、夜の間にベレヤへ送り出した。ふたりはベレヤに到着すると、ユダヤ人の会堂に行った。
 一七章一〇 アテネにて
 さて、パウロはアテネで彼らを待っている間に、市内に偶像がおびただしくあるのを見て、心に憤りを感じた。
 一八章一 コリントにて
 その後、パウロはアテネを去ってコリントへ行った。
 一八章一八 パウロの誓願
 さてパウロは、なお幾日ものあいだ滞在した後、兄弟たちに別れを告げて、シリヤへ向け出帆した。プリスキラとアクラも同行した。パウロは、かねてから、ある誓願を立てていたので、ケンクレヤで頭をそった。
 一八章二三 パウロの帰還(2回目)
 そこにしばらくいてから、彼はまた出かけ、ガラテヤおよびフルギヤの地方を歴訪して、すべての弟子たちを力づけた。
 一八章二四 アポロの登場
 さて、アレキサンデリヤ生れで、聖書に精通し、しかも、雄弁なアポロというユダヤ人が、エペソにきた。

Vol.72 『使徒行伝』第一~一四章を読んで


 『使徒行伝』を読んで、心に浮かんだ事柄を書きたいと思う(備忘録として)。
 少し前の更新(Vol.69)で書きましたが、『ルカによる福音書』を読んだことから、『使徒行伝』はその続編に相当するというのが、読んだ理由です。
 また、結果的に4回に分けて読んだことから、それに従い、4回に分けて書くことにしたい。
 1回目は第一~一四章で、過日(先月28日)に読みました。

 二章四〇 
 ペテロは、ほかになお多くの言葉であかしをなし、人々に「この曲った時代から救われよ」と言って勧めた。
 三章六 
 ペテロが言った、「金銀はわたしには無い。しかし、わたしにあるものをあげよう。ナザレ人イエス・キリストの名によって歩きなさい」。
 四章一二 
 この人による以外に救はない。わたしたちを救いうる名は、これを別にしては、天下のだれにも与えられていないからである」。
 四章二〇
 わたしたちとしては、自分の見たこと聞いたことを、語らないわけにはいかない」。
 五章一五
 ついには、病人を大通りに運び出し、寝台や寝床の上に置いて、ペテロが通るとき、彼の影なりと、そのうちのだれかにかかるようにしたほどであった。
 五章三九
 しかし、もし神から出たものなら、あの人たちを滅ぼすことはできまい。まかり違えば、諸君は神を敵にまわすことになるかも知れない」。そこで彼らはその勧告にしたがい、
 九章一八
 するとたちどころに、サウロの目から、うろこのようなものが落ちて、元どおり見えるようになった。そこで彼は立ってバプテスマを受け、
 一〇章二六
 するとペテロは、彼を引き起して言った、「お立ちなさい。わたしも同じ人間です」。
 一〇章四一
 全部の人々にではなかったが、わたしたち証人としてあらかじめ選ばれた者たちに現れるようにして下さいました。わたしたちは、イエスが死人の中から復活された後、共に飲食しました。
 一四章九
 この人がパウロの語るのを聞いていたが、パウロは彼をじっと見て、いやされるほどの信仰が彼にあるのを認め、
 一四章一七
 それでも、ご自分のことをあかししないでおられたわけではない。すなわち、あなたがたのために天から雨を降らせ、実りの季節を与え、食物と喜びとで、あなたがたの心を満たすなど、いろいろのめぐみをお与えになっているのである」。

 上に引いた箇所は僕が読んで、心に残った言葉たちです。言葉で表現すれば、簡単だけれども、使徒たちのまさに炎のように燃え盛る情熱を感じずにはいられません。
 

 下は再読する際に必要な登場人物などを整理して、挙げました。また、地名はダマスコ(サウロの回心の地)、カイザリヤ、アンテオケ、クプロ(キプロス島)などが出てきました。

