vol.1081 星合信令の観音像 瀬戸少年院


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 一昨日の午前中は瀬戸市へ向かいました。
 はじめに瀬戸少年院へ行き、院内の高台に安置されている陶芸家の星合信令が制作した観音像に会ってきました。
 

 上の写真は瀬戸少年院の庁舎入口で、ガラス扉に貼られた掲示にあるようにカメラ等の持ち込みは禁止となっており、写真撮影ができないことから、下の観音像の写真については瀬戸少年院より提供していただきました(無断転載を固く禁じます)。
 

 上の写真にある台座に記された「立志観音」については、更生の志を立てるという意味から名付けられたとのこと。観音像の背面には、「立志 瀬戸少年院長 小川洋 書 昭和四十年十二月吉日」と記されていました。
 文末になってしまいましたが、瀬戸少年院の職員様には写真提供等で、大変お世話になりました。この場を借りて、お礼申し上げます。
 続けて瀬戸市内を少し走り、次の目的地に向かいましたが、別の話題となることから、次回の更新で。

 以下は余談。
 前回の更新(vol.1080)で取り上げた早稲田柳右衛門が瀬戸市会議員であった1933(昭和8)年に瀬戸市少年院の設立に協力しています。

vol.1080 早稲田柳右衛門(早稲田柳右エ門)について


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 早稲田柳右衛門については、瀬戸市の名誉市民で、瀬戸市民公園に銅像があることは知っていましたが、星合信令を通じて、さらにその名を目にする機会が増えたことから、どのような人物だったのかと興味を持ち、過日、小出種彦著『早稲田柳右衛門伝』(貿易之日本社)を読みました。
 下の写真は目次です。
 

 『瀬戸市史』を読むと、早稲田氏の名前が何度も出てきますが、それらがほとんど本書を元に書かれていることから、彼を知る資料が少ないことに気付かされました。

  早稲田柳右衛門 年譜
 1900(明治33)年、小牧市生まれ。幼名、詮道(のりみち)。
 1917(大正6)年、小牧尋常高等小学校卒業。
 1921(大正10)年、幼名の詮道から柳右衛門に変更(襲名)。
 1924(大正13)年、小牧市役場、書記に任命(税務係)の後、社会教育主事に登用。
 1925(大正14)年、政治運動で借財、勘当される。小牧町役場を退職。
 1926(大正15)年、瀬戸市へ移住。
 1929(昭和4)年、瀬戸市会議員選挙で初当選。
 1931(昭和6)年、結婚。
 1946(昭和21)年、第22回衆議院議員総選挙で初当選。
 1975(昭和50)年、政界を引退。勲一等旭日大綬章を受章。
 1978(昭和53)年、瀬戸市名誉市民、小牧市名誉市民に推挙される。
 1984(昭和59)年、死去。

 「五十年にわたる先生の政治生活は多岐多彩で、愛知県下はもとより、中部圏各地、中央など、どこへ行っても手の跡、足の跡が残っている。この道も、この川も、この学校も、この海岸も、この都市計画も、この耕地整理も、至るところの治山治水も、福祉施設も、先生の努力によって結実したものであり、地元民の記憶にとどまっているのに驚く(中略)。しかし、何んといっても、政治家として一番油の乗り切っていたのは、自民党愛知県連会長時代だったと思う。十三年余の長い間、愛知県地方政治の頂点に立って縦横に腕をふるわれたことは、いまなお我々の記憶に新しい」(序文、吉村豊より抜粋)。
 本書の序文に寄せられた吉村氏の言葉に嘘偽りはないのだろう。しかしながら、令和の時代になっては、忘れられてしまっていることがあまりに多く、先人に対する敬意も失われつつあるのが、今の日本社会である。
 下の写真は早稲田柳右衛門先生です。
  

 本書で何度か引用されている早稲田先生の言葉があって、それは「学歴なく、財力なく、門閥なく」というフレーズ。裸一貫の政治家として、まさしく彼の人柄を表わしている。昨今は世襲議員が多いことから、彼らとは正反対である早稲田先生とお会いしてみたかった、というのが正直な僕の感想です。
 惜しむらくは僕が知りたかった早稲田柳右衛門先生と星合信令氏がいかにして懇意となったかという契機については、本書を読んでも分かりませんでした。

vol.1079 星合信令の観音像 東郷町立東郷小学校


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 過日(23日)の午前中は愛知郡東郷町にある東郷小学校へ行き、校庭に安置されている陶芸家の星合信令が制作した観音像に会ってきました。
 

