Vol.207 『バルナバ書(バルナバの手紙)』を読んで 日本語翻訳付


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 『ディダケー(十二使徒の教訓)』 に続き、過日(26日)、『バルナバ書(バルナバの手紙)』を読んだ。
 『バルナバ書(バルナバの手紙)』の翻訳に関しては、荒井献編『使徒教父文書』(講談社文芸文庫)と三小田敏雄「バルナバの手紙」(東海大学紀要)を参考にした(参照)。
 『バルナバ書(バルナバの手紙)』は全二一章から成るが、都合により、一から八章、九から二一章と2回に分けて読んだ。個人的には九章以降が面白く感じた(特に一二章と一五章)。
 さて、ブルトマンによれば、『バルナバ書』は以下の箇所に示されており(下の写真は目次で、著作集3巻139ページ、著作集5巻94ページ)、内容をAからFの六つに整理した。
 


 A 旧約聖書の問題を主題的に扱っており、キリスト教信仰とその「知識(グノーシス)」に初めて開示された旧約聖書の正しい理解を教えようとしている。
 B もっと重要で特色のあるのは「信仰」と「知識」の関連である。著者は読者に向かって「あなたたちが信仰に従って、完全な知識を得るために」この手紙を書いたと言う(一章五節)。「知識」の対象は「義の道」である(五章四節)。
 C 旧約聖書はまたキリストとキリスト教の救いとの預言を含んでいる(五章から八章)。
 D 道徳的指示(九章と十章)。
 E キリスト者の現在の存在は、すでに新しい存在である(一六章九節)。
 F (ディダケーと同じく)ユダヤ教の教理問答を受け入れている(一八章から二一章)。

 AとBの項目に関しては、『バルナバ書(バルナバの手紙)』を読むと、まるで旧約聖書に記されていた事柄の解説書を読んでいるようだ。『バルナバ書』を読んだ後、旧約聖書を再読したくなった(確かめたくなった)。
 Fの項目に関しては、一八章から二〇章は『ディダケー』の一章から五章までと内容が重なっている。僕は一七章の最後が本来の結びであると感じた。

 先に読んだ『ディダケー』は道徳訓であるからして、役に立つこともあるだろう半面、退屈だったが、それと比較して、『バルナバ書(バルナバの手紙)』は総じて面白く感じた。

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