vol.1248 交通安全観音像 瀬戸市 慶昌院(城屋敷町交差点)


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 過日(6日)の午前中、尾張三十三観音霊場の27番・慶昌院を参拝した際、寺院とは道路を一本挟んで離れた場所(城屋敷町交差点)にいくつかの石碑と並んで観音像が建っていることに気が付きました。
 遠目に見ると、陶芸家・星合信令の交通安全観音像に似ていると思い、確認すると、下の写真にあるように陶製の観音像でしたが、残念ながら、信令作の交通安全観音像ではありませんでした。
 

 星合信令作ではなかったけれど、道路に面して建てられており、どうやら交通安全観音像には違いない。像の姿形(造形)もやはりどこか似かよっている。像の背面を見ると、「平成15年4月吉日」と記されており、「志」という文字が彫られていた。
 見れば見るほど不思議というか、違和感を感じる像で、誰が何のためにこの場所へ交通安全観音像を建てたのか。僕はどうしても知りたくなって、とにかく調べることにした。
 先に結論を書くと、星合信令とは無関係でないことが判明。当時の出来事を知るU氏の口から交通安全観音像の経緯についてご教示いただきました。交通安全観音像の正体は1963(昭和38)年12月、国鉄バス瀬戸営業所入口に建立された信令作の交通安全観音像の身代わり(2代目)であると。
 詳しい経緯を記すと、信令作の交通安全観音像がトラックによる衝突で、破壊され、失われてしまいました。2年後、事故を起こしたトラックの運転手が身代わり(2代目)となる交通安全観音像を同地(営業所入口)に再建立。バス営業所の閉鎖(廃止)に伴い、再建立した交通安全観音像をU氏が譲り受けて、現在の場所(慶昌院の管理する土地)に遷座したとのこと。
 信令作の交通安全観音像は失われてしまったことが分かり、悲しかったけれど、信令さんの願った交通安全の「志」が今もこうして続いているのだと思うと、僕は胸が熱くなりました。
 文末になってしまいましたが、お話をお聞かせくださったU氏とご家族の皆様に対して、この場を借りて、深くお礼申し上げます。

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