Vol.204 『エズラ記』(ラテン語)を読んで 


 ブログ「Stay The Young (Trilogy)」をお読みいただき、ありがとうございます。

 過日(24日)の午後、約2時間掛かって、『エズラ記』(ラテン語)を読みました。
 巻末に付された「聖書について」には、次のように記されている。

 「エズラ記(ラテン語)」は、黙示文学に属し、おそらく一世紀末に書かれたと思われ、悪、苦しみ、迫害の問題や、神の裁きを述べている。

 補足すると、本書の構成として、三章からはエズラが見た七つの幻が記されている。
 例によって、備忘録を。
 

 一章
 1 預言者エズラの書。
 4 主の言葉がわたしに下った。
 27 お前たちが見捨てたのは、わたしではなく、お前たち自身である。」これは主の言葉。
 二章
 34 だから、わたしは言う。「聞いて理解する異邦の民よ、あなたたちの牧者を待ち望みなさい。彼はあなたたちに永遠の休みを与えてくださる。世の終わりに来られるはずの牧者は、近くにおられるからである。
 三章
 1 都の陥落後三十年目のこと、わたしサラティエル、すなわちエズラはバビロンにいた。わたしは寝床に伏していて胸騒ぎを覚え、さまざまな思いが心をよぎった。
 四章
 9 だから今、わたしは、火と風とあなたが過ごした日々についてだけ、それなしには片ときもいられないものに限って尋ねたのである。しかしあなたはこれについて何も答えられなかった。」
 26 天使はわたしに答えた。「もしあなたが生きているならば見るであろうし、生き永らえるなら、度々驚くであろう。世はたちまち過ぎ去るということを。
 五章
 14 わたしは目を覚ました。わたしの体はひどく震えており、魂は疲労のあまり、消え入りそうになった。
 七章
 28 すなわち、わが子イエスが、彼に従う人々と共に現れ、生き残った人々に四百年の間喜びを与える。
 58 わたしは言った。「統べ治める方、主よ、ふんだんにある方は価値がなく、少ないものほど価値があります。」
 117 今の世では、生きていても悲しむほかなく、死んでからも刑罰しか待ち望めないとしたら、すべての人に何のよいことがありましょう。
 一〇章
 45 女は三十年の間うまずめだったと、あなたに言ったが、これはシオンにまだ犠牲が献げられていなかった期間が三千年間あったということである。
 一二章
 11 海から昇って来るのが見えたあの鷲は、あなたの兄弟ダニエルの幻に現れた第四の王国である。

 僕の最も印象に残った箇所は以下の聖句で、まさかここで『コリント人への第一の手紙』七章29節から31節の「兄弟たちよ。わたしの言うことを聞いてほしい。時は縮まっている。今からは妻のある者はないもののように、泣く者は泣かないもののように、喜ぶ者は喜ばないもののように、買う者は持たないもののように、世と交渉のある者は、それに深入りしないようにすべきである。なぜなら、この世の有様は過ぎ去るからである」と同じような言葉を目にするとは思ってもいなかったから。

 一六章
 41 わたしの民よ、わたしの言葉を聞くがよい。戦いに備えよ。地上にあっては寄留者のようになりなさい。
 42 すなわち、売る人は逃げ出す人のように、買う人はそれをすぐに失ってしまう人のように、
 43 商いをする人は利益を得ない人のように、家を建てる人はそこには住まない人のようになるがよい。
 44 種蒔く人は収穫を期待しないかのように、ぶどうの枝を刈り込む人は取り入れをしないかのように、
 45結婚する人は子をもうけないかのように、結婚しない人はやもめであるかのように生きるがよい。

 『エズラ記』(ラテン語)を読了して、旧約聖書続編を読破した。下の写真は目次で、月並みながら、感慨深いものがある。
 

 昨年秋から旧約聖書続編を読み始めて、年末年始に中断した。最も印象に残ったのは『シラ書(集会の書)』である。
 次は使徒教父文書の予定。

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