Vol.232 『エビオン人福音書』と『ヘブル人福音書』と『エジプト人福音書』を読んで


 ブログ「Stay The Young (Trilogy)」をお読みいただき、ありがとうございます。

 使用したテキストは日本聖書学研究所編『聖書外典偽典6』新約外典Ⅰ(教文館)で、いずれの福音書も内容は短くて、27日に読んだ。
 はじめに『エビオン人福音書』について。
 エピファニオスとその書、『くず籠(異端反論)』については、下の写真にあるように訳者による概説に詳しい。
 


 エピファニオスの書については、ブルトマンが少し取り上げていたことから、目を通した理由で、AからHまでは下の写真を参考に。
 

 次に『ヘブル人福音書』について。
 下の写真は本文と脚注です。
 


 一六章と一七章を興味深く読んだおかげで、ヒエロニムスにも興味を持った。キリスト教と、その研究(神学)は奥が深いというのが、僕の素直な感想です。
 三番目に『エジプト人福音書』を読んで。
 下の写真が本文で、目を通した以上の感想はありません。
 

Vol.231 『パウロとコリント人との往復書簡』を読んで


 ブログ「Stay The Young (Trilogy)」をお読みいただき、ありがとうございます。

 前回の更新(Vol.230)で、「『パウロとコリント人との往復書簡』については、別の機会に取り上げる予定」と書いた。
 26日の朝、『パウロとコリント人との往復書簡』を読んだ。
 テキストとして、日本聖書学研究所編『聖書外典偽典6』新約外典Ⅰ(教文館)を使用した。
 先に書いておくと、書名(タイトル)が長い。せめて12文字以内に、と思う。
 『パウロとコリント人との往復書簡』については、下にある6枚の写真が概説と脚注の抜粋、全訳文で、これらに目を通せば、後で困らないはず。
 






 往復書簡の後半(二章)はいわゆる「コリント人への第三の手紙」であるらしく、『聖書』からの引用といった内容になっていた。全般としては、読み物として面白く読んだという他に特段の感想はない。
 ブルトマンが取り上げていないことから、熱が入らず、インスタやフェイスブックによく見られる(ありがちな)写真ばかりで、中身の薄い更新になってしまった。反省。

Vol.230 『パウロとテクラの行伝』と『ペテロ行伝』を読んで


 ブログ「Stay The Young (Trilogy)」をお読みいただき、ありがとうございます。

 24日の午後に『パウロとテクラの行伝』と『ペテロ行伝』を読んだ。使用したテキストは日本聖書学研究所編『聖書外典偽典7』新約外典Ⅱ(教文館)である。
 はじめに『パウロとテクラの行伝』について。
 翻訳者の概説には、次のように記されていた(本書93ページ)。

 ふつう、「パウロ行伝」と呼ばれるものが、「パウロとテクラの行伝」、「パウロとコリント人との往復書簡」(いわゆる「コリント人への第三の手紙」を主要部分としている)、および「パウロの殉教」、そしてさらにそれ以外のパウロの行動についての記録をも含むもの(後略)。

 ということで、ここでは『パウロ行伝』ではなく、『パウロとテクラの行伝』と表記する。
 

 「パウロよりもむしろテクラのほうに中心が置かれている(本書96ページ)」とあり、僕としては、『パウロとテクラの行伝』に目を通して、特段、これと言った感想はない。「パウロとコリント人との往復書簡」については、別の機会に取り上げる予定。
 次に『ペテロ行伝』について。
 翻訳者の概説には、次のように記されていた(本書18~19ページ)。

 本書全体の重要な主題は、シモンとの戦いである。これを軸として、そこにほかのエピソードや殉教などが結びついている。

 パウロ、シモン、ペテロ、マルケルスの順に登場する。ペテロが死人を甦えらせ、多くの病人を癒す。三二章でシモンが死ぬ。四〇章でペテロが死ぬ。僕が最も興味深く読んだのは下の写真にある三八章で、ペテロが十字架にかけられた場面でした(本書85~86ページ)。
 


 人の死に方というものは千差万別であり、人の力ではどうにもならない。
 日本聖書学研究所編『聖書外典偽典7』新約外典Ⅱ(教文館)には、目次順に『ペテロ行伝』、『パウロとテクラの行伝』、『ヨハネ行伝』、『アンデレ行伝』、『トマス行伝』が翻訳されているが、『アンデレ行伝』はブルトマンの論文にほとんど引用されていないことから、割愛した。
 文末になったけれども、翻訳者の皆様へ感謝の言葉を記しておきたい。

