vol.1538 尾張三地蔵霊場 後編


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 前回の更新(vol.1537)からの続きで、一昨日の午前中、尾張三地蔵霊場を巡拝しました。
 はじめに一番札所である瑞泉寺の身代り地蔵、次に三番札所である地蔵寺の子育て地蔵、最後に二番札所である常観寺のお釜地蔵を参拝しました。
 

 

 

 尾張三地蔵と書いてきたけれど、看板を読むと、「名鉄沿線尾張三地蔵の一つ」と記されており、堂宇の前に建つ石柱の右下にも「途中下車駅」と刻まれていました。
 さらに気になったのは、「尾張六地蔵の一つ」とありましたが、僕が以前に巡拝した尾張六地蔵霊場(1番・長光寺、2番・清浄寺、3番・地蔵院、4番・如意寺、5番・島田地蔵寺、6番・芳珠寺)とは違っています。
 江南市観光協会のサイトを読むと、以下のように記されていました。

 常観寺
 久昌寺の末寺で、境内の地蔵堂に鉄で造られた地蔵菩薩像「鋳鉄地蔵菩薩立像」(県指定文化財)で知られています。この地蔵には、煮えたぎる風呂釜から子供を救ったという伝説から通称お釜地蔵と呼ばれており、尾張六地蔵の第二番として信仰されています。

 看板やサイトに記されている尾張六地蔵とは何ぞやと思い、調べたところ、どうやら尾張國六地蔵と呼ぶらしく、1番・剣光寺(一宮市木曽川町)、2番・常観寺、3番・観聴寺(名古屋市熱田区)、4番・真長寺(犬山市)、5番・釜地蔵寺(愛西市)、6番・長光寺(稲沢市)となっていました。 
 6番・長光寺(稲沢市)は既に参拝済み(vol.1378、vol.1379)で、5番・釜地蔵寺について、愛西市のホームページ(史跡・文化財等)には、「約350年前に作られた、鋳鉄地蔵菩薩立像『釜地蔵』が安置されているお寺。県文化財にも指定され、尾張六地蔵の一つに数えられています」と記されていました。
 まだ巡拝していない尾張國六地蔵霊場の4箇寺も、いつかは参拝してみたいな、と。
 尾張三地蔵霊場の3箇寺を巡拝したはすが、最後は尾張六地蔵の話題となってしまいました。

vol.1537 尾張三地蔵霊場 中編


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 前回の更新(vol.1536)からの続きで、昨日の午前中、尾張三地蔵霊場を巡拝しました。
 はじめに犬山市へ行き、一番札所である瑞泉寺の身代り地蔵を参拝しました。
 

 

 

 身代り地蔵の堂宇は瑞泉寺というよりも、犬山成田山(大聖寺)の境内に建っているという印象で、犬山成田山には何度も参拝していますが、恥ずかしながら、身代り地蔵は今までスルーしていました。
 次に江南市へ向かい、順打ちにはこだわらず、三番札所である地蔵寺の子育て地蔵を参拝しました。
 

 

 

 境内を掃除されている檀家さんがいらしたので、地蔵寺について、いろいろとお話をお伺いしたところ、総代以下、皆、高齢で、新型コロナを機に春夏大祭も行われていない、とのこと。
 最後に同市内を走って、二番札所である常観寺のお釜地蔵を参拝しましたが、続きは次回の更新にて。

 以下は余談。
 地蔵寺が所蔵する円空仏は韋駄天像で、円空さんもここへ足を運んだのだろう(現在は永正寺寄託)。

 追記。
 後で気が付きましたが、地蔵寺は2013(平成25)年3月に既に参拝していました。当時とは山門等が変わっており、初めて足を運んだとばかり思っていました。

vol.1536 尾張三地蔵霊場 前編


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 昨年の一年間に巡った霊場は11霊場で、東海百観音(尾張三十三観音霊場・美濃西国三十三観音霊場、三河三十三観音霊場)、中濃八十八ヶ所霊場、関三弘法霊場、名古屋三弘法霊場、三河三弘法霊場、三河新四国霊場、三河三不動霊場、尾張六地蔵霊場、美濃新四国八十八ヶ所霊場、尾張三霊場でした(計386札所)。
 僕としては、(霊場を)あらかた巡り終えたかな、と考えていたのですが、過日、縁があって、下の写真にあるように「尾張三地蔵尊第三番霊場山尻地蔵寺」の御札を授かりました。
 

 地蔵寺の御札が僕の手元にあるということは、まだ参拝していない尾張三地蔵霊場の3箇寺を巡拝せよ、とのお告げとしか思えず、尾張三地蔵について調べたところ、江南市のホームページに以下のように記されていました。

 この地方で尾張三地蔵と称されるものは、瑞泉寺(犬山市)の身代り地蔵・地蔵寺(山尻)の子育て地蔵・常観寺(小折)のお釜地蔵で、安産と子育ての守り本尊として知られております。旧暦の正月24日と7月24日の地蔵まつりには、本尊の開帳行事に併せて提灯が境内一杯に灯り、参詣の人でにぎわいます。

 尾張三地蔵霊場は第一番・瑞泉寺の身代り地蔵、第二番・常観寺のお釜地蔵、第三番・地蔵寺の子育て地蔵と分かったことから、いざ、霊場巡拝へ。
 と、ここまで書いてきて、前置きが長くなってしまったことから、続きは次回の更新で。

