Vol.200 村田和人さんの夏


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 区切りの更新は故村田和人さんの話題を、と自分勝手に決めています。
 村田さんと言えば、「夏」ですよね。でも、これを書いている今、一年で最も寒い時期。村田さんがいる天国にも四季があったら、そこだけはやっぱり夏なんだろうな、と。
 下のショート動画は村田さんのライブ(トーク)で、12月中旬の寒い日に行われた際、撮影しました(ご本人の許可を得ています)。


 会場までバイクで駆けつけ、入店した際、厚着をしていた僕を目にした村田さんが「今日は来てくれて、ありがとう。寒いね。大丈夫?」と声を掛けてくださいました。僕は「今日、この場所だけは夏ですから」とお返事をしたら、村田さんはニッコリと笑って、頷いてくれました。
 僕も村田さんと同じで、夏が大好きな夏男。村田さんの歌声を聴いて、寒さを吹き飛ばすぞ。

Vol.199 『民数記』一章から二〇章を読んで


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 過日(17日)の午後、『民数記』を約3時間半かけて、一気に読みました。『レビ記』の際(Vol.194)も約3時間半かけて一気に読破したのですが、こちらも内容が内容だけに途中で投げ出せないな、と。
 

 『民数記』の五章と七章について、正直に告白すると、今まで読んだ『聖書』の中で、最もつまらないと感じました(アバ、父なる神さま、ごめんなさい)。たとえば「夫が疑いの心を起こして妻を疑うこと(五章)」はこの僕と何の係わりがありますか、と。あるいは繰り返される「酬恩祭の犠牲に使う雄牛二頭、雄羊五頭、雄やぎ五頭、一歳の雄の小羊五頭であって(七章)」は呪文か早口言葉にしか思えない。
 九章で幕屋を建て、一〇章以降はストーリーが動き出して(シナイの荒野を出て)、どうにか読み進むことができた。
 一一章
 3 主の火が彼らのうちに燃えあがったことによって、その所の名はタベラと呼ばれた。
 4 また彼らのうちにいた多くの寄り集まりびとは欲心を起し、イスラエルの人々もまた再び泣いて言った、「ああ、肉が食べたい。
 19 あなたがたがそれを食べるのは、一日や二日や五日や十日や二十日ではなく、
 20 一か月に及び、ついにあなたがたの鼻から出るようになり、あなたがたは、それに飽き果てるであろう。それはあなたがたのうちにおられる主を軽んじて、その前に泣き、なぜ、わたしたちはエジプトから出てきたのだろうと言ったからである』」。
 一二章
 3 モーセはその人となり柔和なこと、地上のすべての人にまさっていた。
 10 雲が幕屋の上を離れ去った時、ミリアムは、らい病となり、その身は雪のように白くなった。アロンがふり返ってミリアムを見ると、彼女はらい病になっていた。」
 一三章
 2 「人をつかわして、わたしがイスラエルの人々に与えるカナンの地を探らせなさい。すなわち、その父祖の部族ごとに、すべて彼らのうちのつかさたる者ひとりずつをつかわしなさい」。
 16 以上はモーセがその地を探らせるためにつかわした人々の名である。そしてモーセはヌンの子ホセアをヨシュアと名づけた。
 25 四十日の後、彼らはその地を探り終って帰ってきた。
 一四章
 29 あなたがたは死体となって、この荒野に倒れるであろう。あなたがたのうち、わたしにむかってつぶやいた者、すなわち、すべて数えられた二十歳以上の者はみな倒れるであろう。
 30 エフンネの子カレブと、ヌンの子ヨシュアのほかは、わたしがかつて、あなたがたを住まわせようと、手をあげて誓った地に、はいることができないであろう。
 34 あなたがたは、かの地を探った四十日の日数にしたがい、その一日を一年として、四十年のあいだ、自分の罪を負い、わたしがあなたがたを遠ざかったことを知るであろう」。
 一五章
 37から41節まではブルトマンが取り上げている。
 一六章
 1 ここに、レビの子コハテの子なるイヅハルの子コラと、ルベンの子なるエリアブの子ダタンおよびアビラムと、ルベンの子なるペレテの子オンとが相結び、
 一七章
 8 その翌日、モーセが、あかしの幕屋にはいって見ると、レビの家のために出したアロンのつえは芽をふき、つぼみを出し、花が咲いて、あめんどうの実を結んでいた。
 一八章
 26 「レビびとに言いなさい、『わたしがイスラエルの人々から取って、嗣業として与える十分の一を受ける時、あなたがたはその十分の一の十分の一を、主にささげなければならない。
 二〇章
 13 これがメリバの水であって、イスラエルの人々はここで主と争ったが、主は自分の聖なることを彼らのうちに現された。
 29 全会衆がアロンの死んだのを見たとき、イスラエルの全家は三十日の間アロンのために泣いた。

