ラベル 星合信令 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 星合信令 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

vol.1708 流域治水カード


 ブログ「Stay The Young (Trilogy)」をお読みいただき、ありがとうございます。

 一昨日(21日)の午後は豊山町役場と岩倉市役所へ行き、流域治水カードをゲット。
 

 岩倉市役所へ足を運んだことから、市役所駐車場の隅に建立されている陶芸家の星合信令が制作した交通安全観音像を久しぶりに拝みました。
 下の写真がそれで、観音像の背面です。
 


vol.1559 家族から見た星合信令展 尾張旭市文化会館


 ブログ「Stay The Young (Trilogy)」をお読みいただき、ありがとうございます。

 昨日の午後は尾張旭市文化会館へ行き、「家族から見た星合信令展」を見てきました。
 

 

 副題に「愛する動物作品を中心に」とあり、獅子や狛犬、十二支の他にも、カエルやイセエビが展示されていました。
 

 

 十二支の酉が展示されていて、その解説に「昭和44年の酉年の『とり』は『福どり』として、2つの米俵に夫婦の鶏が寄り添うように乗っているデザインだったそうです。今回展示している『とり』はどちらも単体の鶏なので44年のものではないと思われます(以下略)」とありました。
 ひょっとしたら、僕が以前に目にした酉の置物が昭和44年の作品だったのでは、と(vol.1134)。
 作品と共に「信令獅子制作過程」と題したパネルが展示されており、信令先生が獅子を作り上げる様子が紹介されていました。
 

 調べたところ、前回、尾張旭市文化会館へ足を運んだのは、今から5年前(vol.314)で、もうそんなに時が経ったのかと、驚きを禁じ得ず。

 以下は余談。
 今朝は午前4時起床。
 昨日、尾張旭市内を走った際、目にした日本共産党のポスター「8時間働けば ふつうに暮らせる社会へ」が印象に残りました。

vol.1381 星合信令の観音像 小牧市 常昌寺


 ブログ「Stay The Young (Trilogy)」をお読みいただき、ありがとうございます。

 過日(28日)の午後は小牧市にある常昌寺を参拝して、境内に祀られている陶芸家の故・星合信令が制作した観音像に会ってきました(写真は常昌寺から許可を得て撮影しています)。
 

 観音像の背面には、「長寿観音 昭和四十二年冬至 早稲田柳右エ門」と記されており、例によって「大日窯」「信令作」の印が押されていました。
 長寿観音像は衆議院議員だった故・早稲田先生の嗣子である満氏より常昌寺に献納されて、1985(昭和60)年に建立されたとのこと。
 文末になってしまいましたが、某寺の先住さまと常昌寺のお庫裏さまには大変お世話になりました。この場を借りて、お礼申し上げます。

vol.1276 尾張旭市どうだん亭 春の一般公開


 ブログ「Stay The Young (Trilogy)」をお読みいただき、ありがとうございます。

 昨年の11月下旬、秋の一般公開ということで、尾張旭市にある満天星亭(どうだんてい)へ行きました(vol.1179)。
 今回は春の一般公開ということで、過日(12日)の午前中、どうだん亭へ再度、足を運びました。
 

 再度、足を運んだ目的は文化遺産カードのゲットと陶芸家の星合信令が制作した十二支の置物を目にすることでした。
 下の写真はどうだん亭の客間から眺めた庭園です。
 

 どうだん亭の玄関受付にて、文化遺産カードをゲット。
 

 下の写真は母屋1階の和室で、床の間に目を遣ると、大徳寺僧侶小堀卓巌の書「閑座聴松風」が掛けられており、信令さんの寅が置かれていました。
 

 寅の置物は鋭い牙がいかにも信令さんの作品といった感じを受け、「ガオー」といった咆哮が聞こえてくるようでした。

 以下は少し長い余談。
 中日新聞の記事(13日付)には、「尾張旭市霞ケ丘町南のどうだん亭で十二日、一般公開が始まった。合掌造りの建物と、今が見頃のドウダンツツジを楽しもうと、初日から多くの人が訪れた。十八日まで」と書かれていた。しかしながら、どうだん亭へ足を運んだ初日(12日)の午前10時過ぎ、僕の他には二人しか見学者がいなかった。さらに見学の途中、他の二人は見学を終えていなくなり、僕一人だけになった時間もあったくらいだ。「初日から多くの人が訪れた」といった表現は、まさしく安易な常套句。記事を読むと、待ちわびた見学者が開始早々から次々とやって来たようなイメージを想起させる。情報が正確ではなく、記者の誇張としか思えない。

