Vol.173 一宮円空会で学んだ藤原正遠さんについて


 ブログ「Stay The Young (Trilogy)」をお読みいただき、ありがとうございます。

 昨日の一宮円空会で、下の写真にあるようにテキストとして、藤原正遠さんについて学びました。
 


 最初に、少し長い前置きになりますが、出典に関して記しておかなければなりません。
 藤原正遠さんについて、僕は知らなかったことから、帰宅後、インターネットで検索したら、「阿弥陀様がごいっしょです」と題されたホームページ内に「聴聞のページ(ご法話のページ)」があり、その中のひとつに「彩雲院 釈 正遠師 南無阿弥陀仏の明け暮れ」というページを見つけた。
 そこには「光源寺テレホン法話 真宗大谷派 浄秀寺 藤原正遠師 法話 掲載の法話は石川県の真宗大谷派浄秀寺の藤原正遠師が、長崎県の光源寺テレホン法話で話された内容を正遠師の許可を得て掲載しているものです」との説明があり、「四分六分の道~カボチャとすいか(39KB)」「とんぼ安心~念仏成仏是れ真宗(29KB)」というタイトルの文章(藤原正遠師の法話)が掲載されていた(参照)。
 以下はそれ(法話)を引用しつつ、読んだ感想を。

 「ご安心」
 私は若い時から、ただ心の「安心」一つが欲しかったのです。そうして今はお念仏の摂取をいただきまして安心させてもらっております。
 それは単なる個人の安心ではございません。有限の個人の安心は「賽の河原」でありまして、私の安心は有限の安心あるいは不安心をそのまま摂取して下さるところの大法界の安心でございます。
 念々、心の安らかな日もございます。また、まことに手のつけられぬ不安心、苦悩の日もございます。天気のようなものでございます。それをそのまま摂取して下さっている南無阿弥陀仏のお慈悲でございます。
 まことに、お念仏は、身も心も生み出して下さった母親をしたう子供の心でございます。子供は困れば困るほど母親を呼ぶように、実は母親が摂取に来ているのでございます。お念仏もそれと同じく、私が称えますが、実は大宇宙の大生命の根元の南無阿弥陀仏さまが、困れば困るほどご摂取に来て私にやすらぎを与えて下さるのでございます。
 ご摂取にあった私は万物がすべて阿弥陀仏のご活動体からの所産と見える眼をもらい、私はお陰さまで大安心をいただいております。
  来し方も 又行く方も 今日の日も われは知らねど み運びのまま
 は何も知りませんけれども一切が仏さまのお運びのままという歌でございます。
  生きるものは 生かしめ給う 死ぬものは 死なしめ給う われに手のなし 南無阿弥陀仏
 一切が南無阿弥陀仏のお運びでございます。これは三十年前の私の歌でございますが、今もまったくこの通りのご安心で念々一日一日生活をさせてもらっているのでございます。真にありがたいことでございます。南無阿弥陀仏

 「とんぼ安心」
 今日も又「親のこころ子のこころ」の中の『とんぼ安心』というところを読ましていただきたいと思います。
 これは、ある人の手紙でございますがそれを読んでみます。
 「ご無沙汰いたしています。いつもご教化ありがとうぞんじます。私はいつも『とんぼ安心』で救済されています。数年前当地にお越しの折りに聴聞させていただいたのです。
 先生はこうおっしゃいましたね。
 「とんぼがガラス戸に頭をぶっつけて外に出よう出ようとするが、とんぼの頭ではガラス戸を破ることが出来ない。とうとうとんぼは力尽きて死んでしまう。一生懸命に頭をぶっつけている時に後ろから仏さまが、阿弥陀さまがよんで下さる。後ろに広い世界があるよ。向きをかえなさい。
 とんぼは言う。私には後ろの世界が分かりませぬ。向きをかえることも出来ません。
 阿弥陀さまは仰せになる。そんなら私の名前をなむあみだ仏と呼びなさい、呼べば必ず向きがかえられる。
 とんぼは仰せのままにお念仏をしたら不思議に向きがかえられて、こんな広大無辺の世界のあることが知られた。
 お念仏を申すと、こんな効用(ご利益ですね)のあるものですよ」と、あれから私は四苦八苦している時に、ふっと先生の『とんぼ安心』のお話を思い出すのです。すると私の口から自ずからお念仏が流れて下さいます。
 そうして私はいつも方向を転換させてもらっています。私の身の上のこと、あるいは心の上に起こること、他人様のことなどで私が苦悩する時、私はいつもお念仏があらわれて下さって、私はいつも方向転換させてもらって私は救済されています。
 「念仏は無碍の一道」と仰せになることはこのことと了解させてもらって、ほんとうにありがたい、ありがたいお慈悲でございます。あれからお聖教を拝読いたしましてもその内容が了解されてくるのでございます。まだあとが続きますが、時間が来ましたのでこれだけにいたします。南無阿弥陀仏

 僕は少なからず法話を耳にしていますが、藤原正遠さんの法話は飾り気がなく、浄土真宗の香りがして、次々と聴きたくなる(読みたくなる)というのが第一の感想でした。

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