Vol.201 『民数記』二一章から三六章を読んで


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 前々回の更新(Vol.199)からの続きで、過日に『民数記』を読んだことから、その備忘録として、二一章から三六章について記しておきたい。

 二一章
 8 そこで主はモーセに言われた、「火のへびを造って、それをさおの上に掛けなさい。すべてのかまれた者が仰いで、それを見るならば生きるであろう」。
 21ここでイスラエルはアモリびとの王シホンに使者をつかわして言わせた、
 33 転じてバシャンの道に上って行ったが、バシャンの王オグは、その民をことごとく率い、エデレイで戦おうとして出迎えた。
 二二章
 1 さて、イスラエルの人々はまた道を進んで、エリコに近いヨルダンのかなたのモアブの平野に宿営した。
 2 チッポルの子バラクはイスラエルがアモリびとにしたすべての事を見たので、
 7 モアブの長老たちとミデアンの長老たちは占いの礼物を手にして出発し、バラムのもとへ行って、バラクの言葉を告げた。
 21 明くる朝起きてバラムは、ろばにくらをおき、モアブのつかさたちと一緒に行った。
 二三章
 19 神は人のように偽ることはなく、また人の子のように悔いることもない。言ったことで、行わないことがあろうか、語ったことで、しとげないことがあろうか。
 二四章
 13 『たといバラクがその家に満ちるほどの金銀をわたしに与えようとも、主の言葉を越えて心のままに善も悪も行うことはできません。わたしは主の言われることを述べるだけです』。
 二五章
 11 「祭司アロンの子なるエレアザルの子ピネハスは自分のことのように、わたしの憤激をイスラエルの人々のうちに表わし、わたしの怒りをそのうちから取り去ったので、わたしは憤激して、イスラエルの人々を滅ぼすことをしなかった。
 二六章
 51 これらはイスラエルの子孫の数えられた者であって、六十万一千七百三十人であった。
 

 二七章
 18 主はモーセに言われた、「神の霊のやどっているヌンの子ヨシュアを選び、あなたの手をその上におき、
 二八章
 2 「イスラエルの人々に命じて言いなさい、『あなたがたは香ばしいかおりとしてわたしにささげる火祭、すなわち、わたしの供え物、わたしの食物を定めの時にわたしにささげることを怠ってはならない』。
 三二章
 29 そしてモーセは彼らに言った、「ガドの子孫と、ルベンの子孫とが、おのおの武装してあなたがたと一緒にヨルダンを渡り、主の前に戦って、その地をあなたがたが征服するならば、あなたがたは彼らにギレアデの地を領地として与えなければならない。
 三三章
 1 イスラエルの人々が、モーセとアロンとに導かれ、その部隊に従って、エジプトの国を出てから経た旅路は次のとおりである。
 三五章
 6 あなたがたがレビびとに与える町々は六つで、のがれの町とし、人を殺した者がのがれる所としなければならない。なおこのほかに四十二の町を与えなければならない。

 そして、主役はモーセからヨシュアへ、ストーリーはヨルダン渡河へ、と。
 『民数記』を読んで僕が感じたことは、人口調査は正確なのかという疑問は横へ置くとして、たくさんの人たちが生まれ、生きて、死んでいったことだけは分かった。「イスラエルにおいて、すべての戦争に出ることのできる二十歳以上の者」の一人ひとりを数えたのだから、当然のことながら、その中には寿命や疫病などではなく、戦って死んだ人たち(捕虜になった人たち)も大勢いたはずだ。はからずも、人類の歴史は戦争の歴史だと『民数記』が証明しているのが悲しい。

 以下は余談。
 昨日の午後は下の写真の場所へ足を運びました。
 

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