Vol.143 外典『マナセの祈り』と『エレミヤの手紙』を読んで


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 今月7日の夕方に『マナセの祈り』と『エレミヤの手紙』を読んだ。それぞれに僕が思うところのあった箇所を備忘録として、列挙しておく。

 『マナセの祈り』
 11 今、わたしは心のひざをかがめて あなたの憐れみを求めます。
 

 『エレミヤの手紙』
 4-5 気をつけなさい。群衆が神々の像を前から後ろから伏し拝むのを見て、あなたたちまでが異国から来た民に似た者となり、それらを恐れるようなことがあってはなりません。むしろ心の中で、「主よ、伏し拝むべき方はあなたです」と言いなさい。
 6 神の使いがあなたたちと共にいて、あなたたちの生活を見守っているからです。
 11 さびと虫食いから身を守れないのです。紫の衣をまとってはいますが、
 14 右手に短剣や斧を持ってはいますが、戦争や盗賊から身を守ることもできません。このように、それらの像が神でないことははっきりしているのですから、恐れてはなりません。
 20 その顔は神殿に漂う煙で黒ずんでいます。
 24 莫大な値段で買い求められますが、それらは息をしていません。
 46 神々の像を造る者でさえ、人より長生きするわけではありません。
 52 神々の像は一国に王を立てることも、人間に雨を恵むことも決してできません。

 「旧約聖書続編」、「第二正典」、「外典」、「アポクリファ」と、いろいろ呼び名はあるようだが、少し前の更新でも書いたように、ブルトマンが著作で取り上げていることもあって、『聖書』であろうが、なかろうが、それは問題ではなく、僕としては目を通さざるを得ない。理解を深めるために。

Vol.142 『シラ書(集会の書)』第三〇~五一章を読んで


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 前回の更新(Vol.141)からの続きで、昨日7日は『シラ書(集会の書)』第四一~五一章を読んだ。
 僕が『シラ書(集会の書)』を読むきっかけとなったのは、第三〇章21~25節の「晴れやかな心」であった。今の僕自身、それが必要だとアドバイスされているようで。

 三〇章
 14 貧しくても健康で体力のある方が、裕福で病気に苦しんでいるよりはよい。
 15 健康で丈夫な体は、あらゆる黄金にまさり、強じんな精神は、莫大な財産にまさる。
 16 体の健康にまさる富はなく、心の喜びにまさる楽しみもない。
 17 つらい生活を送るよりは、死んだ方がよく、長く患うよりは、永遠の安息の方がよい。
 18 食欲を失った者の前に、並べられたごちそうは、墓に供えられた食べ物と同じである。
 21 悲しみに負けて気力を失うな。あれこれ思い悩むことはない。
 22 朗らかな心は、人を生気にあふれさせ、喜びは長寿をもたらす。
 23 気分を変えて心を奮い立たせ、悲しみを遠くへ追い払え。悲しみは多くの人を滅ぼした。それは何の益にもならない。
 24 ねたみや、怒りは寿命を縮め、思い煩いは人を老けさせる。
 25 快活な心は食欲を旺盛にし、食べ物をおいしく味わわせる。
 三一章
 13 意地汚い目つきは下品であるとわきまえよ。造られた物の中で、目ほどさもしさを表すものはない。だから、人はごちそう一つ一つに目を潤ませる。
 15 同席の人を自分のことのように思いやり、すべてのことに気を配れ。
 16 出されたものは人間らしく食べよ。人に嫌われないように、音を立てて食べるな。
 18 大勢の人と食卓を共にするときは、他の者より先に手を出すな。
 三二章
 8 簡潔に話せ。わずかな言葉で多くを語れ。博識ではあっても寡黙であれ。
 11 潮時と見たら、席を立ち、ぐずぐずするな。まっすぐ家へと急ぎ、道草を食ってはならない。
 19 よく考えずに何事をも行うな。そうすれば、何をしても後で悔やむことがない。
 20 危ない道を歩むな。そうすれば、石だらけの道でころぶことはない。
 23 何事をするにも自信を持て。これも掟を守ることなのである。
 三三章
 4 話は前もって準備せよ。そうすれば聞いてもらえる。習得したことを整理してから答えよ。
 5 愚か者の心は、馬車の車輪のようなもの、その考えは、心棒のようにぐるぐる回る。
 7 どうして、ある日はほかの日よりも重要なのか。一年のどの日にも、同じ太陽の光が注ぐのに。
 三七章
 13 何よりも心に浮かんだ考えを大切にせよ。これ以上に頼りになるものはないのだから。
 14 高い所から見張る七人の監視役にまさって、人の魂は、時として、その人自身に語りかける。
 三八章
 21 忘れてはいけない。その人は戻らないのだ。嘆いても彼のためにはならず、自分の体を損なうだけだ。
 22 彼の運命であったと考えよ、お前も同じ定めにあるのだから。「昨日はわたし、今日はお前の番だ。」
 四〇章
 1 つらい労苦は、人間だれしも避けられないもの。重い軛がアダムの子孫にのしかかっている。母の胎を出た日から、万物の母なる大地のもとへと戻るその日まで。
 四一章
 2 死よ、お前の宣告はなんとありがたいことか、生活に困り、力衰えた者にとって、また、老け込んで、あらゆることに心を悩まし、頑固になり、忍耐を失った者にとっては。
 