 と、ここまで書いてきたが、『民数記』と同様、長くなってしまうことから、続きは次々回の更新にて。

Vol.198 『エステル記』(ギリシア語)を読んで


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 今夕は『エステル記』(ギリシア語)を読みました。
 巻末に付されている「聖書について」には、以下のように記されている。

 「ギリシア語本文によるエステル記」は、「ヘブライ語のエステル記」にモルデカイやエステルの祈りなど、多少の追加をしたものである。

 なるほど以前に読んだ『エステル記』には、モルデガイの祈りをはじめ、勅書などはなかった。
 

 『エステル記』を読んだのは、昨年の夏(Vol.84)で、前回の更新でも書いた「聖書通読の会」で朗読した(あれから5カ月も経ってしまったのか、と)。また、ドストエフスキー著『カラマーゾフの兄弟』にも『エステル記』の名が出てくる(Vol.196)。
 僕自身、『エステル記』に思い入れはないが、なぜか不思議な巡り合わせの書である。

Vol.197 雨の日曜日と聖書通読の会


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 今朝は雨が降っていたことから、地下街を徘徊。
 下の写真はサカエチカにあるクリスタル広場で、ラグビーワールドカップ2019に関連する展示がされていました。
 

 続けて、某所へ向かい、午前中は餅つきのお手伝いをした後、下の写真にあるようについたお餅をいただきました。
 

 午後からは先月お休みをした聖書通読の会に参加。僕は5回目の出席で、『マルコによる福音書』の第1から7章を皆で順番に朗読しました。

Vol.196 『カラマーゾフの兄弟』と『聖書』からの引用


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 文豪ドストエフスキーが幼い頃、『カラマーゾフの兄弟』の作中に出てくる『旧・新約聖書の百四の物語』で読み書きを学んだというエピソードは広く知られている。「美しい挿絵の入った」「読み書きの勉強をしたのもこの本によってだった」と、『カラマーゾフの兄弟』の登場人物であるゾシマ長老の口を借りて、文豪は記している(「ゾシマ長老の人生における聖書」)。
 『カラマーゾフの兄弟』には『聖書』からの引用が多数ある。ページをめくると、すぐに「よくよくあなたがたに言っておく。一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる(『ヨハネによる福音書』12;24)」とエピグラフにもある。作中において、パイーシイ神父が朗読する『ヨハネによる福音書』2章の「ガリラヤのカナ」は言うに及ばない。いったいどれだけ『聖書』からの言葉が引用されているのだろうかと思い、(原卓也訳の新潮文庫を例に)ちょっと調べてみた(あくまで、ざっと大まかに)。

 上巻(記載ページ数と引用章)
 19 ルカによる福音書2章
 48 ヨハネによる福音書20章
 80 ルカによる福音書11章
 92 エレミヤ書31章
 180 ヨブ記
 234 民数記22章 バラムのロバ
 460 ルカによる福音書15章 放蕩息子のたとえ
 476 ヨハネの黙示録22章
 476 マタイによる福音書24章
 476 ヨハネの黙示録8章
 478 マタイによる福音書24章
 479 マタイによる福音書9章
 484 マタイによる福音書4章
 493 ヨハネの黙示録7章
 499 ヨハネの黙示録17章、18章