Vol.229 『ヨハネ行伝』と『トマス行伝』を読んで


 ブログ「Stay The Young (Trilogy)」をお読みいただき、ありがとうございます。

 『ヨハネ行伝』を21日の午後に読んだ。引き続き『トマス行伝』を読み始めて、23日の朝、24日の午前中と3回に分けて読んだ。使用したテキストは日本聖書学研究所編『聖書外典偽典7』新約外典Ⅱ(教文館)である。
 『ヨハネ行伝』と『トマス行伝』の2つは「行伝」と名の付くそれらの中で、ブルトマンが数多く引用している。
 『ヨハネ行伝』について。
 翻訳者による概説には「講談社版で翻訳から除外された一~一四章はここでは翻訳本文に加えられている」とある。また、『ヨハネ行伝』の構成については、下の写真にあるように翻訳者による詳細な区分が示されていたことから、それを参考にさせていただいた(本書121~123ページ)。
 



 『ヨハネ行伝』の一~八章については、五章から面白く読み始めて、ヨハネが行う奇蹟(しるし)のエピソードが続いた。一八章から「本来の本文に属する(本書119ページ)」とあり、エペソでの活躍が描かれていた。八九章から読んでいて、再度、面白く感じた。とりわけ「『ヨハネよ』で始まり、語られる内容はいかにも主の言葉であり、例えば、八八章以下、九二章以下、九八章以下、一一三章以下が挙げられる。
 次に『トマス行伝』について。
 タイトルに『トマス行伝』とあるが、ページをめくると、

 「聖なる使徒トマスの行伝」とあり、

 「使徒ユダ・トマスの第一行伝 主が彼を商人アバネスに売り、彼が下って、インド人を悔い改めさせたときのこと」(第一~一六章)
 「使徒トマスの第二行伝 グンダフォロス王の御前へ登場したときのこと」(第一七~二九章)
 「第三行伝 蛇のこと」(第三〇~三八章)
 「第四行伝 子ろばのこと」(第三九~四一章)
 「第五行伝 女の中に住まった悪霊のこと」(第四二~五〇章)
 「第六行伝 少女を殺した若者のこと」(第五一~六一章)
 「第七行伝 将軍のこと」(第六二~六七章)
 「第八行伝 野驢馬のこと」(第六八~八一章)
 「第九行伝 カリス妻のこと」(第八二~一一八章)
 「第一〇行伝 ミュグドニアがバプテマスを受けたこと」(第一一九~一三三章)
 「第一一行伝 ミスダイの妻のこと」(第一三四~一三八章)
 「第一二行伝 ミスダイの子ウァザンのこと」(第一三九~一四九章)
 「第一三行伝 ウァザンがその他の人々とともにバプテスマを受けた時のこと」(第一五〇~一五八章)
 「聖にして誉れ高き使徒トマスの殉教」(第一五九~一七一章)

 と区分されていた。使徒トマスはユダ・トマスと呼ばれる。
 

 翻訳者による概説には、「『トマス行伝』は第一部(1~61)が北インドを、第二部(62~170)が南インドを舞台にしていると思われるが、トマスが実際に南インドまで行ったのかどうかになると、それは伝説の域を出ない」とある。四一章、四五~四八章、一六〇章を面白く読み、一七〇章と一七一章は実にそれらしい終わり方であった。

 以下は余談。
 夕方、NTT西日本を名乗る電話が掛かって来て、不審に思い、教えられた電話番号を調べたら、その正体はいわゆる不適切な販売勧誘でした。実に嫌な世の中です。

Vol.228 清掃奉仕(ボランティア活動)と一宮市役所展望ロビー


 ブログ「Stay The Young (Trilogy)」をお読みいただき、ありがとうございます。

 今日の午前中は先週と同様、下の写真にあるように清掃奉仕でした。
 

 今月(2月)は計4回、ボランティア活動に従事しました(そのうち、2回は清掃奉仕)。ボランティア活動に従事した回数を半年間、さかのぼって調べてみたら、先月(1月)は計3回、昨年12月は計4回、11月は計4回、10月は計4回、9月は計2回でした。

 以下は余談。
 昨日の午後は長谷川公茂先生に随行して、一宮市役所へ行きました。
 下の写真は本庁舎14階の展望ロビーから眺めた景色です。
 

Vol.227 円空上人の心を伝える会 第3集 高賀神社の円空仏


 ブログ「Stay The Young (Trilogy)」をお読みいただき、ありがとうございます。

 「円空上人の心を伝える会」の発行する冊子『第3集 高賀神社の円空仏』が20日に上梓されました。
 下の写真が表紙と内容見本です。
 


 内容は関市洞戸円空記念館にて展示されている円空仏(虚空菩薩、十一面観音、狛犬、歓喜天など)が網羅されています。
 冊子『円空上人の心を伝える会』は以下の場所でお求めになれます(頒布 1000円)。

