Vol.255 山谷省吾ほか編『増訂新版 新約聖書略解』(日本基督教団出版局)を読んで


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 数日前から、山谷省吾・高橋伊三郎・小川治郎編集『増訂新版 新約聖書略解』(日本基督教団出版局)を読んでいます。ただし、詳しすぎる注解は、かえって邪魔になることもあることを承知しつつ、読んでいます。
 なるほど、聖句(み言葉)に関して、自分勝手な解釈ではいけないと、よく言われる。もちろん、研究者や牧師様、先達のクリスチャンの声も大切で、教わることは実に多い。だからと言って、他人のそれを僕は鵜呑みにはしない。
 また、聖句(み言葉)の解釈に関しては、正しい、正しくない、といった議論は役に立たない。
 『聖書』を読み、聖霊の声を聞くのは自分自身の心である。分かりやすく言い換えると、自分自身の心で、聖霊の声に耳を傾けなければ意味がない。
 注解書を読んで、「木を見て森を見ず」とならないように。
 下の写真は『ヨハネによる福音書』第三章の、イエスとニコデモの対話とそれに続く小福音書(16節)の注解ページで、ごらんのとおり、僕の愛用している口語訳というのがミソです。
 


 以下は余談。
 イエス様を好きになった理由は、クリスチャンの口からよく言われる「十字架上で私たちのために死んでくださった」(『ローマ人への手紙』5;8)こともさることながら、僕としてはやっぱりイエス様が海の上を歩いたり、病人を癒やしたりといった奇蹟(しるし)を行ったことから、好きになったのだ(『ヨハネによる福音書』)。
 同じく『ロマ書』にある「神の義」がどうのこうのと言われても、僕には完全に理解はできない(できていない)。むしろ、使徒パウロの言葉をすべて理解しているという人がいたならば、会ってみたいくらいだ。
 とにもかくにも、イエス様の思いやりと先達のクリスチャンが僕を変えてくれたことには違いない。そのことに大いに感謝している。

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