 観音像を拝んだ際、気付いたことが2つあって、1つは像の身体、特に衣の部分が上の写真にあるように三角形で2色に塗り分けられていたこと。
 もう1つは像の背面で、例によって「大日窯」「信令作」の印が押されていましたが、いつも記されている「祈 交通安全」ではなく、下の写真にあるように「昭和四十年十月吉日 祈 学童安全 早稲田柳右エ門」とありました。
 

 前回の更新(vol.1078)で取り上げた小牧市立村中小学校に安置されている観音像(「昭和四十年八月吉日 早稲田柳右エ門」)と同様、早稲田柳右エ門によって、2ケ月違いで寄贈されていることに。衆議院議員の早稲田柳右エ門については、以前の更新(vol.846)でも触れましたが、瀬戸市の名誉市民で、瀬戸市民公園に銅像があります。
 東郷小学校の敷地に沿うようにして走る県道218号線を見おろす場所に観音像は建てられていました。観音像の前には県道を跨ぐ歩道橋があり、名古屋市と豊田市を結ぶ国道153号線豊田西バイパスができるまで、この道路は交通量の激しい道路だったのだろうと想像した。

vol.1078 星合信令の観音像 小牧市立村中小学校


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 過日(21日)の午前中は小牧市にある村中小学校へ行き、校舎に安置されている陶芸家の星合信令が制作した観音像に会ってきました(写真は村中小学校から許可を得て撮影しており、無断転載を禁じます)。
 

 上の写真には映っていませんが、台座は昭和55年3月の後付けで、長年、室内に安置されていたことから、観音像に傷やひび割れが少なくて、保存状態がとても良かったです。
 像の背面には「昭和四十年八月吉日 早稲田柳右エ門」と記されていました。
 昭和40年8月ということは小牧市役所東庁舎にある星合信令が制作した陶板と同時期で、どちらも早稲田柳右エ門の寄進ということになります。
 衆議院議員の早稲田柳右エ門については、以前の更新(vol.846)でも触れましたが、瀬戸市の名誉市民で、瀬戸市民公園に銅像があります。
 文末になってしまいましたが、写真撮影等において、村中小学校の教職員の皆様には大変お世話になりました。この場を借りて、お礼申し上げます。

vol.1077 星合信令の観音像 多治見警察署瑞浪交番前


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 過日(18日)の午前中は瑞浪市へ行き、土岐町にある多治見警察署瑞浪交番前に祀られている陶芸家の星合信令が制作した観音像に会ってきました。
 

 像の背面には例によって、「大日窯」「信令作」の印が押されていましたが、「祈 交通安全」の文字は記されていませんでした。
 観音像については、下の写真にあるように「交通安全観音像の由来」と題する看板があり、説明が記されていました。
 

 観音像を覆う上屋(うわや)についても、木製の看板があり、平成10年7月7日完成、10日落慶式と記されていました。

vol.1076 クワガタムシの羽化


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 少し前の更新(vol.1070)にて、カブトムシの羽化について書きましたが、過日(18日)、今年初めから春先にかけて採集したクワガタムシの幼虫が羽化しているのに気が付きました。
 下の写真がそれで、コクワガタのメスです。
 

 僕が幼虫から育てたクワガタムシが羽化したのは、これが初めてです。

 以下は余談。
 過日(17日)の午後は聖書通読の会に参加しました。

vol.1075 常滑市消防本部のオリジナル消防カード


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 前回の更新(vol.1074)からの続きで、過日(13日)は知多半島へ行き、南知多町と美浜町に足を運んだ後、常滑市へ向かいました。
 はじめに常滑市消防本部へ行き、庁舎にある「とこなめ防災学習プラザ」を見学して、常滑市消防本部のオリジナル消防カードをゲットしました。
 下の写真がそれで、令和3年度版です。
 

 常滑市消防本部のオリジナル消防カードについては、以前の更新(vol.552)に書いたとおりで、通常版と令和元年度版に続いて、3種類目となりました。
 次に少し走って、ユニーオイルで給油後、めんたいパークとこなめで、お土産を購入。
 

 西知多産業道路を走って、帰途に着きましたが、過日(13日)は晴れて、気持ちの良い天気でした。