 以下は余談。
 これからの未来、日本円が今よりももっと紙屑になっていくことは間違いないとして、個人としてどんな対策ができるのかを考えてみたけれど、いわゆる年収500万円以下の低所得者である僕にできることと言えば、せいぜいサバイバル能力を上げておくことぐらいだろうか。

vol.1535 円空賞受賞者宮本勉氏の陶芸作品「無題」


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 今から6年前のことになりますが、長谷川公茂先生に随行して、岐阜県美術館で行われている第9回円空大賞展を見に行きました(vol.8)。
 第9回円空大賞は円空大賞1名、円空賞4名が選ばれて、円空賞受賞者の1名が富山県出身の現代芸術家である宮本勉氏でした。
 長谷川公茂先生の選評を読むと、「宮本氏の作品は陶芸、木彫、レリーフ、紙粘土作品など多種多彩である。陶芸作品などは、粘土を板状に伸ばし丸め、土偶のようなものもあり、祈る人物もあり、また楽しそうに踊っているものもある 。しかしよく見ると花器のようでもあり、宇宙人が踊っている様子とでもいうか、不思議な造形になっている。(中略)どうやら宮本氏は自然に造形作品が次から次へと湧き出る、自由自在な精神の持ち主のようで、摩訶不思議な造形作家であると思う」と記されていました。
 以上、前置きが長くなりましたが、ここからが本題。
 宮本氏の口から「(作品が)思ったように売れない」と耳にした長谷川先生は「(作品を)私が買って庭に飾ります」ということで、作品が長谷川先生の家の庭を飾ることに。
 下の写真は長谷川先生が買い取った宮本氏の陶芸作品の内の1つで、「無題」です。
 

 第9回円空大賞から6年の歳月を経た今、昨夏に亡くなられた長谷川先生のご遺族の意向に沿って、先週末、『尾張名所図会』に描かれている由緒ある某所の庭へ長谷川先生が買い取った宮本勉氏の作品を置くことになりました。
 

 こうして無事に橋渡し役を終えられて、安堵しています。

vol.1534 スズメバチの巣は縁起物


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 一昨日、冬越しをしたコガタスズメバチの古い巣を見つけたことから、駆除しました。
 巣の駆除自体は大したことはなかったのですが、柵がない足場の不安な高い場所に営巣されていたことから、はしごを降りる際には体にロープを巻き付けたりと、高所が苦手な僕は冷や汗をかきました。
 駆除した後、巣を解体したところ、中からコガタスズメバチの死骸と一緒に別の虫の幼虫が何匹も出てきました。
 

 冬越しの古い巣については、働きバチがもういないということで、放置しても構わないと思われがちですが、次の巣作りの材料になることから、新たにハチを呼び寄せたり、古い巣が別の虫の住処になったりと、駆除する必要があります。
 下の写真は駆除した巣からさほど離れていない場所で見つけた新女王バチです。
 

 駆除したコガタスズメバチの巣は今回で5個となり、これまでと同様、僕の部屋のインテリアとして飾りたいと思いますが、家の者には気持ち悪いと不評です。

 以下は少し長い余談。
 僕は実年齢の割に若く見られたり、低姿勢だったりして、他人から下に見られたり、舐められることが多々あって、そうした人に対しては、面と向かって反論しないことから、最悪の場合、相手が強く出てきて、不当な個人攻撃を受けることがある。今現在も円空学会のK氏や木端の会のU氏、荒子の里協議会のN氏などから、そうした扱い(暴言を吐かれるなど)を受けているけれども、シスター渡辺和子さんは母親から「人間の大きさは、その人の心を乱す事がらの大きさなのだよ」と教えられ、この言葉を自分自身に言い聞かせて、平常心に立ち戻るとのこと。僕もシスターを見習い、そうした人に対して、怒りなどの感情を抑えて、平常心を取り戻している。

vol.1533 円空展の図録にサイン


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 少し前の更新(vol.1337、vol.1404、vol.1504)と関連した話題で、あべのハルカス美術館の円空展が終わって、昨日の午前中、貸与していた円空仏が無事に戻ってきました。
 例によって、図録を頂戴したことから、サインを書いていただきました。
 

 

 以下は余談。
 前回の更新(vol.1532)で書いたお花見は花筏になっていました。
 

vol.1532 一宮史談会と森徳一郎の遺稿集


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 昨年の春、一宮市博物館で開催された企画展「没後50年 郷土史家 森徳一郎 浅野研究から一宮市史へ」に併せて、尾張野文化研究会より発刊された森徳一郎先生の遺稿集『そら琴集』の話題を取り上げました(vol.1226、vol.1258)。
 同様の(森徳一郎先生の)遺稿集は一宮史談会より刊行されており、今まで話題として取り上げていなかったことから、書き記しておきたい。
 下の写真は昭和48年3月に発行された遺稿集1『続森吐句集』(一宮史談会叢書13)の表紙と「発刊のことば」です。
 

 

 

 下の写真は昭和53年3月に発行された遺稿集2『一宮石の華』(一宮史談会叢書15)の表紙と「発刊のことば」です。
 

 

 長谷川公茂先生が亡くなられて、森徳一郎先生を直接知る人がほとんどいなくなった今、こうして書いておくのは僕の役目かもしれません。
 尚、森徳一郎先生の著作は多数あるけれど、いずれも森先生が亡くなられた後、一宮市図書館に納められて、今も読むことができます。

 以下は余談。
 4月になってから、更新が1週間以上、滞ってしまい、お花見のネタは芸がないだろうと避けてきました。
 

 今日、4月8日は花祭り。