vol.1087 早稲田柳右衛門と市之久田集団移転碑


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 以前の更新(vol.1080)でも取り上げた小出種彦著『早稲田柳右衛門伝』(貿易之日本社)を読むと、巻頭ページに下の写真が掲載されています。
 

 少し前の更新(vol.1084)にて、「今後も機会があれば、早稲田柳右衛門先生の足跡を辿ってみたい」と書いたことから、過日(先月29日)の午後、小牧市の市之久田地区へ足を運んで、下の写真にあるように市之久田集団移転碑を目にしました。
 

 石碑の裏側には「昭和三十年三月日米安全保障条約第三条ニ基ク行政協定ニ依リアメリカ合衆国駐留ノ用ニ供スシ為小牧飛行場拡張ニ市之久田部落ハ危険区域内トシテ集団移転ヲ閣議決定ス此ノ為当部落ハ(中略)昭和三十三年三月移転ス 昭和三十四年三月建立」と刻まれていました。
 写真のキャプションに「苦しかった小牧飛行場移転問題の立役者、早稲田と桑原知事」とあるように、早稲田柳右衛門は板挟みになりつつ、市之久田に暮らす人たちを集落ごと移転させることは並大抵のことではなかったと容易に想像できます。
 市之久田集団移転碑については、『小牧の文化財地図 訪ね歩きマップ 北里地区』に「小牧飛行場拡張に伴い、市之久田の集落が、昭和33年(1958年)に移転したことを記念して建てられた石碑。正面の文字は当時の衆議院議員早稲田柳右衛門氏筆」と掲載されていました。

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