Vol.125 『イザヤ書』を読んで


 『イザヤ書』を15日は一三章まで、16日夜は五二章まで、17日朝は六六章までと3回に分けて、読んだ。
 『イザヤ書』は『新約聖書』に多数引用されているのはもちろんのこと、ブルトマンでもそうした指摘がされている。さらにスタディ版でも取り上げられている箇所がある。

 一〇章
 二二 あなたの民イスラエルは海の砂のようであっても、そのうちの残りの者だけが帰って来る。滅びはすでに定まり、義であふれている。

 六一章
 一 主なる神の霊がわたしに臨んだ。これは主がわたしに油を注いで、貧しい者に福音を宣べ伝えることをゆだね、わたしをつかわして心のいためる者をいやし、捕われ人に放免を告げ、縛られている者に解放を告げ、
 

 『イザヤ書』のトリビアとして、
  二章四節はニューヨークにある国連本部の壁に刻まれている。
  一二章三節はフォークダンスの楽曲で使われる「マイム・マイム」の由来。
  五三章は「僕(しもべ)の歌」と呼ばれている。

 『イザヤ書』を大きくとらえた場合、四〇章を境として、確かに文体等に違った印象を受けた。また六〇章辺りからも少し印象が違って、明るく感じた。
 僕が『イザヤ書』を読んで、個人的に気になった箇所は次の2つ。

 三八章
 五 「行って、ヒゼキヤに言いなさい、『あなたの父ダビデの神、主はこう仰せられます、「わたしはあなたの祈を聞いた。あなたの涙を見た。見よ、わたしはあなたのよわいを十五年増そう。
 六 わたしはあなたと、この町とをアッスリヤの王の手から救い、この町を守ろう」。
 七 主が約束されたことを行われることについては、あなたは主からこのしるしを得る。
 八 見よ、わたしはアハズの日時計の上に進んだ日影を十度退かせよう』」。すると日時計の上に進んだ日影が十度退いた。

 四四章
 一三 木の細工人は線を引き、鉛筆でえがき、かんなで削り、コンパスでえがき、それを人の美しい姿にしたがって人の形に造り、家の中に安置する。
 一四 彼は香柏を切り倒し、あるいはかしの木、あるいはかしわの木を選んで、それを林の木の中で強く育てる。あるいは香柏を植え、雨にそれを育てさせる。
 一五 こうして人はその一部をとって、たきぎとし、これをもって身を暖め、またこれを燃やしてパンを焼き、また他の一部を神に造って拝み、刻んだ像に造ってその前にひれ伏す。
 一六 その半ばは火に燃やし、その半ばで肉を煮て食べ、あるいは肉をあぶって食べ飽き、また身を暖めて言う、「ああ、暖まった、熱くなった」と。
 一七 そしてその余りをもって神を造って偶像とし、その前にひれ伏して拝み、これに祈って、「あなたはわが神だ、わたしを救え」と言う。

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