vol.515 奴隷の哲学者エピクテトス 人生の授業


 ブログ「Stay The Young (Trilogy)」をお読みいただき、ありがとうございます。

 今日の午後は荻野弘之・かおり&ゆかり著『奴隷の哲学者エピクテトス 人生の授業 この生きづらい世の中で「よく生きる」ために』(ダイヤモンド社)を読みました。
 

 哲学者エピクテトスについては、以前の更新(vol.308)でも書きましたが、そのときよりも、ずっと親しみやすく読み、理解することができました。
 僕が目を通して、大いに感心させられた箇所を引用しておくと、

 何がやって来ようと、それから利益を受けることはできる。60頁。
 自分が当事者となると、一時的にせよ視点が凍りついてしまって動かせなくなるからだ。100頁。
 キリスト教では、人間を「(現世を)旅する者」(ホモ・ヴィアトール)と理解するが、奇しくもエピクテトスも旅人のように振る舞うことを勧めている。115頁。
 一つは、君がその快楽を享受する時間。もう一つは、いったん享受した後でそれを後悔し、自分で自分を責める時間だ。119頁。
 我々が苦しみ悩むのは、過度な苦痛や恐怖に苛まれる時だけではないのだ。(中略)美味しいものばかりを食べ、運動不足で楽ばかりしていれば、やがて健康を害するだろう。快楽は、そればかりを追い求めていると、かえって将来により大きな苦痛を背負い込んでしまう。(中略)だからエピクテトスはあえて現在の小さな苦痛を選択することが、将来における大きな苦痛を回避すると説く。「今日の一針、明日の十針」というように、(後略)120頁。
 他人ををも自分をも非難しないのが教養のできた者のすることである。164頁。
 「恐ろしい」と思える事柄を、毎日のように君の眼前に置くようにするがいい。204頁。
 映画でたとえるなら、上映が始まってしばらくしてから遅れて映画館に入場し、途中から見始める。そして終了直前に出て行くわけだ。自分自身の一生なのに、その冒頭と結末がどうなっているかは、自分ではわからない。だから、我々は自分の子どもを産み育てることを通じて、後になってから自分の出生を推測し、(後略)207頁。

 上の引用で、とりわけ僕の心に刺さったのは、115頁、204頁、207頁であった。
 115頁について。僕は『聖書』を読んで、自分の存在が現世を旅する寄留者だと気付かされ、教えられてから、僕自身が変わった。
 204頁について。いみじくも先週から、僕の眼前に「恐ろしい」と思えるものを映し出すことにしていたのは、はたして偶然だろうか。
 207頁について。なるほど人生の時間を上手にたとえているな、と。

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