Vol.136 『コリント人への第一の手紙』を読んで、とブルトマンの釈義


 ブログ「Stay The Young (Trilogy)」をお読みいただき、ありがとうございます。

 『コリント人への第一の手紙』は25日に読んだ。といっても、その内容に関しては、ブルトマンの著作に関連して、ところどころ既に目を通している。
 とりわけ以下の聖句は何度となく読んで、このブログでも既に取り上げている。

 七章
 二九 兄弟たちよ。わたしの言うことを聞いてほしい。時は縮まっている。今からは妻のある者はないもののように、
 三〇 泣く者は泣かないもののように、喜ぶ者は喜ばないもののように、買う者は持たないもののように、
 三一 世と交渉のある者は、それに深入りしないようにすべきである。なぜなら、この世の有様は過ぎ去るからである。
 

 上に引いた聖句の箇所は新共同訳の小見出しで、「未婚の人とやもめ」とあり、まさに僕のことでもある。
 ブルトマンに話を戻すと、彼は『コリント人への第一の手紙』から多数の聖句を取り上げて、釈義している。
 例を挙げると、

 三章
 二二 パウロも、アポロも、ケパも、世界も、生も、死も、現在のものも、将来のものも、ことごとく、あなたがたのものである。
 二三 そして、あなたがたはキリストのもの、キリストは神のものである。

 六章
 一二 すべてのことは、わたしに許されている。しかし、すべてのことが益になるわけではない。すべてのことは、わたしに許されている。しかし、わたしは何ものにも支配されることはない。

 七章
 二〇 各自は、召されたままの状態にとどまっているべきである。

 一三章
 一二 わたしたちは、今は、鏡に映して見るようにおぼろげに見ている。しかしその時には、顔と顔とを合わせて、見るであろう。わたしの知るところは、今は一部分にすぎない。しかしその時には、わたしが完全に知られているように、完全に知るであろう。

 一四章
 二六 すると、兄弟たちよ。どうしたらよいのか。あなたがたが一緒に集まる時、各自はさんびを歌い、教をなし、啓示を告げ、異言を語り、それを解くのであるが、すべては徳を高めるためにすべきである。

 一五章
 二四 それから終末となって、その時に、キリストはすべての君たち、すべての権威と権力とを打ち滅ぼして、国を父なる神に渡されるのである。
 二五 なぜなら、キリストはあらゆる敵をその足もとに置く時までは、支配を続けることになっているからである。
 二六 最後の敵として滅ぼされるのが、死である。
 二七 「神は万物を彼の足もとに従わせた」からである。ところが、万物を従わせたと言われる時、万物を従わせたかたがそれに含まれていないことは、明らかである。

 最後に僕が個人的に好きな聖句を一つ挙げておきたい。

 一〇章
 一三 あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。

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