 一章一 続編と献呈
 テオピロよ、わたしは先に第一巻を著わして、イエスが行い、また教えはじめてから、
 一章一三 使徒たち
 彼らは、市内に行って、その泊まっていた屋上の間にあがった。その人たちは、ペテロ、ヨハネ、ヤコブ、アンデレ、ピリポとトマス、バルトロマイとマタイ、アルパヨの子ヤコブと熱心党のシモンとヤコブの子ユダとであった。
 一章二六 マッテヤが加わる
 それから、ふたりのためにくじを引いたところ、マッテヤに当ったので、この人が十一人の使徒たちに加えられることになった。
 四章三六 バルナバの登場
 クプロ生れのレビ人で、使徒たちにバルナバ(「慰めの子」との意)と呼ばれていたヨセフは、
 六章五 ステパノらの登場
 この提案は会衆一同の賛成するところとなった。そして信仰と聖霊とに満ちた人ステパノ、それからピリポ、プロコロ、ニカノル、テモン、パルメナ、およびアンテオケの改宗者ニコラオを選び出して、
 七章五八 サウロの登場
 彼を市外に引き出して、石で打った。これに立ち合った人たちは、自分の上着を脱いで、サウロという若者の足もとに置いた。
 八章五 ピリポ
 ピリポはサマリヤの町に下って行き、人々にキリストを宣べはじめた。
 八章一四 ペテロとヨハネ
 エルサレムにいる使徒たちは、サマリヤの人々が、神の言を受け入れたと聞いて、ペテロとヨハネとを、そこにつかわした。
 九章二八 バルナバとサウロ
それ以来、彼(サウロ)は使徒たちの仲間に加わり、エルサレムに出入りし、主の名によって大胆に語り、
 九章四三 皮なめし職人シモン
 ペテロは、皮なめしシモンという人の家に泊まり、しばらくの間ヨッパに滞在した。
 一〇章一 コルネリオ
 さて、カイザリヤにコルネリオという名の人がいた。イタリヤ隊と呼ばれた部隊の百卒長で、
 一一章二六 クリスチャンと呼ばれる
 彼を見つけたうえ、アンテオケに連れて帰った。ふたりは、まる一年、ともどもに教会で集まりをし、大ぜいの人々を教えた。このアンテオケで初めて、弟子たちがクリスチャンと呼ばれるようになった。
 一二章一二 マルコと呼ばれているヨハネ、その母マリヤの家
 ペテロはこうとわかってから、マルコと呼ばれているヨハネの母マリヤの家に行った。その家には大ぜいの人が集まって祈っていた。
 一三章一 バルナバとサウロの旅立ち(初回)
 さて、アンテオケにある教会には、バルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、クレネ人ルキオ、領主ヘロデの乳兄弟マナエン、およびサウロなどの預言者や教師がいた。
 一三章九 名前がサウロからパウロへ
サウロ、またの名はパウロ、は聖霊に満たされ、彼をにらみつけて
 一三章四六 異邦人への宣教
 パウロとバルナバとは大胆に語った、「神の言は、まず、あなたがたに語り伝えられなければならなかった。しかし、あなたがたはそれを退け、自分自身を永遠の命にふさわしからぬ者にしてしまったから、さあ、わたしたちはこれから方向をかえて、異邦人たちの方に行くのだ。
 一四章二六 帰還(初回)
 そこから舟でアンテオケに帰った。彼らが今なし終った働きのために、神の祝福を受けて送り出されたのは、このアンテオケからであった。

Vol.71 三井アウトレットパーク滋賀竜王のZARAへ


 過日(4日)のことになりますが、中学3年生の甥っ子と一緒に三井アウトレットパーク滋賀竜王のZARAへ行きました。
 アウトレットということですが、僕が想像していたのとは、ずいぶん違っていました。タイミングの問題もあったかもしれませんが、店内には目ぼしいものがなく、名古屋店のセール期間の方が品揃え等が充実しており(もちろん価格も)、せっかく遠くまで足を運んだにもかかわらず、何も買わずじまい。
 

 以前の更新(Vol.34)に書いたように、僕が今までに足を運んだことのあるZARAの店舗を順に記すと、名古屋店、mozoワンダーシティ店、イオンモール木曽川店、イオンモールナゴヤドーム前店、モレラ岐阜店、ららぽーと磐田店、イオンモール浜松志都呂店、イオンモール東浦店で、今回で計9店舗目になりました。

Vol.70 甥っ子と一緒にZARAへ


 今日の午前中は甥っ子と一緒にモゾワンダーシティへ行きました。
 ZARAにて、甥っ子が着用するシャツ(ストライプフレアーデザインシャツ)とハーフパンツ(サイドライン入りバミューダ)を購入。併せて、セールだったTシャツも。
 

 他にもアスビー(ASBee)へ行き、甥っ子が気に入って履いているスポーツシューズ(ニューバランスM460)を購入しました。