vol.1269 大垣市墨俣町の交通安全祈願観音像と羽島市中観音堂の円空仏


 ブログ「Stay The Young (Trilogy)」をお読みいただき、ありがとうございます。

 前回の更新(vol.1268)からの続きで、過日(1日)の午前中、岐阜市から瑞穂市を経て、羽島市へ向かう途中、大垣市墨俣町に立ち寄りました。
 下の写真は墨俣一夜城(大垣市墨俣歴史資料館)で、墨俣一夜城址公園と犀川堤一帯のサクラが満開となっており、すのまた桜まつりが開催されていました。
 

 続けて、大垣警察署墨俣警察官駐在所へ足を運んで、駐在所前に建立されている陶芸家の星合信令が制作した交通安全祈願観音像に会ってきました。
 

 最後に羽島市へ行き、中観音堂・羽島円空資料館にて、円空仏に会ってきました。
 

 いつものようにお土産にと、銘菓円空さんのほほえみせんべいを購入。
 下の写真がそれで、せんべいは昔ながらの素朴な味で、大垣市福田町にある稲葉製菓で製造されています。
 

vol.1259 尾張三十三観音霊場再訪 その14


 ブログ「Stay The Young (Trilogy)」をお読みいただき、ありがとうございます。

 過日(19日)は甥っ子と一緒に知多半島へドライブに行き、途中、尾張三十三観音霊場の8番・大御堂寺(野間大坊)と7番・岩屋寺を巡拝しました。
 下の写真は大御堂寺(野間大坊)の本堂です。
 

 

 客殿にて、お下がりの八朔(ハッサク)を頂戴しました。
 

 下の写真は岩屋寺の本堂です。
 

 

 岩屋寺は知多四国八十八箇所霊場の第43番札所であることから、納経所のご厚意により、左上に弘法大師御生誕1250年記念のご朱印を授かりました。
 甥っ子と一緒に知多半島へドライブに行った話題は3回に分けて、更新します。

 以下は余談。
 岩屋寺を参拝する前に隣接する中之院へ向かい、下の写真にあるように陶芸家の星合信令が制作した観音像に会ってきました。
 

vol.1249 瀬戸市 深川神社 陶製狛犬


 ブログ「Stay The Young (Trilogy)」をお読みいただき、ありがとうございます。

 前々回の更新(vol.1247)からの続きで、過日(6日)の午前中、尾張三十三観音霊場の26番・宝泉寺を参拝した際、瀬戸市内を少し走って、深川神社へ向かいました。
 下の写真は深川神社の本殿です。
 

 実を言うと、昨年から深川神社へ足を運びたいと思っていました。理由は陶芸家の故星合信令氏が1917(大正6)年、15、6歳の頃、深川神社の所蔵する陶祖・加藤景正(藤四郎)作と伝わる重要文化財の狛犬に感銘を受けて、陶芸の道に進んだと知り、僕も狛犬を拝んでみたいな、と。
 下の写真は画面左が星合信令作の狛犬吽像、画面右が加藤景正(藤四郎)作の狛犬吽像です。
 

 僕は俗に言う「狛犬マニア」ではありませんが、陶製の狛犬や円空さんの木彫りの狛犬は愛らしく感じられて、好きです。
 狛犬の他にも、深川神社が所蔵する市指定文化財の梵鐘や織部燈籠を目にしました。

vol.1248 交通安全観音像 瀬戸市 慶昌院(城屋敷町交差点)


 ブログ「Stay The Young (Trilogy)」をお読みいただき、ありがとうございます。

 過日(6日)の午前中、尾張三十三観音霊場の27番・慶昌院を参拝した際、寺院とは道路を一本挟んで離れた場所(城屋敷町交差点)にいくつかの石碑と並んで観音像が建っていることに気が付きました。
 遠目に見ると、陶芸家・星合信令の交通安全観音像に似ていると思い、確認すると、下の写真にあるように陶製の観音像でしたが、残念ながら、信令作の交通安全観音像ではありませんでした。
 

