vol.294 『ヨハネの黙示録』を読んで


 ブログ「Stay The Young (Trilogy)」をお読みいただき、ありがとうございます。

 先週、数回に分けて、『新約聖書略解』を参照しつつ、『ヨハネの黙示録』を読みました。
 

 自分勝手な解釈ではいけないと思い、『新約聖書略解』以外にも、いくつかを参考にしたけれど、解説者によって、言葉(象徴)の解釈が違ってくるのだから、困る。感想を端的に記せば、分かったような気がするだけで、実は分からない、といった具合だ。
 千、七、三分の一などの数字がやたらと出てくるのも理詰めで、味気ない。最後まで読み通せば、クリスチャンに対する励ましの書(新しい天と新しい地やキリストの再臨)と理解するが、福音書やパウロの手紙のような、救済されたという実感が僕には湧かない。僕の『ヨハネの黙示録』に対する思考の中にブルトマンの考え方が潜んでいるからだろうか。
 参考までに、『ブルトマン著作集』5巻「新約聖書神学Ⅲ」第五八章「キリスト論と救済論」に『ヨハネの黙示録』が論じられている。「ヨハネ黙示録のキリスト教は、若干キリスト教化されたユダヤ教と言うほかはないであろう(本書109ページ)」。

 以下は余談。
 昨今、ニュース番組などで、センセーショナルに取り上げられる犯罪の元凶はたった一つで、現代日本の他人に親切にしない社会に由来する。つまり、他人に親切にしないから、他人からも親切にされない。個人が社会を支え、社会が個人を支えるといった分かりきったことさえ、見失われているかのようだ。困っている人や悩んでいる人が大勢いて、僕のそのひとりでありながら、僕は自分にできる限り、それを実行している。

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