Vol.211 『パピアスの断片』を読んで 日本語訳付


 ブログ「Stay The Young (Trilogy)」をお読みいただき、ありがとうございます。

 『パピアスの断片』の一章から七章を2日の夕方に、八章から一三章までを3日の朝に読んだ。本文中にはペテロを始めとする使徒たちの名がたくさん出てくる。しかしながら、「断片」と題するだけあって、短く細切れにされた内容が、読みやすいかと思いきや、かえって理解するのに苦労した。
 パピアスについては、下の写真にあるように荒井献編『使徒教父文書』(講談社文芸文庫)の訳者による解説を参考にしました。
 

 以下はネット上で見つけた『パピアスの断片』の翻訳で、参考のために引用(コピペ)しておく(参照元)。

 一
 (エイレナイオス『異端反駁論』V33・3~4)
 二
 1 パピアスの著作は、数でいえば5巻が伝存しており、これらにはまた『主の語録の説明』という標題がつけられている。これらが彼ひとりによって書かれたものであることは、エイレナイオスも言及して、ほぼ次のように言っている。「さらにまたこれらは云々」。2 エイレナイオスもこれらのことを(述べている)。たしかに、パピアス本人が、その巻本の序文で、自身はけっして聖なる使徒たちの聴聞者でも目撃者でもないと表明し、信仰のことは彼らの知己たちから聞き伝えたのだと教えている。彼の主張するところを引き写しにすると
 3 「それではあなたのために、かつて長老たちからわたしが美しく学び、美しく記憶しているかぎりのことを、訳をつけて示すことをわたしはためらわない。それらが真理であることを確信をもって断言して。というのは、わたしが喜ぶのは、多衆とは異なり、多くのことを言う人々をではなく、真実を教える人たちであり、また、他人の戒めに言及する人々ではなく、主から信仰に与えられ、真理そのものに由来するにだからである。4 誰か長老たちにつきしたがったことのあるひとがやってきたときには、そのつど、長老たちのことばをわたしは問いただすことをつねとした。アンドレは何を、あるいはペトロは何を云ったか、あるいは、ピリポは何を、トマスあるいはヤコブは何を、あるいは、ヨハネとかマタイとか、あるいは主の弟子たちのうち別の誰かは何を、また、アリスティオーンと長老ヨハネ(いずれも主の弟子たち)が言っていることは何か、と。なぜなら、書物から得られる事柄は、生きた声、永続する声によって聞かされる事柄ほどには、わたしを益するとはわたしは考えなかったからである」。
 5 ここで、彼がヨハネの名前を2度挙げていることに気づくことが大事である。そのうち、最初のを、ペトロ、ヤコブ、マタイ、その他の使徒たちの仲間として数え入れ、福音伝道者であることとはっきりと明らかにし、もう1人のヨハネの方は、言いまわしを区別して、使徒たちの数とは別の仲間の数に入れ、この前にアリスティオンを置いて、これまたはっきりと長老と名づけているのである。6 こうすることによってこそ、アシアには同名の者が2人おり、2人の墓はエペソスにあるが、それぞれ別のヨハネのものだと、今もなお言われていると述べ来たった人たちの記録が真実であることが証明されることになるのである。心を傾注すべきはじつにこの点にある。というのは、第一を望まぬ人がいるとしても、第二のが、ヨハネの名で伝えられている『黙示録』を見たことがあるのは、尤もなことだからである。7 そして、今わたしたちによって明らかにされているパピアスも、使徒たちの言葉を、彼ら使徒たちにつきしたがった人たちから聞き伝えたと告白し、自分はアリスティオンと長老ヨハネの聴聞者だったと主張している。とにかく、しばしば名指しで彼らに言及し、自分の著書の中に彼らの伝承を収録しているのである。こういった点が述べられても、わたしたちにとって無用なことでなければよいが。