 星合信令作ではなかったけれど、道路に面して建てられており、どうやら交通安全観音像には違いない。像の姿形(造形)もやはりどこか似かよっている。像の背面を見ると、「平成15年4月吉日」と記されており、「志」という文字が彫られていた。
 見れば見るほど不思議というか、違和感を感じる像で、誰が何のためにこの場所へ交通安全観音像を建てたのか。僕はどうしても知りたくなって、とにかく調べることにした。
 先に結論を書くと、星合信令とは無関係でないことが判明。当時の出来事を知るU氏の口から交通安全観音像の経緯についてご教示いただきました。交通安全観音像の正体は1963(昭和38)年12月、国鉄バス瀬戸営業所入口に建立された信令作の交通安全観音像の身代わり(2代目)であると。
 詳しい経緯を記すと、信令作の交通安全観音像がトラックによる衝突で、破壊され、失われてしまいました。2年後、事故を起こしたトラックの運転手が身代わり(2代目)となる交通安全観音像を同地(営業所入口)に再建立。バス営業所の閉鎖(廃止)に伴い、再建立した交通安全観音像をU氏が譲り受けて、現在の場所(慶昌院の管理する土地)に遷座したとのこと。
 信令作の交通安全観音像は失われてしまったことが分かり、悲しかったけれど、信令さんの願った交通安全の「志」が今もこうして続いているのだと思うと、僕は胸が熱くなりました。
 文末になってしまいましたが、お話をお聞かせくださったU氏とご家族の皆様に対して、この場を借りて、深くお礼申し上げます。

vol.1229 スカイワードあさひ企画展「尾張旭の陶製狛犬」


 ブログ「Stay The Young (Trilogy)」をお読みいただき、ありがとうございます。

 今日の午後は尾張旭市にあるスカイワードあさひへ行き、3階にある歴史民俗フロアにて、明後日(24日)から開催予定の企画展「尾張旭の陶製狛犬 ちょっとかわいい守り獣」を一足先に見てきました。
 下の写真が展示の様子です。
 

 下の写真は展示されていた星合信令作の狛犬像で、いかにも邪気を払ってくれそうな素晴らしい出来栄えに僕は魅せられました。
 

 参考までに記すと、信令作の狛犬像は星合氏邸の庭(vol.1051)や大乃伎神社(vol.1061)、国府宮神社(vol.1144)にて、既に拝んでいます。
 世間には狛犬マニアが数多くいる(僕の知人にも一人います)ことから、そうした人たちにぜひとも足を運んでもらいたいな、と。
 企画展を目にした後、もちろん忘れずに円空仏を拝んできました。

 以下は余談。
 同日、スカイワードあさひにて、別件ながら、尾張旭市教育委員会文化スポーツ課の職員様には、大変お世話になりました。この場を借りて、お礼申し上げます。

vol.1204 星合信令の観音像 瀬戸市品野


 ブログ「Stay The Young (Trilogy)」をお読みいただき、ありがとうございます。

 過日(20日)の午前中、瀬戸市品野町へ行き、国道248(363)号線沿いに建立されている星合信令の観音像に会ってきました。
 

 像の背面には例によって、「祈 交通安全」の文字が記されており、「大日窯」「信令作」の印が押されています。
 像の脇にある石碑の表には「交通安全観音」と、裏には「昭和四十五年二月建立」と記されており、資料に記載された日付から察するに交通事故で息子を亡くした人から依頼を受けた観音像だろうと思い、合掌。
 信令さんの観音像を拝んで、心が満たされたのですが、その一方で、どうしても書かずにいられないことがあって、観音像が建立されている場所に隣接するデイサービス・笑笑音(ええね)品野の職員が実に不親切で、腹立たしく、不愉快な気分にさせられました。

vol.1182 星合信令の陶壁 名古屋市東区


 ブログ「Stay The Young (Trilogy)」をお読みいただき、ありがとうございます。

 今日の午前中は名古屋市東区にある某所へ行き、陶芸家の星合信令が制作した陶製壁画を目にしました(某所がどこかは調べれば分かることなのですが、見学には不向きな場所であることから、ここでは敢えて伏せました)。
 

 先様の事情により、今回の更新では、いつもと違って、作品の写真をアップできませんが、以前の更新で紹介した小牧市役所庁舎(vol.1064)と東郷町役場庁舎(vol.1101)に飾られている龍の描かれた陶製壁画と同様の作品で、陶板の左下隅に「信令作」のサインがありました。
 某所に今、保管されている陶製壁画は信令さんが1964(昭和39)年に制作、寄贈したのですが、同時期に信令獅子も寄贈されていたことが分かりました。
 文末になってしまいましたが、応対していただいた職員のA様には、大変お世話になりました。この場を借りて、お礼申し上げます。

vol.1179 尾張旭市どうだん亭 秋の一般公開


 ブログ「Stay The Young (Trilogy)」をお読みいただき、ありがとうございます。

 前回の更新(vol.1178)からの続きで、過日(18日)の午前中、尾張旭市へ行きました。
 はじめに同市城山町にあるスカイワードあさひへ足を運んだ後、次に少し走って、同市霞ヶ丘町南にある満天星亭(どうだんてい)へ向かいました。
 