 四四章から五〇章までは『旧約聖書』の主要な登場人物の人生を著していた。

 四四章
 9 忘れ去られた者もある。彼らは、存在しなかったかのように消え去り、あたかも生まれ出なかったかのようである。彼らの子孫も同様であった
 四七章
 17 あなたの歌、格言、たとえのゆえに、あなたが与えた解釈のゆえに世界は驚嘆した。
 四八章
 1 そして火のような預言者エリヤが登場した。彼の言葉は松明のように燃えていた。
 23 太陽が後戻りして王の寿命が延ばされたのは、イザヤの時代であった。
 四九章
 4 ダビデとヒゼキヤとヨシヤを除き、すべての王は罪に罪を重ねた。彼らはいと高き方の律法を捨てたのだ。こうしてユダの王室は絶えた。
 7 人々はエレミヤを虐げた。このエレミヤは、抜き取り、苦しめ、滅ぼすために、しかしまた、建て、植えるためにも、母の胎にいるときから預言者として聖別されていたのである。
 8 エゼキエルは栄光の幻を見た。神がケルビムの車輪の上で示されたものである。
 五〇章
 27 悟りと知識の教訓をこの書物に書き記したのは、シラ・エレアザルの子、エルサレムに住むイエススである。彼は知恵をその心から注ぎ出した。
 五一章
 9 わたしは地上から嘆願の声をあげ、死からの救いを祈り求めました。
 25 わたしは口を開いて語ってきた、知恵を得るのに金はかからないと。

 全五一章に目を通したが、体調やその日の気分によって、どの聖句が心に響くかは当然違ってくる。だが、しかし、こうして書き留めておくことで、今の自分を後になって知ることができるだろう。

Vol.141 『シラ書(集会の書)』第一~二九章を読んで


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 この春から本格的に読み始めた『聖書』は、残すところが『旧約聖書』の『レビ記』、『民数記』、『サムエル記下』、『歴代志上』、『歴代志下』、『詩篇』、『ダニエル書』、『マラキ書』と『新約聖書』の『ヨハネの黙示録』となった。
 このあたりで少し目先を変えて、『外典(アポクリファ)』と呼ばれる文書に目を通してみたくなった。
 そもそもブルトマンの著作を読むと、『外典(アポクリファ)』と呼ばれる文書がしばしば取り上げられており、その筆頭とも呼べるのが『シラ書(集会の書)』である。
 僕は『聖書』を基本的に口語訳で通読しているが、外典に限っては、翻訳の事情により、新共同訳で目を通すことに。
 前置きはこのくらいにして、本題へ移ろう。
 『シラ書(集会の書)』は今月3日から読み始めて、昨日の6日時点で、第一~四〇章まで目を通した。今回の更新では第一~二九章までを取り上げたい。
 以下は備忘録として、僕が個人的に気に入った箇所を列挙しておく。