 中巻(記載ページ数と引用章)
 13 創世記1章
 46 ヨハネによる福音書12章24節
 54 ヨブ記1章
 61 創世記
 62 エステル記
 62 ヨナ書
 62 ルカによる福音書
 62 使徒行伝 サウロの呼び掛け
 90 ヨハネによる福音書12章24節
 91 ヘブル人への手紙10章31節
 115 ルカによる福音書15章 金持ちとラザロの寓話
 182~4 ヨハネによる福音書2章 カナの婚宴
 

 下巻(記載ページ数と引用章)
 440 ヨハネによる福音書10章 よい羊飼い
 441 マタイによる福音書7章

 調べた際に、登場人物たちによる「キリスト」といった類の単語(たとえば上巻241ページ以下)や『聖書』を引き合いに出した会話(たとえば中巻の66、122ページ)等を省いたけれど、見落としている箇所があるかもしれない。あるいは上に挙げた中で、たとえば中巻(13ページ)の創世記1章について、上巻(235ページ)にある「いえ、べつに。ただ、神さまが世界を創ったのは最初の日で、太陽や月や星は四日目なんでしょ。だったら、最初の日はどこから光がさしたんですかね?」と関連する(繰り返しになる)ことから、そうした例も同様に省いた。
 さて、ここで冒頭の話題に戻り、僕自身、読み書きを覚えた本は何かと考えてみた。おそらく幼稚園児の頃に読んだ絵本だったに違いない。しかしながら、ドストエフスキーのように書名までは思い出せなかった。

Vol.195 『マラキ書』を読んで


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 過日(15日)、『マラキ書』を読みました。
 『マラキ書』と言えば、十分の一(什一献金)に関する話題が数多く取り上げられている。しかしながら、ここでは僕が後日の参考とするために、例によって、備忘録を。
 『マラキ書』は議論(対話)形式で記されている。
 ブルトマンは三章1節を取り上げていた。

 「見よ、わたしはわが使者をつかわす。彼はわたしの前に道を備える。またあなたがたが求める所の主は、たちまちその宮に来る。見よ、あなたがたの喜ぶ契約の使者が来ると、万軍の主が言われる。
 

 言わずもがな、旧約聖書の最後に配置されている書が『マラキ書』であり、そして、旧約と新約の間である中間時代へ。

 以下は余談。
 今朝は例によって、西(神戸)の空に向かい、手を合わせました。

Vol.194 『レビ記』を読んで


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 過日(13日)、『レビ記』を読んだことから、後日の参考とするために、例によって、備忘録を。
 一~七章までは、5つの献げ物(「燔祭(焼き尽くす献げ物)」、「素祭(穀物の献げ物)」、「酬恩祭(和解の献げ物)」、「罪祭(贖罪の献げ者)」、「愆祭(賠償の献げ物)」)について。続けて、レビ人アロンの子なる祭司たちへの役割が細かく記されている。
 僕が興味を覚えたのは、一一章(食べることができるもの。また、食べられないものについて)。一三章(らい病について)。一九章(2節、9節、18節、28節)。二一章の訂正箇所(18節の目しい、足なえ、鼻のかけた者、手足の不つりあいの者。20節のせむし、こびと。また、めくらは盲目と置き換えられており、僕が愛用している『聖書』は古い口語訳だから、新共同訳や聖書協会共同訳とはずいぶん違っている)。二五章(ヨベルの年)。二六章(36節)。二七章(30節の十分の一)。
 

 以下は余談。
 大相撲の話題で、応援している稀勢の里関が引退と聞いて、本当に寂しい。
 下の写真は数年前に足を運んだ朝稽古見学で、故鳴門親方も稀勢の里関の決断を天国から見守っているはず。