  すいとぴあ江南
   愛知県江南市草井町西200
  関市洞戸円空記念館
   岐阜県関市洞戸高賀1212
  中観音堂
   岐阜県羽島市上中町中526

  『第3集 高賀神社の円空仏』については、こちら のページにも詳細が記されていますので、ご参照ください。

 以下は余談。
 20日の午後は長谷川公茂先生と「円空上人の心を伝える会」の主幹である舩橋様の計3人で、楽しい円空談義でした。
 

Vol.226 『ペテロ福音書』を読んで


 ブログ「Stay The Young (Trilogy)」をお読みいただき、ありがとうございます。

 以前の更新(Vol.221)で書いたとおり、16日の朝、荒井献編『新約聖書外典』(講談社文芸文庫)に収録されている『ペテロ福音書』を読みました。さらに19日の午前中、日本聖書学研究所編『聖書外典偽典6』新約聖書外典Ⅰ(教文館)に収録されている『ペテロ福音書』に目を通しました。
 同じ『ペテロ福音書』でありながら、2つの大きな違いは翻訳者が別人であること。講談社文芸文庫のそれは田川氏の翻訳で、読みやすい。教文館のそれは小林氏の翻訳で、分かりやすい。どちらが素晴らしい翻訳なのか。僕は専門家でないから、判断できない。ただし、読み比べて感じたことを素直に書けば、こうも違うのかと正直、驚かされた。
 下の2つの写真のうち、上が講談社文芸文庫(田川氏の翻訳)で、下が教文館(小林氏の翻訳)となっており、(画像部分をクリックするとアップの画面が出て来て)読み比べられるようにしておく。
 


 それぞれに付された両者(田川氏と小林氏)の解説文についても、たとえば発見時などの歴史的経緯を除けば、『ペテロ福音書』に対する姿勢や解釈が(当然ながら)異なっている。また、講談社文芸文庫の編者である荒井氏は『ペテロ福音書』はイエスの処刑の場面を補足すると記している。
 『ペテロ福音書』の章と節について、忘れないように書いておくと、第一~一四章(1~60節)という区分(構成)になっている。通常のように章の始まりが1節からではなく、次章に続いている。
 一章は1~2節の計2節で、二章は3~5節の計3節で、三章は6~9節の計4節となっており、四章の冒頭は10節からの計4節で、五章の冒頭は15節からの計6節となっており、六章は計4節で、七章は計3節となっており、八章イコール28~33節で、九章イコール34~37節となっており、そのようにして続き、一四章の最後が60節となっている。
 数字だけの表記にすると、

  章   節
  1   1;1~2
  2   2;3~5
  3   3;6~9
  ~
  13  13;55~57
  14  14;58~60

となっている。
 ブルトマンは『ペテロ福音書』をさほど重要視していない。

Vol.225 『ラオデキヤ人への手紙』を読んで、と「いのまたむつみ展」春日井


 ブログ「Stay The Young (Trilogy)」をお読みいただき、ありがとうございます。

 18日夕、日本聖書学研究所編『聖書外典偽典6』新約聖書外典Ⅰ(教文館)に収録されている「ラオデキヤ人への手紙」を読みました。
 翻訳者による「ラオデキヤ人への手紙概説」には、次のように記されています。

 この文書の内容は、一読して明らかなように何の変哲もないものであり、主としてパウロの「ピリピ人への手紙」からの引用によるまったく関連のない「つぎはぎ細工」であるとしか言えず(本書231ページ)。

 この文書が、「コロサイ人への手紙」四章一六節と密接な関係を持っていることは、最後の二〇節からも明らかであるが、そこから、この文書は「コロサイ人への手紙」のことばに触発されて「ラオデキヤ人への手紙」の創作を思いたった者によって書かれたとする可能性が強いと思われる。そして上述のようにその内容には独自な性格は認められず(本書234ページ)。

 参考のために、『コロサイ人への手紙』の四章一六節を。

 4;16 この手紙があなたがたの所で朗読されたら、ラオデキヤの教会でも朗読されるように、取り計らってほしい。またラオデキヤからまわって来る手紙を、あなたがたも朗読してほしい。

 下の写真が「ラオデキヤ人への手紙」の全訳です。
 


 「ラオデキヤ人の手紙」を読んだ際、その全訳よりも翻訳者による概説が長文であることに面白みを感じました。

 以下は余談。
 今日の午前中に立ち寄った春日井市にある文化フォーラム春日井にて、「いのまたむつみ展」が開催されていました。
 下の写真がそれで、会場と撮影可能スポットです。
 


 僕の中で、いのまたむつみさんと言えば、彼女がキャラクターデザインと作画監督を務めたアニメ映画の『ウインダリア』を見た記憶があります。

Vol.224 『オクシリンコス・パピルス』その他を読んで、と『蓮如上人御一代記聞書』


 ブログ「Stay The Young (Trilogy)」をお読みいただき、ありがとうございます。

 18日夕、日本聖書学研究所編『聖書外典偽典6』新約聖書外典Ⅰ(教文館)に収録されているパピルスを読みました。
 下の写真が目次で、7つのパピルスが翻訳されています。
 

