Vol.205 『使徒教父文書』を読むにあたって、とブルトマン著作集5


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 前回の更新(Vol.204)からの続きで、旧約聖書続編の全巻を読み終えて、残すところは旧約聖書の『詩篇』と新約聖書の『ヨハネの黙示録』だけとなった。
 次に読むのは使徒教父文書。
 理由は明快で、それらの文書がブルトマンの論文に出てくるから。ここで言う「それら」とは『ディダケー(十二使徒の教訓)』、『バルナバ書(バルナバの手紙)』、『ヘルマスの牧者』などである。さらに使徒教父文書は正典ではないけれど、そこから学ぶべきことがきっとあるはずで、いわゆる正典はアタナシオス(367年)の第39回復活祭書簡が新約聖書の文書数を27と最終的に確定したことによる。
 使徒教父文書については、荒井献編『使徒教父文書』(講談社文芸文庫)を手に取ることにした。
 

 機会があれば、はしがきに記されている『聖書の世界 別巻 4』(講談社)も手に取ってみたい。また『バルナバ書(バルナバの手紙)』に関しては、三小田敏雄「バルナバの手紙」(東海大学紀要)も併せて読みたいと思っている(参照元)。
 使徒教父文書を読むにあたっては、『ブルトマン著作集5巻』の第55章「正しい教理の問題と新約聖書の正典成立」に目を通しました。
 ブルトマンは正典の成立に関して、以下のように記している。

 問題は、使徒的と認められる文書を、しだいに増加していく文書の中から選り分ける選択であった。(中略)。どのようにして使徒活動の部分の限定が生じたのか、またなぜヘブル書や黙示録のような疑問を投げかけられた文書が正典とされ、他方ではⅠクレメンスやバルナバ、ヘルマスの牧羊者のようなものが排除されたのか(64ページ)。

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