Vol.182 ブルトマン著作集9 聖書学論文集3(新教出版社)を読んで


 ブログ「Stay The Young (Trilogy)」をお読みいただき、ありがとうございます。

 『ブルトマン著作集9 聖書学論文集3』青野太潮・天野有訳(新教出版社)をところどころ拾い読みをしている最中です。
 

 例えば、本書の2番目に載っている「ヨハネ第一の手紙の教会的編集(1951年)」の冒頭に目を通しただけで、ブルトマンの釈義に「なるほど、そうなのか」と僕は興奮させられ、感動を覚えるのだ。
 本書の巻末に収録された聖句索引の中にある「古代の非キリスト教文献」には、改めて圧倒されました。以前にも書きましたが、ブルトマンの教養の奥深さが一目で分かります。
 下の写真がそれで、一例を挙げれば、僕は浅学ゆえに、ミムネルモス『ナンノ断片』を全く知りませんでした。
 

 ブルトマンと言えば、1941年、第二次世界大戦中に語られた「非神話化」だけがクローズアップされ、ブルトマン神学に対する批判ばかりが目立つけれど、失敗から学ぶようにして、僕はそこから多くを学んだ。

 以下は余談。
 学んだと言えば、僕はこの数日、以前の更新(Vol.155)で取り上げた神谷美恵子の言葉を思い出していた。

 つまり、みな短気をおこしているのである。どうせ自分なんかもうだめだ、と自分をみかぎり、事態もよくなることなどありえない、と世界と時間の可能性に対して完全にみきりをつけてしまっている。そして、耐えがたい苦悩をたち切るため、まぎらすため「短絡反応」に出るわけである。(『生きがいについて』144~145ページ引用)。

 今年も残り少なくなったが、ひょっとしたら、僕の心を最も強く打ったのは、上に引いた神谷美恵子の言葉かもしれない。

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