  オクシリンコス・パピルス840
  オクシリンコス・パピルス654
  オクシリンコス・パピルス1
  オクシリンコス・パピルス655
  カイロ・パピルス10735
  エジァトン・パピルス2(大英博物館所蔵)
  ファイユーム断片(ファイユーム・パピルス)

 ブルトマンも著作集において、それらを取り上げているが、主に脚注においてである。
 「オクシリンコス・パピルス654」や「オクシリンコス・パピルス1」では、イエスの語った言葉が記されており、『トマスによる福音書』に平行するとのこと。「エジァトン・パピルス2」では、イエスが奇跡(らい病を治す)を起こし、また、『ヨハネによる福音書』と「似かよっている面が強い(本書27ページ)」とのこと。
 文末になったが、参考までに『ファイユーム断片』の全訳を引用しておく。

 いつものように食事をしたのちに言った。「きみたちすべての者が今晩、『われわれは羊飼いを撃ち、それに伴って羊たちは散らされるであろう』と聖書に言われている通りにつまずくであろう。ペテロが、「たとえすべての者がそうであったとしても、わたしは違います」と語り終えた時、主は言った。にわとりが二度鳴く前に、きみはきょう三度わたしを拒否するであろう」。

 以下は余談。
 今日の午後は長谷川公茂先生が講師を務める一宮円空会へ顔を出しました(先月は諸事情により、お休みしました)。
 

 テーマは親鸞聖人の『歎異抄』にある「摂取不捨の利益」について。最後には、まだ僕が読んだことのない『蓮如上人御一代記聞書』が出てきて、ハッとさせられました。すなわち、「只仏法は聴聞に極まることなり(仏の教えはひたすら聴くことに尽きる)」と、蓮如上人は仰せになられたという。

Vol.223 「第五エズラ書」と「第六エズラ書」を読んで


 ブログ「Stay The Young (Trilogy)」をお読みいただき、ありがとうございます。

 はじめに『エズラ記』の呼称に関して。テキストに使用した日本聖書学研究所編『聖書外典偽典 別巻』補遺2(教文館)は「ウルガタ(ラテン語訳聖書)」での呼称を採用している。詳しくは下の写真(本書237~238ページ)と併せつつ、説明すると、第五エズラ書とはウルガタ所収の第四エズラ書の第一~二章のことであり、第六エズラ書とはウルガタ所収の第四エズラ書の第一五~一六章のことである。
 


 ウルガタ所収の第四エズラ書については、以前の更新(Vol.220)で取り上げた。それと併せて、今回の第五エズラ書と第六エズラ書については、以前の更新(Vol.204 「『エズラ記』(ラテン語)を読んで」)で取り上げている。
 参考までに「エズラ記(ラテン語)」は新共同訳では、旧約聖書続編となっている。日本聖書学研究所編『聖書外典偽典』(教文館)では、同じ「エズラ記(ラテン語)」の「第四エズラ書」は旧約聖書外典、「第五エズラ書」と「第六エズラ書」は新約聖書外典となっている。
 とにもかくにも、「エズラ記」、「ネヘミヤ記」、「エズラ記(ギリシャ語)」、「エズラ記(ラテン語)」と同じく「第四エズラ書」、「第五エズラ書」、「第六エズラ書」と読み終えたことから、呼称の違いこそあれ、これで「エズラ」に関するものは、今日ですべて目を通したと思うと、僕は内心、ホッと安堵している。

Vol.222 日本聖書学研究所編『聖書外典偽典』(教文館)と聖書通読の会


 ブログ「Stay The Young (Trilogy)」をお読みいただき、ありがとうございます。

 前回の更新(Vol.221)からの続きで、これからしばらくの間、僕がテキストに使用するのは日本聖書学研究所編『聖書外典偽典』(教文社)です。
 

 今日の午後は月に一度の聖書通読の会に参加しました。
 下の写真は会の開始前です。
 

 今月は『使徒言行録』第二〇~二八章を参加者の皆で順番に朗読しました。ハレルヤ!