 8 パピアスが伝承してきた声に、彼の別の引き写し添えることは、有意義である。これを通して、彼は一種意想外なことやその他のことを、伝承によって彼のもとに伝わったと記録しているのである。9 さて、ヒエラポリスで使徒ピリポが娘たちといっしょにすごしたということは、先の箇所(エウセビオス『教会史』3・31)で明らかにされたとおりであるが、パピアスが彼らのところにいたとき、驚くべき話がピリッポスの娘たちによって聞き伝えられていると言及していることが、目下の注目点である。すなわち、そのころ、死人の甦りがおこったと彼は記録し、またさらに、バルサバと呼び名されたユストについて別の意想外なことが再び起こり、毒薬を飲んだが、主の恵みのおかげでなんら不快になることなく生きながらえた、というのである。10 このユストを、救い主の昇天後、聖なる使徒たちは、マッティアとともに立て、裏切り者ユダの代わりに、彼らの数を補充するために抽籤することを祈ったと、『使徒行伝』という書は、ほぼ次のように記録している。「そこで一同は、バルサバと呼ばれ、ユストと添え名されたヨセフと、マッティアとの2人を立てた。そして祈って云った」(1・23~24)。11 またほかにも、この同じ著者は、書かれざる伝承から自分のもとに伝わってきたものとして引用している、それは、救い主のいくつかの馴染みのない喩え話や、その教えや、他にもかなり神話的な話である。12 その中で彼の主張するのは、死人たちの甦りの後、クリストスの王国がこの地上に形体をそなえてうち立てられ、およそ1000年もの期間つづくであろうという。これこそ、わたしの考えるに、使徒たちの話を取り違えて理解したことがらで、彼らから比喩によって神話的に述べられたことを見抜けなかったものである。13 実際のところ、その巻本から証拠立てて云うことができるように、すこぶる理解力が小さいようにみえる。ただし、彼の後の大多数の人たち 教会人たちのうち、彼に類似した意見の持ち主となったかぎりの人たちの共犯者に彼がなったということは別のことである。その連中は、この人物の古さを大前提にした人たちで、例えば、エイレナイオスや、他の誰であれ、類似したことを考えて表明したひとである。14 さらにまた、彼が自分の書に伝承しているのは、先の箇所ですでに明らかにされたアリスティオンの、主の言葉についての他の説明と、長老イオーアンネースの伝承である — 愛学者たちなら、これを読むよう勧める、今は、当然、彼の先に公表された声に加えて次の伝承を付け加えよう。これは、福音書を書いたマルコについて発表したもので、次のとおりである。
 15 「これも長老が言っていたことだ。マルコは、ペトロスの通訳者であって、記憶しているかぎりのことを、精確に書いた、ただし、主によって言われたことにしろ為されたことにしろ、順序立ててではない。なぜなら、主から聞いたのでもなく、これに付き従ったのでもなく、わたしが謂ったように、後になって、必要のために教えを広めたペトロであって、主の語録のいわば集成のようなことをしたのではなかった、その結果、マルコはいくばくかのことを思い出すままに書いたが、何らの過ちも犯さなかった。というのは、聞いたことは何ひとつ取り残すことなく、あるいは、そのさいに何らか虚言するもないよう、その一点に配慮したからである」。以上が、パピアスによって記録されたことである。マルコについて。他方、マタイについては、以下のことが述べられている。「ところでマタイは、ヘブル語で語録を編集し、これをそれぞれのひとが可能な仕方で翻訳した」。
 17 また同じ著者は、ヨハネの第一の手紙をもとに、また同様にペトロのをもとに証言を行い、またほかにも、多くの罪ゆえに主に告げ口された女について(『ヨハネ福音書』7;53~8;11)、ヘブル人たちの用いる福音書に書かれている記録を発表している。このことも、発表されたことに加えて、われわれの注目すべき点である。
 三
 1 アポリナリオスによる。ユダは首を吊って死んだのではなく、窒息死する前に引きずり降ろされて息を吹き返した。このことを明らかにしているのが『使徒行伝』〔I_18〕にほかならず、真っ逆さまに落ちて、腹が破裂し、その内臓がこぼれ出たという。またこのことをもっとはっきりと記録しているのは、ヨハネの弟子パピアスで、『主の言葉の説明』の第4巻の中で、次のように言っている。2 「涜神行為の大いなる見本として、ユダはこの世を彷徨った。その肉体はあまりに脹れあがったため、荷車が容易に通過できるところさえ、かの男は通過できないほど、いやそれどころか、彼の頭の大きさひとつさえもほどになった。例えば、彼の両眼のまぶたは、言い伝えでは、あまりに腫れあがってしまったため、彼は光をぜんぜん見られず、彼の両眼は、医者が検眼鏡を使っても見ることができないほどになった。