 一章
 14 主を畏れることは、知恵の初めである。知恵は、主を信じる人たちに 母の胎内にいるときから与えられている。
 23 辛抱強い人は、時が来るまで耐え忍ぶ。耐え忍んだ後には、気分が晴れて壮快になる。
 二章
 1 子よ、主に仕えるつもりなら、 自らを試練に向けて備えよ。
 3 主に寄りすがり、決して離れるな。そうすれば、豊かな晩年を送ることになる。
 三章
 18 偉くなればなるほど、自らへりくだれ。そうすれば、主は喜んで受け入れてくださる。
 四章
 4 悩んで助けを求める人を拒むな。貧しい人から顔を背けるな。
 5 物乞いする人から目を背けるな。お前を呪う口実を彼に与えるな。
 6 その人が恨みを込めてお前を激しく呪えば、 造り主は、彼の願いを聞き入れられるから。
 7 会堂では、人々から好意を持たれるようにせよ。権威ある者には、頭を低くせよ。
 12 知恵を愛する者は、命を愛する者。朝早く起きて知恵を求める者は、 喜びに満たされる。
 17 知恵は、最初、お前を険しい道に連れて行き、 恐れの気持を抱かせて、おじけさせる。知恵の試練は、お前を激しく苦しめる。知恵は、お前を信頼するまで、 数々の要求を突きつけて、お前を試みる。
 18 だがすぐに、知恵は再びお前のもとに来て、 お前を喜ばせ、その真意を明らかに示す。
 19 しかし、お前が道をそれるなら、 知恵はお前を見捨て、 お前が破滅していくにまかせる。
 五章
 11 人の言葉には、速やかに耳を傾け、 答えるときは、ゆっくり時間をかけよ。
 六章
 6 多くの人々と親しく挨拶を交わせ。だが、相談相手は千人のうち一人だけに限れ。
 27 足跡を追って、知恵を探せ。そうすれば、知恵が見つかるだろう。しっかりつかんだら、それを手放すな。
 28 ついには、知恵に憩いを見いだし、 知恵は、お前にとって、喜びに変わるだろう。
 35 神に関する話には、進んで耳を傾け、 洞察を秘めた格言は、聞き漏らすな。
 36 洞察に富んだ人に出会ったら、 朝早くからその人のもとへ行き、 戸口の敷石がすり減るほど、足しげく通え。
 一〇章
 29 自分自身を汚す者を、 だれが正しい人と認めてくれるだろうか。自分自身を軽んじる者を、 だれが重んじてくれるだろうか。
 一一章
 23 お前はこう言ってはならない。「今の自分は何の役に立つのだろう。今後役に立つとしたら、それは何だろう」と。
 25 人は、幸福なときには不幸を忘れ、 不幸なときには、幸福を思い出さない。
 一三章
 25 心の状態で、人の顔つきは変わる。うれしい顔にもなれば、悲しい顔にもなる。
 26 晴れやかな顔は、良い心の表れである。それにしても、格言作りは、骨が折れる。
 一四章
 6 自分のことで物惜しみする人ほど 痛ましい者はない。それこそは、その人の悪の報いである。
 18 枝先に揺れる葉も、 散ってはまた芽生え出る。血と肉である人間の世代も、 ひとつが終われば、他のものが生まれる。
 一五章
 17 人間の前には、生と死が置かれている。望んで選んだ道が、彼に与えられる。
 一六章
 30 主は、地の面をあらゆる命あるもので覆われた。しかしこれらは、死んで再び土に帰る。
 一七章
 28 死んで、もはや存在しない人からは、 感謝の言葉も消えうせる。生きていて健やかなときにこそ、 人は主を賛美する。
 一八章
 7 人が究め尽くしたと思ったときは、 まだ始まったばかりであり、 途中でやめてしまうと、徒労に終わる。
 8 人間とは何者か。その存在の意義は何か。その行う善、その行う悪とは何か。
 9 人の寿命は、長くて百年。〔しかし、永遠の眠りは計り難いほど長い。〕
 10 大海の中の一滴、砂の中の一粒のように、 永遠という時に比べれば、 この寿命はわずかなものにすぎない。
 17 親切な言葉は、高価な贈り物にまさるではないか。情け深い人は、両方とも備えている。
 26 早朝から夕方へと、時は移り、 すべては、主の御前で、速やかに過ぎ去る。
 一九章
 29 人は、会ってみれば分かる。賢い人は、顔を合わせてみればすぐ分かる。
 30 身なりや笑うときの口の開け方、 また、その歩きぶりは、その人の人柄を示す。
 二〇章
 9 不幸な目に遭って、幸せを見つける人もいれば、 思わぬ幸運に巡り会って、損をする者もいる。
 

Vol.140 『サムエル記上』を読んで


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 今月4日(一昨日)に『サムエル記上』の第一~一三章を、翌日の5日(昨日)に第一四~三一章を読んだ。

