Vol.130 『エゼキエル書』を読んで


 『エゼキエル書』は長文であることから、今月10日の夜に準備をして、11日に途中、眠い目をこすりながらも、一気に読破した。
 内容は前半(一~三二章)と後半(三三~四八章)に分けられるという。よって、2回に分けて更新する予定だったが、先にも書いたように前夜に準備して、一気に読破したことから、止めておく。今回、こうした形(下準備)で『聖書』を読んだのは初めてであった。
 『エゼキエル書』には「この母にしてこの娘あり」「父たちが、酢いぶどうを食べたので」といった格言が出てくる。
 ブルトマンの著作では、

 一一章
 一九 そしてわたしは彼らに一つの心を与え、彼らのうちに新しい霊を授け、彼らの肉から石の心を取り去って、肉の心を与える。
 

 三六章
 二六 わたしは新しい心をあなたがたに与え、新しい霊をあなたがたの内に授け、あなたがたの肉から、石の心を除いて、肉の心を与える。
 

 の2箇所が取り上げられている。
 上記の2箇所は似たような内容であることに気がついたとき、『エゼキエル書』を、ひいては『旧約聖書』をこういうふうに読めばいいのだ、とブルトマンから教えられたような気がした。
 僕の理解の範囲において、ブルトマンによれば、上記の2箇所は「新しく生まれる」ことを示唆している。すると、ただちに僕が頭に思い浮かべたのは『ヨハネによる福音書』の三章六~七節に出てくるイエスの言葉。

 三章
 六 肉から生れる者は肉であり、霊から生れる者は霊である。
 七 あなたがたは新しく生れなければならないと、わたしが言ったからとて、不思議に思うには及ばない。

 僕の中で、『旧約聖書』と『新約聖書』がしっかりと繋がった瞬間であった。ハレルヤ。

 以下は余談。
 今日の午後は江南市にあるフラワーパーク江南へ行き、コスモスを見てきました。
 


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