 以下は余談。
 久しぶりに中日ビルへ立ち寄ったら、下の写真にあるように中日ビルタウンは既に閉じられていました。
 

Vol.221 『トマスによるイエスの幼時物語』を読んで、と清掃奉仕(ボランティア活動)


 ブログ「Stay The Young (Trilogy)」をお読みいただき、ありがとうございます。

 今朝は荒井献編『新約聖書外典』(講談社文芸文庫)に収録されている『トマスによるイエスの幼時物語』を読みました。ただし、巻末に付されている翻訳者による解説には、次のように記されています。

 紙枚の都合上、直接イエスを語らない、教師ザッカイの嘆き(七)と、ルカによる福音書2・41以下に誌されている『十二歳のイエスの物語』と大体一致する部分(一九)を省略した。

 ということで、紙枚の都合上、省略された七章と一九章に今夜、目を通しました。その際、テキストに使用したのは、日本聖書学研究所編『聖書外典偽典第六巻』新約外典Ⅰ(教文館)です。
 さて、『トマスによるイエスの幼時物語』に登場するイエスは五歳から十二歳までのエピソード(奇蹟物語)が描かれており、面白く読んだ。僕がとりわけ気に入ったのは三章で、イエスが泥をこねて作った雀が飛んで行ったというエピソードが出てくる。すぐさま、飛騨の匠である左甚五郎の彫った雀が飛び立ったという逸話を思い出したのは言うまでもない。こうした類の説話はやはり洋の東西を問わないようだ。
 また、巻末に付されている翻訳者による解説には、「幼時の奇蹟的性格が強調されるのは(中略)後に発揮されたイエスの異常な能力が、後天的に修練や学習によって展開したものではなく、全くの生れつきの賜物であったことを示すためと考えられる」とあり、そうした意見に僕も同感である。著者はトマスではなく、不明とのこと。
 続けて、荒井献編『新約聖書外典』(講談社文芸文庫)に収録されている『ペテロ福音書』を読んだのだが、それはまた別の機会に。
 『トマスによるイエスの幼時物語』と『ペテロ福音書』を読み終えた後、今日の午前中はボランティア活動の清掃奉仕でした。
 下の写真がそれで、今月に限っては既に2回、ボランティア活動に従事したのですが、清掃奉仕は今日が初回でした。
 

 以下は余談。
 昨日の午後は長谷川公茂先生とお会いして、楽しい円空談義で、幸せな時間を過ごしました。
 

Vol.220 『第四エズラ書』を読んで、と義理チョコ


 ブログ「Stay The Young (Trilogy)」をお読みいただき、ありがとうございます。

 『第四エズラ書』を読みました。
 少し長い前置きから始めると、テキストに使用した関根正雄編『旧約聖書外典 下』(講談社文芸文庫)に収録されている『第四エズラ書』は副題に「七つの異象」とあり、第一~一六章の全訳ではなく、第三~一四章が翻訳されていたことから、10日の午後に「第一の異象」(3;1~5;19)を、14日の午後に「第二の異象」から「第七の異象」(5;20~14;48)を読みました。
 巻末に付された翻訳者による解説によれば、「今日ほぼ定説となっている説に従うと、3~14章はユダヤ教黙示文学として紀元一世紀末ごろに編集され、それに対して、反ユダヤ教の立場からまず1~2章の加筆がなされ、最後におそらくはずっと後代に15~16が付加された(中略)。主要部分は『エズラの黙示』とよばれ、七つの異象から成り立っている(後略)」とあった。
 

 ブルトマンが取り上げている『第四エズラ書』の代表的な個所は、4;30~32(「ここには、善きものは悪しきものよりもはるかに力強いものであるという、ユダヤ的な表象が横たわっている。」著作集9巻109ページ) 7;87(第七の道) 7;98(第七の段階)となっている。
 僕が最も印象に残ったのは第4章。
 他には、天使がエズラに「何々してみよ」と語りかけ、エズラが「できません」と答える場面がいくつもあって、そうしたやり取りの具体的内容に奥深さを感じた。たとえば次のような場面。

 (4;5)そこで私は言った。「わが主よ、どうかつづけてお話しください」。すると天使は言った。「さぁ、よいかね。火の重さをはかってみよ。風の分量をはかってみよ。あるいは、すぎ去った日をよびもどしてみよ」。
 (4;6)私は答えた。「地上に住む者の中、だれ一人として答えることができないような問いをどうしてわたしにおききになるのです」。

 (5;36)すると天使は言った。「まだこの世に生まれて来ない者の数をかぞえてみよ。飛び散った雨の滴をあつめてみよ。枯れてしおれた花をもう一度咲かせてみよ。
 (5;39)わたしは愚かな者にすぎません。あなたの問いに答えることなどできるはずはありません」。

 また、解き明かしをしてくれる天使たちの台詞が何だか理屈っぽく聞こえるような箇所がいくつもあった。だからこそ、以下のようなシンプルに語りかける箇所が印象に残った。

 しっかりせよ。恐れるな。今のこの世の悪について無駄な思いわずらいをするな、終りのときにあわてることにならないために。(6;34)

 お前は自分の意志にかかわりなくこの世に生まれ、心ならずも世を去る。お前が生きるために与えられた時はみじかいのだから。(8;5)

