Vol.20 自分の辞書から消えた言葉たち


 いつぞやも別の場所(「東海・旅の足跡 2」)で書いたけれど、生きていれば、それだけ経験を積んで、自分の辞書に言葉が増えると思っていた。けれど、馬齢を重ねるうちに、失っていく(消えていく)言葉もあることを知って、僕は今、愕然として、後悔にも似た気持ちになっている。
 消えてしまった言葉たちはどこへ行ったのだろう。

 『ヨハネによる福音書』第三章八
 「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞くが、それがどこからきて、どこへ行くかは知らない。」
 

 言葉は人の命と似ている。新しく生まれて、人が使い、人に使われて、時には流行語にもなり、いつかは死語になる。自分が心の底から発する(発した)言葉は、自分を映す鏡であり、自分の命と同じだ、と僕は思う。

 『ヨハネによる福音書』第一章一~四
 「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は初めに神と共にあった。すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。この言に命があった。」

 僕は仏教徒で、キリスト教信者ではないけれど、最近になって、『ヨハネによる福音書』の中に出てくる言葉たちに心を強く打たれました。

  神によって、仏によって、人は、命は、生かされているのだ。与えられた命(の期限)を無駄にしないことこそが、今の僕にとっての「Stay The Young」なのかもしれない。

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