vol.1092 林宏著『思いつくまま尾張旭 歴史私考』を読んで


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 「満を持して」というよりも、「遅まきながら」というのが正確な表現になるけれども、林宏著『思いつくまま尾張旭 歴史私考(下巻)」』を取り上げたい。
 

 さらに正確に記せば、本書の内、第四章「観音菩薩の慈愛と自己への信念に生きた『手びねり』陶芸家、星合信令」(521~564ページ)だけを何度も読み返している。
 

 上の写真にある521ページの下段に「まず図書館で氏のことを紹介している書物を探してみたのですが、ほとんど見当たりません」と記されているとおり、僕も調べてみたけれど、本書の他に星合信令について詳しく記された文献を見つけられませんでした。
 本書は僕が星合信令の制作した観音像を巡拝する際に大変役立っており、本書がなければ巡拝は叶わなかったろう。
 下の写真の新聞記事は本書の巻頭ページに掲載されています。
 

 著者の林宏氏の肩書には尾張旭市文化財保護審議会委員とあることから、いずれどこかでお会いする機会があるかもしれない。

vol.1091 星合信令の観音像 中部管区警察学校


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 過日(2日)の午前中、小牧市にある中部管区警察学校へ行き、校内の観武臺に安置されている陶芸家の星合信令が制作した観音像に会ってきました(以下に掲載した3枚の写真は中部管区警察学校から許可を得て撮影しており、無断転載を禁じます)。
 下の写真は中部管区警察学校の校舎です。
 

 下の写真が星合信令の観音像で、像の背面には「祈 交通安全 昭和四十年八月大吉 中部管区警察学校 糟谷等藏書」とありました。
 

 上の写真の画面右には、少し見づらいですが、木々の奥に石碑が建っています。
 下の写真がそれで、3つの石碑に関しては、名幼校碑編集・発行『名幼回顧』に詳しく掲載されていました。
 

 文末になってしまいましたが、写真撮影等で、中部管区警察学校の職員様には大変お世話になりました。この場を借りて、お礼申し上げます。

vol.1090 続々早稲田柳右衛門(早稲田柳右エ門)について


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 少し前の更新(vol.1080、vol.1086)で、早稲田柳右衛門先生に関連した本を2冊、取り上げました。
 1冊は小出種彦著『早稲田柳右衛門伝』(貿易之日本社)で、もう1冊は三ツ渕小学校創立百年実行委員会編集『三渕小学校百年史』です。
 今回取り上げるのは本ではなく、下の写真が表紙の小冊子となっています。
 

 某所を訪れた際、早稲田先生の資料の中にあるのを見つけて、手に取りました。
 ページをめくると、「人格とその業績」「経歴のあらまし」「ありし日の早稲田栁右エ門氏」と題して、故人となった早稲田先生が紹介されていました。
 

 冒頭で取り上げた2冊は早稲田先生が生前に書かれていたことから、下の写真を目にして早稲田先生が1984(昭和59)年、正三位に叙されたことを知りました。
 

 僕はもちろん早稲田先生とお会いしたことはないけれど、政治家としての生き方を読んで知り、石碑等を訪ねるにつれて、できることならば合同市民葬に参列して、瀬戸市及び小牧市のために力を尽くされて亡くなられた早稲田先生へ感謝の気持ちを伝えたかったです。

vol.1089 早稲田柳右衛門と小牧市立三ツ渕小学校


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 少し前の更新(vol.1086)で、早稲田柳右衛門先生に関係して、三ツ渕小学校創立百年実行委員会編集『三渕小学校百年史』を読んだ感想を書きました。
 本書の巻頭には下の写真にあるように開校百年記念碑と校歌碑が掲載されていました。
 
 

 2つの碑とも早稲田先生に関連することから、これまでの石碑と同様、実物を確認すべく、過日(1日)の午前中、小牧市にある三ツ渕小学校へ足を運びました。
 下の写真が三ツ渕小学校の校庭で目にした開校百年記念碑と校歌碑です(写真は三ツ渕小学校から許可を得て撮影しており、無断転載を禁じます)。
 
 