 関根正雄編『旧約聖書外典』(講談社文芸文庫)は内容が抜粋なので、2つの書(『エチオピア語エノク書』と『第四エズラ書』)を読破(読了)したとは言い難い。敬虔なキリスト者ならば、きっとそうするだろうと思い、最後に訳者への感謝の言葉を記したい。

 以下は余談。
 昨日はバレンタインデーということで、今年も義理チョコを頂戴しました。
 下の写真がそれで、ありがとうございます、とお礼の言葉を添えておきたい。
 

Vol.219 『聖詠経』を読んで、と『詩篇』第151編


 ブログ「Stay The Young (Trilogy)」をお読みいただき、ありがとうございます。

 今朝(13日)、国立国会図書館デジタルコレクションに収録されている『聖詠経(セイエイキョウ)』にざっと目を通した。『聖詠経』は出版者が正教会、出版地が東京、出版年月日が明18.7となっている。『聖詠経』は『詩篇』に相当するらしい。150篇の後に「續聖詠」とされる文章が付されていた(310~311ページ)。下に引用すると、

   光榮讃詞
  左ノ詠経中ニ加ヘズダワィド別ニ此ヲ作リ以テゴリアフト戦フトヲ記ス
 一、我昔我ガ兄弟ノ中ニ於テ至テ小ク我ガ父ノ家ニ於テ最モ少シ我我ガ父ノ羊群ヲ牧セリ
 二、我ガ手笙ヲ作リ我ガ指琴ヲ調ベリ
 三、孰カ我ガ主ニ告ゲシ主親ヲ聴キ
 四、親ヲ其使ヲ遣ハシ我ヲ我ガ父ノ羊群ヨリ取リ其聘ノ質ノ膏ヲ以テ我ヲ膏セリ
 五、我ガ兄弟美ニシテ大ナレモ主ハ彼等ヲ選ブヲ喜バズ
 六、我出デテ異邦人ニ向フニ彼其偶像ヲ以テ我ヲ詛ヘリ
 七、然レモ我其ノ剣ヲ奪ヒ其首ヲ斬テイズヲイリノ子ノ恥ヲ雪ゲリ
 聖詠経終

 『聖詠経』には、上に引用した文章に続いて、「附録」と題する文章も載っている(313~314ページ)。
 研究者の書いた本を目にすると、「續聖詠」とされる文章はどうやら「七十人訳聖書」で『詩篇』第151編といった扱いがなされている。
 僕は素人だから、『聖書』に関しては、分からないことだらけ。『詩篇』に続きの第151編があるなんて、と。
 

Vol.218 『エチオピア語エノク書』を読んで


 ブログ「Stay The Young (Trilogy)」をお読みいただき、ありがとうございます。

 以前の更新(Vol.215)で書いたとおり、『使徒教父文書』を読み終えたことから、次に『旧約聖書外典』を手に取りました(この場合のそれら2つは講談社文芸文庫を指しています)。
 

 関根正雄編『旧約聖書外典』(講談社文芸文庫)の上巻には、「第一マカベア書」、「ユデト書(抄)」、「トビト書」、「三人の近衛兵」、「ベン・シラ」が、下巻には、「スザンナ」、「ベールと龍」、「ソロモンの知恵」、「第四エズラ書」、「エノク書」が収録されています。その中で、「第一マカベア書」、「ユデト書」、「トビト書」、「三人の近衛兵」、「ベン・シラ」、「スザンナ」、「ベールと龍」、「ソロモンの知恵」は日本聖書協会の新共同訳において、既に読了。残すは「第四エズラ書」と「エノク書」となっていることから、はじめに「エノク書」を読みました(10日の午前中)。
 

 さて、関根正雄編『旧約聖書外典』(講談社文芸文庫)の下巻に収録されている『エノク書』については、巻末に付された解説に「このように複雑で、大部な書物を限られた紙数で全訳するのは困難であるし、主題の重複や類似も多いので、取捨するのに苦労した(以下、略)」とある。
 したがって、ここで取り上げる『エノク書』は第一~一〇八章の全訳ではなく、以下の箇所(章;節)が翻訳されていた。
  1~5、12~19、21~22、24~54;6 55;3~58、61~64、69;26~71、85~90;12、90;37~42、91;12~17、93。
 また、「108章はさらに五部にまとめられている」とあって、
  1、エノクの旅(1~36章)
  2、エノクのたとえ(37~71章)
  3、太陽と月の運行(72~82章)
  4、世界の歴史と運命に関わる幻(83~90章)
  5、十週の黙示その他(91~108章)
 に区分される。
 今後、機会があれば、全文(全訳)に目を通さなければならない。『エノク書』は通常、『エチオピア語エノク書』か、もしくは『第一エノク書』と呼ばれていることから、ここでは『エチオピア語エノク書』と表記する。
 ようやく本題(まとめ)に突入。
 ブルトマンが論文で取り上げている『エチオピア語エノク書』の箇所を拾い読みすると、「義」や「義人」といった言葉が目に付いた。
 僕の印象に残った聖句は2;2、18;1、18;14、32;6、40;9、41;4、85;2で、大雑把に言えば、黙示文学らしく、エノクの見た幻(夢)に天使が答えるといった内容であった。
 エノクの名前が出てくるのは『創世記』、『歴代誌上』、『ルカによる福音書』、『ヘブル人への手紙』、『ユダの手紙』、『シラ書』である。