 どうだん亭の玄関受付にて、文化遺産カードをゲット。
 

 下の写真はどうだん亭の客間から眺めた庭園です。
  

 どうだん亭は秋の一般公開ということで、自由に見学できることから、施設内で展示されている陶芸家の星合信令が制作した置物の鯛と獅子を目にしました。
 下の写真は母屋1階の和室で、床の間に目を遣ると、大徳寺僧侶小堀卓巌の書「閑座聴松風」が掛けられており、信令さんの鯛が置かれていました。
 

 離れ1階の和室に置かれた信令獅子は小さいサイズで可愛らしく、信令さんの鯛は別の場所でも目にしましたが、どうだん亭の鯛は色白でした。
 文末になってしまいましたが、尾張旭市教育委員会文化スポーツ課の職員様には、大変お世話になりました。この場を借りて、お礼申し上げます。

 以下は余談。
 インターネットの世界は海のように広くて、耳目を集めることが無数にあるから、僕のブログに目を通してくださる人は多くないだろうと、高を括っていたら、最近、足を運んだ先々で、「ブログを書いている人ですか」と質問されて、そのつど、ドキリとさせられます。

vol.1163 星合信令の観音像 瀬戸市北丘町(開拓)


 ブログ「Stay The Young (Trilogy)」をお読みいただき、ありがとうございます。

 前回の更新(vol.1162)からの続きで、昨日の午前中は瀬戸市北丘町へ行き、はじめに個人宅に祀られている星合信令が制作した観音像を拝んだ後、次に同町内に建立された星合信令が制作した観音像に会ってきました。
 下の写真がそれで、画面右奥に黒く見えるのは観音像と並ぶようにして建てられている石碑です。
 

 像の背面には「昭和四十三年大吉祥日建立 北丘開拓観音 町内一同」の文字が記されていましたが、「大日窯」「信令作」の印はありませんでした。
 開拓観音像は毎夏、僧侶を招いて、供養が行われているとのこと。
 石碑は1969(昭和44)年に建立され、背面には開拓者(入植者と増反者)の芳名が刻まれていました。芳名は信令さんが小観音像を寄贈した開拓農家の人たちで、その内の1体を前回の更新(vol.1162)で書いた個人宅にて拝ませていただきました。

vol.1162 星合信令の観音像 瀬戸市北丘町 個人蔵


 ブログ「Stay The Young (Trilogy)」をお読みいただき、ありがとうございます。

 今日の午前中は瀬戸市へ向かい、はじめに八王子町へ行き、某所にてヒマラヤスギの松ぼっくり(シダーローズ)を採集しました。
 次に北丘町へ行き、個人宅に祀られている陶芸家の星合信令が制作した観音像に会ってきました。
 下の写真がそれで、個人が所蔵しているということで、ありがたく拝ませていただき、観音像にまつわる貴重なお話も聞かせていただきました(観音像は非公開で、写真は所蔵者様から許諾を得て撮影しており、転載・再配布等を固く禁止します)。
 

 像の背面には例によって、「祈 交通安全」の文字が記されていました。
 観音像の他にも、小観音像をはじめとして、いわゆる「信令獅子」や干支の置物など、所蔵する信令さんの作品をいくつも拝見させていただきました。
 文末になってしまいましたが、所蔵者様には大変親切にしていただいたことから、この場を借りて、お礼申し上げます。
 個人宅を後にして、次に同町内に建立されている星合信令の観音像を拝みましたが、別の話題となることから、次回の更新で。

vol.1157 星合信令のコノハズク像 鳳来寺山鏡岩(屏風岩)


 ブログ「Stay The Young (Trilogy)」をお読みいただき、ありがとうございます。

 前回の更新(vol.1156)からの続きで、一昨日は設楽町と新城市へ行きました。
 鳳来寺の諸堂を参拝した後、鳳来寺山にある鏡岩(屏風岩)の中腹に設置されている陶芸家の星合信令が制作したコノハズク像を目にしました。
 下の写真がそれで、1965(昭和40)年7月に鳳来寺の住職だった藤本氏からの依頼で、信令さんが制作し、翌年5月に寄贈、設置されました。
 