 二章
 一 ハンナは祈って言った、「「わたしの心は主によって喜び、わたしの力は主によって強められた、わたしの口は敵をあざ笑う、あなたの救によってわたしは楽しむからである。
 二 主のように聖なるものはない、あなたのほかには、だれもない、われわれの神のような岩はない。
 三 あなたがたは重ねて高慢に語ってはならない、たかぶりの言葉を口にすることをやめよ。主はすべてを知る神であって、もろもろのおこないは主によって量られる。
 四 勇士の弓は折れ、弱き者は力を帯びる。
 五 飽き足りた者は食のために雇われ、飢えたものは、もはや飢えることがない。うまずめは七人の子を産み、多くの子をもつ女は孤独となる。
 六 主は殺し、また生かし、陰府にくだし、また上げられる。
 七 主は貧しくし、また富ませ、低くし、また高くされる。
 八 貧しい者を、ちりのなかから立ちあがらせ、乏しい者を、あくたのなかから引き上げて、王侯と共にすわらせ、栄誉の位を継がせられる。地の柱は主のものであって、その柱の上に、世界をすえられたからである。
 九 主はその聖徒たちの足を守られる、しかし悪いものどもは暗黒のうちに滅びる。人は力をもって勝つことができないからである。
 一〇 主と争うものは粉々に砕かれるであろう、主は彼らにむかって天から雷をとどろかし、地のはてまでもさばき、王に力を与え、油そそがれた者の力を強くされるであろう」。

 『創世記』から始まる『旧約聖書』の中で、最も面白く読んだというのが、正直な感想だ。特に三章のサムソンが主からの呼びかけに応じる場面と、サウルが登場する九章からは続きが読みたくなるといった具合だ。
 

 サウルの評判は『聖書』を論ずる人たちからは芳しくないけれど、僕はサウルほど人間的な登場人物は他にないと感じた。
 サウルはサムエルを待たずに、主の命じた命令を守らなかった。悪霊に悩まされるが、琴の音を聞くと、良くなる。ダビデを殺そうとした。口寄せの女を呼ぶ等々、最後には自害する。
 僕にとって、『サムエル記上』はサウルの人生物語として、『旧約聖書』の他の書物よりも、印象深く心に残ったのだった。

Vol.139 2つのモザイク(タイル画)を目にして


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 前回の更新(Vol.138)に関連する話題で、名古屋中央教会の玄関口を彩る素敵なモザイク(タイル画)を目にしました。
 その際、ふと頭に浮かんだことがあり、昼食前の空き時間に少し歩いて、目と鼻の先にある中日ビルへ行きました。
 というのも、ここにも確かモザイク(タイル画)があったはず。
 下の写真がそれで、どうやらこの天井にあるモザイク(タイル画)は「夜空の饗宴」というらしい。
 

 今まで中日ビルに何度も出入りして、目にしているが、さほど興味が湧かなかったけれど、2019年3月末で閉館することから、間近で見たり、手で触れたりして、じっくりと観察しました。
 

Vol.138 久屋ぐるっとアートのスタンプラリーとイベント


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 今日の午前中は名古屋市東区(栄地区)で行われていた「久屋ぐるっとアート」のスタンプラリーに参加して、名古屋中央教会のパイプオルガンミニコンサートを聴きました。
 下の写真は「久屋ぐるっとアート」のスタンプ場所になっている名古屋中央教会の玄関口です。
 


 下の写真は礼拝堂で行われていたパイプオルガンミニコンサートの様子です。
 

 少し遅い昼食を済ませた後、調べものの為、鶴舞にある名古屋市図書館(鶴舞中央図書館)へ向かいました。

Vol.137 関市洞戸円空記念館と高賀神社の秋季大祭


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 今日の午後は岐阜県関市にある関市洞戸円空記念館へ行き、長谷川公茂先生の写真撮影のお手伝いをしました。
 

 下の写真は関市洞戸円空記念館に展示されている日光・月光菩薩像で、像の背面に梵字が記されていました(写真は関市洞戸円空記念館から許可を得て撮影しており、転載・再配布等を固く禁止します)。
 

 帰途は長谷川公茂先生と一緒に道の駅へ立ち寄ったり、喫茶店でコーヒーブレイクをしたりと楽しい時間を過ごしました。
 

 文末になってしまいましたが、関市洞戸円空記念館の皆様には、写真撮影等で、大変お世話になりました。この場を借りて、お礼申し上げます。

 以下は余談。
 明日の文化の日は高賀神社にて秋季大祭が行われます。また、関市洞戸円空記念館の入館料が無料となります。