 『創世記』(5;24) エノクは神とともに歩み、神が彼を取られたので、いなくなった。
 『ヘブル人への手紙』(11;5) 信仰によって、エノクは死を見ないように天に移された。神がお移しになったので、彼は見えなくなった。彼が移される前に、神に喜ばれた者と、あかしされていたからである。

 『ユダの手紙』14節以下には、『エチオピア語エノク書』の1;9、5;4、27;2、60;8、93;2が引用されているという。

 『ユダの手紙』
 14 アダムから七代目にあたるエノクも彼らについて預言して言った、「見よ、主は無数の聖徒たちを率いてこられた。
 15 それは、すべての者にさばきを行うためであり、また、不信心な者が、信仰を無視して犯したすべての不信心なしわざと、さらに、不信心な罪人が主にそむいて語ったすべての暴言とを責めるためである」。
 16 彼らは不平をならべ、不満を鳴らす者であり、自分の欲のままに生活し、その口は大言を吐き、利のために人にへつらう者である。

Vol.217 名鉄百貨店の催事551蓬莱と名古屋地下鉄の壁画


 ブログ「Stay The Young (Trilogy)」をお読みいただき、ありがとうございます。

 昨日の午前中はいつもとは違う場所へ足を運びました。
 下の写真がそれで、昨年8月下旬以来、2回目となります。
 

 こちらの方が距離的に近くて、前を走ることもしばしばあるのですが。とにもかくにも、今回で目的を果たすことができました。また、「シャローム!」が素晴らしかったです。
 次に地下鉄で移動。
 下の写真は久屋大通駅にある壁画「人間讃歌」です。
 

 午後からは名鉄百貨店で行われている「第6回 全国逸品うまいものまつり」へ足を運びました。お目当てはもちろん551蓬莱で、豚まん等を購入。
 下の写真にあるように5月にも出店が予定されていることから、忘れないようにメモを。
 

 551蓬莱の他にも、崎陽軒のシウマイを購入。こうしたグルメの催事に足を運んだのは久しぶりでした。

 以下は余談。
 いつもと違うことをするのが以前は苦痛でしたが、今はそれが楽しい。どうしてなのか。自分でも理由が分からないけれど、風が思いのままに吹くように、心の思うがままに任せよう。

Vol.216 続『ブルトマン著作集9』聖書学論文集3の2つの論文を読んで


 ブログ「Stay The Young (Trilogy)」をお読みいただき、ありがとうございます。

 以前の更新(Vol.208)にて、『ブルトマン著作集9』聖書学論文集3に収録された2つの論文を取り上げた。今回もそれと同じ形式で、『ブルトマン著作集9』聖書学論文集3に収録された2つの論文「イグナティオスとパウロ」と「使徒行伝の資料問題」について記したいと思う。
 はじめに「イグナティオスとパウロ」について(1日夕方に読む)。
 「イグナティオスとパウロ」に関しては、荒井献編『使徒教父文書』(講談社文芸文庫)に収録された『イグナティオスの手紙』を読み終えてから、と決めていた(むしろ、当然そうあるべきだろう)。
 『イグナティオスの手紙』の7つの書簡については、以前の更新(Vol.210)で取り上げたが、再掲しておくと、

  『イグナティオス・エペソ』第一~二一章
  『イグナティオス・マグネシア』第一~一五章
  『イグナティオス・トラレス』第一~一三章
  『イグナティオス・ローマ』第一~一〇章
  『イグナティオス・フィラデルフィア』第一~一一章
  『イグナティオス・スミルナ』第一~一三章
  『イグナティオス・ポリュカルポス』第一~八章

 となっており、その際には『イグナティオス・フィラデルフィア』について書き記した。
 

 ブルトマンによれば、イグナティオスは「パウロの足跡に従って」おり(『イグナティオス・エペソ』12;2)、「キリスト教信仰をひとつの実存的な姿勢として理解」している(52ページ)。また、「イグナティオスは、パウロと同様、古いものと新しいものとの対立を肉と霊との対立として特徴づけることができた。(中略)パウロとの大きな違いは、イグナティオスにとって肉とは第一義的には罪の領域ではなく、過ぎ去りゆくことの領域、死の領域だということである」(60~61ページ)。
 「イグナティオスとパウロ」において、ブルトマンは『イグナティオスの手紙』の中から『イグナティオス・エペソ』、『イグナティオス・マグネシア』、『イグナティオス・ローマ』を比較的多く引用していた。
 