 上の写真では分かりづらいですが、像の大きさは約1メートルで、言わずもがな、下の写真にあるようにコノハズクは愛知県の県鳥として、1965(昭和40)年5月に選定されました。
 

 コノハズク像の体全体を覆っている羽の毛の模様が印象的で、いかにも信令さんの像らしく、一目見て、すぐに分かりました。信令さんは干支の置物を多数、制作していることから、コノハズクも手びねり技法で、あっという間に仕上げたのだろう、と。像に触れることができなかったのが、唯一の心残り。
 鳳来寺山には信令さんだけでなく、下の写真にあるように他のコノハズク像も設置されていました。
 

 以下は余談。
 自宅を夜明け前に出発して(vol.1155)、正午過ぎには帰宅したのですが、鳳来寺山を紅葉の時期に訪れたなら、朝は肌寒く、寺の境内は喧噪で落ち着かず、道路は渋滞と、大変なことになっていただろうから、少しでも早く足を運んでおいて、正解だったと思います。

vol.1155 星合信令の観音像 設楽郡設楽町清崎切石


 ブログ「Stay The Young (Trilogy)」をお読みいただき、ありがとうございます。

 今日は設楽郡設楽町と新城市へ行きました。
 はじめに設楽町へ向かい、途中、豊田市内の山間部を走ったのですが、カモシカと遭遇。夜明け前だったことから、車のライトに照らされた姿を目にして、少し驚きました。
 設楽町へ再度、足を運んだのは、前々回の更新(vol.1153)でも書いたとおり、帰宅してから判明した陶芸家の星合信令が制作した観音像に会うためでした。
 下の写真がそれで、設楽町清崎切石地区の国道257号線沿いに安置されています。
 

 像の背面には例によって、「祈 交通安全」の文字が記されていましたが、「大日窯」「信令作」の印が押されているのを確認できませんでした。
 下の写真は観音像の隣に建てられた石碑で、背面には「佛像寄進 星合信令(中略)交通安全協会設楽分会」と刻まれていました。
 

 次に新城市へ向かいましたが、別の話題となることから、次回の更新で。

 以下は余談。
 新城市へ向かう途中で、道の駅したらに立ち寄りました。
 下の写真は屋外展示されていた旧豊橋鉄道田口線の木製車両「モハ14」です。
 

vol.1153 星合信令の観音像 設楽郡設楽町津具裏山


 ブログ「Stay The Young (Trilogy)」をお読みいただき、ありがとうございます。

 前回の更新(vol.1152)からの続きで、昨日は設楽郡設楽町へ行きました。
 はじめに面ノ木原生林を散策して、ブナの実を拾いました。
 次に同町津具地区へ向かい、県道80号線沿いに安置されている陶芸家の星合信令が制作した観音像に会ってきました。
 

 像の背面には例によって、「大日窯」「信令作」の印が押されていて、愛西市佐屋保健センターに安置されている子安観音像と同様、観音像の腕には鳩が抱かれています。
 少し補足しておくと、今は閉園となってしまった下津具保育園に昭和42年3月、保健婦の井村かづ子さんからの依頼で、信令さんが制作して、寄贈した「慈母観音」です。また、慈母観音像であることから、他の交通安全観音像のように「祈 交通安全」といった文字が像の背面には記されていません。
 慈母観音像を拝んだ後、設楽町役場を目指しましたが、別の話題となることから、次回の更新で。
 文末になってしまいましたが、設楽町役場企画ダム対策課と関係者の皆様には、大変お世話になりました。この場を借りて、お礼申し上げます。

 以下は余談。
 設楽町内には、もう1体、信令さんの観音像があることが帰宅後に判明。再度、足を運ばなければならないことで、ガッカリするやら、新たな観音像が拝めることで、嬉しいやらと、複雑な心境です。

