Vol.117 『コロサイ人への手紙』と『エペソ人への手紙』を読んで


 『コロサイ人への手紙』は今月8日に、『エペソ人への手紙』は9日に読んだ。
 『コロサイ人への手紙』を読んだ際、今までにも読んだことのあるような感覚になった。
 たとえば、一章一〇の「主のみこころにかなった生活をして真に主を喜ばせ、あらゆる良いわざを行って実を結び、神を知る知識をいよいよ増し加えるに至ることである」を読んだ際には、『コリント人への第二の手紙』二章一四の「神に感謝します。神は、わたしたちをいつもキリストの勝利の行進に連ならせ、わたしたちを通じて至るところに、キリストを知るという知識の香りを漂わせてくださいます」を頭に浮かべたりした。
 また、『コロサイ人への手紙』を読んだ後、『エペソ人への手紙』を読んだのだが、二つの手紙がどこか似ているような印象を受けた。それは僕が『ブルトマン著作集』5巻(第五八章)の影響を受けていることもある。
 『コロサイ人への手紙』に話を戻すと、第一章一五節から二〇節はキリスト讃歌であり、さらに「キリストの宇宙的位置を記述している」とブルトマンから教わった。「宇宙的諸力はそこに起源と存在の根拠を持つ」という。宇宙全体の構造がキリストの体と理解され、その頭がキリストである、と。

 三章
 一 このように、あなたがたはキリストと共によみがえらされたのだから、上にあるものを求めなさい。そこではキリストが神の右に座しておられるのである。
 二 あなたがたは上にあるものを思うべきであって、地上のものに心を引かれてはならない。
 三 あなたがたはすでに死んだものであって、あなたがたのいのちは、キリストと共に神のうちに隠されているのである。
 四 わたしたちのいのちなるキリストが現れる時には、あなたがたも、キリストと共に栄光のうちに現れるであろう。

 次に『エペソ人への手紙』について。
 『エペソ人への手紙』で大事な聖句は以下の箇所であろうと思う。
 
 二章
 八 あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物である。

 四章
 四 からだは一つ、御霊も一つである。あなたがたが召されたのは、一つの望みを目ざして召されたのと同様である。
 五 主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つ。
 

 二三 心の深みまで新たにされて、
 二四 真の義と聖とをそなえた神にかたどって造られた新しき人を着るべきである。

 僕が素敵な聖句だな、と感じたのは五章一九の「詩とさんびと霊の歌とをもって語り合い、主にむかって心からさんびの歌をうたいなさい」である。
 また、最も励まされた聖句は六章一三と一四節の「それだから、悪しき日にあたって、よく抵抗し、完全に勝ち抜いて、堅く立ちうるために、神の武具を身につけなさい。すなわち、立って真理の帯を腰にしめ、正義の胸当を胸につけ」であり、僕は読んでいて、胸の奥に熱いものを感じた。

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