 次に「使徒行伝の資料問題について」を取り上げる(8日夕方に読む)。
 最初に読み始めたときは、すごぶる退屈な印象を受けたが、読み進むうちに、終わり近くなって、俄然、面白く感じた。本論ではブルトマンによる二つの批判的な問いが提出されており、その二番目の問いに関するブルトマンの釈義(80~89ページ)に刺激を受けた。

 主要な問いは、一六章からの基礎に置かれている旅行記とこの「アンテオケ」資料との関係についての問いだ、と言えるであろう。(中略)パウロの旅行のひとりの同伴者あるいは複数の同伴者たちは、アンテオケ教会出身者であった、と推測することができよう。その場合、おそらく自分自身がアンテオケ出身者であったであろう著者は、教会の文書室で、「アンテオケ」資料も旅行記も利用することができたであろう(87ページ)。

 「使徒行伝の資料問題について」を読んでから、僕が『使徒行伝』を読み直したくなったのは言うまでもない。また、(ブルトマンの釈義による)新たな知識によって、以前とは違った視点で『使徒行伝』を読んだことも付け加えておく。

Vol.215 『ポリュカルポスの手紙』と『ポリュカルポスの殉教』を読んで


 ブログ「Stay The Young (Trilogy)」をお読みいただき、ありがとうございます。

 7日の午後、前回の更新(Vol.214)で取り上げた『ヘルマスの牧者』に続き、『ポリュカルポスの手紙』と『ポリュカルポスの殉教』をざっと読んだ。「ざっと」の理由としては、巻末に付された訳者の解説に「ただし、(『ポリュカルポスの殉教』の)原文がきざな内容であるから、訳文の文体は好んでさぎな安手の文体にした」とあり、文章にとって、文体はとても大事である、という僕の考えから、熟読しなかった。
 『ポリュカルポスの手紙』と『ポリュカルポスの殉教』を同列に論じるのは間違っているかもしれないが、ここでは都合上、そうさせていただく。
 『ポリュカルポスの手紙』は「ピリピに寄留する神の教会」へ宛てられている。
 ブルトマンの論文においては、『手紙』が『殉教』より圧倒的に多く取り上げられている。『手紙』は2;1と7;1~2が多数引用されている。『殉教』は7;2、7;3、14;2、19;2を取り上げている。
 ブルトマンによれば、『ポリュカルポスの手紙』は「本質的には道徳的訓戒を内容としているが、この世から離れて将来への希望によって規定されているようなキリスト教の記録である。(中略)キリストが『義の手付金』とされているのは特色がある」。訓戒が「この手紙の全体を一貫している」。「それ故、一貫してキリスト者の生は戒めの実行とこの世を捨てる歩みによって、将来の救いに備えをすることと理解されている」と指摘する(『著作集5』104~106ページ)。
 

 『ポリュカルポスの手紙』と『ポリュカルポスの殉教』のどちらにも親切に翻訳者による小見出しが付いていることから、参考のために章・節の確認を兼ねて、それを引用しておく。

  『ポリュカルポスの手紙』
 挨拶
 ピリピ教会の現状についての感謝 1;1~3
 一般的な訓戒 2;1~3
 ピリピ教会とパウロ 3;1~3
 家庭・教会訓 4;1~3、5;1~3、6;1~3
 異端の教え 7;1~2
 キリストの忍耐 8;1~2
 殉教者のこと 9;1~2
 正しい信仰者と脱落者 10;1~3、11;1~4、12;1
 結びの祈り 12;2~3
 イグナティオスの手紙について 13;1 
 結び 14;1

  『ポリュカルポスの殉教』
 序
 殉教について 1;1~2;1
 殉教者の高貴さ 2;2~4
 ゲルマニクスの勇気 3;1~2
 クイントスの裏切り 4;1
 ポリュカルポスの避難 5;1~2
 イエスの受難との類似 6;1
 逮捕 7;1~3、8;1
 治安長官ヘロデ 8;2~3
 競技場にて総督の訊問 8;3、9;1~2、10;1~2、11;1
 焚刑の決定 12;1~3
 処刑準備 13;1~3、14;1
 最後の祈り 14;1~3
 処刑 15;1~2、16;1~2
 聖死体の処理 17;1~3、18;1
 あとがき 19;1~2、20;1~2
 後の読者が付け加えたメモ 21;1
 写本家の付記 その一 22;1~3
 写本家の付記 その二 22;1~5

 下の写真はテキストとして使用した荒井献編『使徒教父文書』(講談社文芸文庫)の目次で、先月25日から読み始めて、今月7日に完読したことから、敬虔なキリスト者ならば、きっとそうするだろうと思い、最後に訳者5名へ感謝の言葉を記したい。