Vol.134 『マルコによる福音書』を読んで


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 既にマタイ、ルカ、ヨハネの各福音書を読んでいることから、最古のそれは目新しさというか、新鮮さが少なかった。
 最も印象的な箇所はやはりイエスの最期であった。

 一五章
 三四 そして三時に、イエスは大声で、「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」と叫ばれた。それは「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。
 三七 イエスは声高く叫んで、ついに息をひきとられた。
 三八 そのとき、神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた。
 三九 イエスにむかって立っていた百卒長は、このようにして息をひきとられたのを見て言った、「まことに、この人は神の子であった」。
 

 『マルコによる福音書』については、ブルトマンの釈義に沿って、記しておきたい。

 一章
 一五 「時は満ちた、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」。

 一章一五は、この世の時はその期限が来ているというイエスの説教の要約で、悔い改めよという呼び声。

 二章
 一五 それから彼の家で、食事の席についておられたときのことである。多くの取税人や罪人たちも、イエスや弟子たちと共にその席に着いていた。こんな人たちが大ぜいいて、イエスに従ってきたのである。
 一六 パリサイ派の律法学者たちは、イエスが罪人や取税人たちと食事を共にしておられるのを見て、弟子たちに言った、「なぜ、彼は取税人や罪人などと食事を共にするのか」。
 一七 イエスはこれを聞いて言われた、「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である。わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである」。

 二章一五~一七は、はじめにイエスの言葉だけが存在し、場面は後からの創作で、ブルトマンが唱えるアポフテグマの典型例。

 八章
 二七 さて、イエスは弟子たちとピリポ・カイザリヤの村々へ出かけられたが、その途中で、弟子たちに尋ねて言われた、「人々は、わたしをだれと言っているか」。
 一〇章
 五二 そこでイエスは言われた、「行け、あなたの信仰があなたを救った」。すると彼は、たちまち見えるようになり、イエスに従って行った。

 八章二七~一〇章五二は、伝承。

 一二章
 二五 彼らが死人の中からよみがえるときには、めとったり、とついだりすることはない。彼らは天にいる御使のようなものである。

 一二章二五は、万物はまったく別様になるということ。

 こうして僕はようやく四つの福音書に目を通したことになる。読む順番に関しても、やはり僕らしかった。一般的にはマルコかマタイ、もしくはヨハネから読み始めるのだろうが、そうはならなかったから。
 僕は福音書の素晴らしさをこれから徐々に実感していくことだろう。

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