 開校百年記念碑には「開校百年之碑 衆議院議員 勲一等 早稲田柳右エ門書」とあり、校歌碑の裏側には「開校百年記念 昭和四十九年五月吉日 寄贈 大日本塗料株式会社小牧工場 書 信天 舟橋孝一 石工 小牧市 舟橋石材」と刻まれていました。
 文末になってしまいましたが、写真撮影等で、三ツ渕小学校の教職員様には大変お世話になりました。この場を借りて、お礼申し上げます。

vol.1088 早稲田柳右衛門と巾下川境川改修記念碑


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 前回の更新(vol.1087)と関連して、小出種彦著『早稲田柳右衛門伝』(貿易之日本社)を読むと、巻頭ページに下の写真が掲載されています。
 

 少し前の更新(vol.1084)にて、「今後も機会があれば、早稲田柳右衛門先生の足跡を辿ってみたい」と書いたことから、過日(先月29日)の午後、小牧市の村中地区へ足を運んで、下の写真にあるように「巾下川 境川 改修記念碑 衆議院議員 早稲田柳右エ門書」を目にしました。
 

 上の写真にもあるように、ツツジの木が左右と後ろの三方向から取り囲むように人の背丈まで繁っていて、改修記念碑の裏側を目にすることはできませんでした。
 従って、改修記念碑がいつ建てられたのか、石碑の裏側には何が書かれているのかを知ることはできませんでした。念の為、小牧市役所へ問い合わせてみましたが、結果は分からずじまい。
 昨今は川の増水や氾濫といった水害が多発している。早稲田柳右衛門先生が郷里の為、さぞや頑張ったに違いないはずが、石碑が建っているというだけで、それが見向きもされず(顧みられず)、苦労を惜しまなかったであろう早稲田先生が何とも報われないと感じました。

vol.1087 早稲田柳右衛門と市之久田集団移転碑


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 以前の更新(vol.1080)でも取り上げた小出種彦著『早稲田柳右衛門伝』(貿易之日本社)を読むと、巻頭ページに下の写真が掲載されています。
 

 少し前の更新(vol.1084)にて、「今後も機会があれば、早稲田柳右衛門先生の足跡を辿ってみたい」と書いたことから、過日(先月29日)の午後、小牧市の市之久田地区へ足を運んで、下の写真にあるように市之久田集団移転碑を目にしました。
 

 石碑の裏側には「昭和三十年三月日米安全保障条約第三条ニ基ク行政協定ニ依リアメリカ合衆国駐留ノ用ニ供スシ為小牧飛行場拡張ニ市之久田部落ハ危険区域内トシテ集団移転ヲ閣議決定ス此ノ為当部落ハ(中略)昭和三十三年三月移転ス 昭和三十四年三月建立」と刻まれていました。
 写真のキャプションに「苦しかった小牧飛行場移転問題の立役者、早稲田と桑原知事」とあるように、早稲田柳右衛門は板挟みになりつつ、市之久田に暮らす人たちを集落ごと移転させることは並大抵のことではなかったと容易に想像できます。
 市之久田集団移転碑については、『小牧の文化財地図 訪ね歩きマップ 北里地区』に「小牧飛行場拡張に伴い、市之久田の集落が、昭和33年(1958年)に移転したことを記念して建てられた石碑。正面の文字は当時の衆議院議員早稲田柳右衛門氏筆」と掲載されていました。

vol.1086 続 早稲田柳右衛門(早稲田柳右エ門)について


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 前々回の更新(vol.1084)で書いたとおり、早稲田柳右衛門の生誕地記念碑を目にしました。その際、石碑と並んで、下の写真にある説明板がありました。
 

 説明板を読むと、「三ツ渕小学校の卒業生で、校歌の作詞者です」と記されていたことから、興味が湧いてきて、知りたくなり、調べてみました。
 僕が調べる際、手に取ったのは三ツ渕小学校創立百年実行委員会編集『三渕小学校百年史』で、以下の内容は本書を参照しました。
 いみじくも本書を発行した三ツ渕小学校開校百年記念行事実行委員会の委員長は早稲田柳右衛門氏でした。
 

 下の写真は「職員、卒業生アルバム」で、「第2回(明治45年3月卒業)」の集合写真の中に子どもの頃の早稲田柳右衛門が写っていました。
 

 下の写真は「校歌発表会(昭和41年12月15日)」と題した記事と校歌です。
 
 

 『三渕小学校百年史』を読んで、単純に感じたことを記せば、100年間も続いた歴史のある三ツ渕小学校が輩出した最も秀でた生徒は早稲田柳右衛門氏であったということになるのだろう。