vol.1147 108体目の交通安全観音像


 ブログ「Stay The Young (Trilogy)」をお読みいただき、ありがとうございます。

 少し前の更新(vol.1141)にて、岐阜市芥見長山に安置されている星合信令の観音像を紹介しました。
 昨日、11日付の岐阜新聞Webを読んだところ、

  最後の1体「え、そこに」偶然の発見 観音像「全国に108体」ようやく証明

 という見出しで、星合信令の観音像に関する記事が掲載されていました。
 以下に記事の全文を転載すると、

 岐阜市芥見長山の国道沿いに、交通事故の撲滅を願って建立された観音像がひっそりと立っている。愛知県尾張旭市で愛されてきた陶芸家星合信令氏(1901~84年)が手がけ、全国に108体あるとされる観音像のうち1980年建立の最も新しい作だという。ただ、尾張旭市は最近まで存在を把握しておらず、岐阜中署からの一報で在りかが明らかになった。
 発端は9月下旬。同署は秋の全国交通安全運動の最終日である30日に、観音像の前で法要を計画していた。署員が製作者の名前を間違えてはいけないと、台座近くの碑文に作者名と共に記されていた尾張旭市に電話した。市の担当者は「え、そこに最後の1体が」と驚いた様子で応じた。星合氏は同氏と観音像をテーマにした企画展が開かれるなど同市で親しまれているという。
 岐阜市の観音像は約70センチで白みがかった色合い。今も交通事故の遺族が花を手向けに訪れる。尾張旭市の担当者は「108体ある証明になった。見つけてもらいありがたい」と話した。

 こうして星合信令の観音像が話題に取り上げられることは実に嬉しい。
 しかしながら、上記の新聞記事の内容には誤りというか、間違っている可能性がある。それは「1980年建立の最も新しい作だ」と記している点で、少し前の更新(vol.1142)でも記したように1981年に建立された観音像が存在することだ。
 下の写真がその証拠で、画面右上にあるように「昭和56年10月吉日建立」と刻まれており、岐阜市芥見長山の観音像よりも新しくて、翌年の1981年です。 
 

 新聞記事というものは情報の正確さが何より大事だと、僕は思います。

vol.1145 星合信令の観音像 下呂市 保井戸八幡神社


 ブログ「Stay The Young (Trilogy)」をお読みいただき、ありがとうございます。

 今日の午前中は下呂市へ行きました。
 はじめに保井戸八幡神社を参拝しました。
 

 神社の境内には石仏が並んでいたことから、国道41号線を整備した際、ここへ集められたのだろう。
 

 続けて、保井戸八幡神社に接して、国道41号線沿いに安置されている陶芸家の星合信令が制作した観音像に会ってきました。
 下の写真がそれで、「祈願 交通安全」と赤い文字で記された白く大きな台座(祈願塔)の上に観音像が安置されており、補足すると、画面右に国道41号線が走り、画面右奥にある電柱の1本が国土交通省中部地方整備局高山国道事務所の設置した道路状況ライブカメラです。
 

 写真では分かりづらいかもしれませんが、台座となっている祈願塔が巨大で、到底手が届かず、いつものように観音像に触れることができませんでした。
 

 像の背面には例によって、「祈 交通安全」の文字が記されていましたが、見上げれども視界が台座(祈願塔)に阻まれて、「大日窯」「信令作」の印を確認できませんでした。
 祈願塔の正面には下の写真にあるように「慈悲 川島正子」とありました。
 

 同じく側面には下の写真にあるように建立の経緯が刻まれており、それを読んで、この場所に観音像を祀っている理由が分かったことから、僕はお念仏を唱えました。
 

 次に国道256号線を走り、ささゆりトンネルを通って、東仙峡金山湖へ向かいましたが、別の話題となることから、次回の更新で。

vol.1144 星合信令の大徳利・狛犬 尾張大國霊神社(国府宮)


 ブログ「Stay The Young (Trilogy)」をお読みいただき、ありがとうございます。

 前回の更新(vol.1143)からの続きで、昨日の午前中は愛西市稲葉町江頭地区にて星合信令の観音像を拝んだ後、稲沢市へ向かい、尾張大國霊神社(国府宮)を参拝しました。
 

 下の写真は尾張大國霊神社(国府宮)の本殿で、御扉の両側には向かい合うようにして陶芸家の星合信令が制作した狛犬一対が安置されています(写真は尾張大國霊神社から許可を得て撮影しており、無断転載を禁じます)。
 

 狛犬には観音像と同様、「大日窯」「信令作」の印が押されており、僕が信令さんの狛犬を目にするのはこれで2度目となりました(vol.1061)。
 下の写真は収蔵庫に保管されている陶芸家の星合信令が制作した大徳利(画面右手前)です(写真は尾張大國霊神社から許可を得て撮影しており、無断転載を禁じます。大徳利の見学は不可)。
 

 見学の合間には、下の写真にあるように美味しい抹茶をいただきました。
 

 文末になってしまいましたが、尾張大國霊神社(国府宮)の権禰宜様には写真撮影等、大変お世話になりました。この場を借りて、お礼申し上げます。