それほどまでに、体表から深く(おちこんで)いたのであった。さらに、彼の恥部はいかなる醜悪さよりも不快かつ巨大に見えたし、そこから身体中の体液と蛆とが、ただただ必要性のためだけに流れ出てきて、むごたらしい様となったと。3 多大な責め苦と罰(を受けた)後、言い伝えでは、自分の地所で命終したが、悪臭のせいで、今に至るまで荒涼たる無人の地となった、いやそれどころか、今日に至るまで、誰であれ、鼻を両手でふさがないかぎりは、その地を通りすぎることさえできないという。彼の肉体のせいで、この地上に、それほどまでの流出が進行したのである」。
 四
 パピアスは、次のように(述べている)。引き写しにすると、「彼ら 明らかに昔の神的な天使たち のなかの何人かに、地上の秩序を支配するようにさせるとともに、美しく支配するようにも命じた」。さらに続けて彼は主張する。「ところが、彼らに対する指令は無に帰する結果になった」。
 五
 しかしながら、この書(ヨハネの『黙示録』)の神の霊感について、長広舌をふるうことは余計なことだとわたしたちは考える、というのは、浄福者たち わたしの謂うのは、論者のグレゴリオスやキュリロスや、これに加えるに、昔の人たち パピアス、エイレナイオス、メトディオスとヒッポリュトスが、この書のために信頼に足ることを追加証言しているからである。(カイサリアのアンドレアス『黙示録』序文)。
 六
 話題を得ているのは、大いなる人パピアス ヒエラポリス人で、(主の)み胸にもたれし者の生徒だった人物、および、クレメンスと、アレクサンドリアの祭司パンタイノス、至賢のアムモニオス、こういった昔の、公会議以前の解説者たち、すなわち、六日間がクリストスと全教会に起こったと考える人たちからである(シナイのアナスタシオス『六日間の歩みについての考察』)。
 七
 ところで、教会の解説者たちのうちのより古い人たち、つまりわたしが言うのは、哲学者にして、使徒たちのうちの同時代者たるフィロや、大いなるパピアス 福音宣伝者ヨハネの生徒 や 彼らをとりまく人たちのことだが、彼らは天国の問題を、キリストの教会に関連づけて、霊的に観照した。
 八
 神に対して無邪気さを行う者たちのことを、しもべと呼んだとは、パピアスも『主の(言葉の)説明』の首巻の中で明らかにし、アレクサンドリア人クレメンスも『養育係』の中で明らかにしている。
 九
 彼はこう主張しながら、パピアス 当時アシアにあったヒエラポリスの監督者となり、神的な福音伝道者ヨハネと同時代に盛りにあった人物 をほのめかしているのだとわたしは思う。というのは、このパピアスは、その『主の言葉の説明』の第4巻のなかで、甦りのさいに食べ物の享受があると云った またリヨン人エイレナイオスも、『異端反駁論』第5巻のなかで同じことを主張し、自分によって述べられたことの証人として、上述のパピアスを挙げているからである。
 一〇
 ましてや、ヒエラポリスの監督者にして殉教者パピアスも、リヨン人たちの敬虔な監督者エイレナイオスも(ステパノは受け容れなかった)、その所以は、天上の王国とは、一種の食べ物の享受であると彼らが言うからである。
 一一
 1 ヒエラポリスの監督者パピアスは、論者ヨハネの聴聞者であったが、ポリュカルポスの朋輩でもあり、『主の語録』5巻を書いた。その中で使徒たちの数を数えあげ、ペトロ、ヨハネ、ピリポ、トマス、マタイとともに、主の弟子たちの中に数え入れたのが、アリスティオンと、もうひとりのヨハネ これを彼は長老とも呼んだ  である。一部の人たちの想定では、このヨハネには、2編の小さな公同書簡 これらはヨハネの名を冠して伝えられている  が帰せられるのだが、それは、昔の人たちが第1の書簡のみを数え入れたからである。さらにまた一部の人たちは、間違ってではあるが、『黙示録』をもこの(ヨハネ)のものとみなした。そして、パピアスも「千年」説に躓いたが、これにエイレナイオスも躓いた。2 パピアスは第2巻の中で言う、論者ヨハネと、その兄弟のヤコブとは、ユダヤ人たちによって亡き者にされたと。通訳者パピアスが、ピリポの娘たちから伝え聞いたとして記録しているところでは、バルサバ ユストとも合格審査された は、無信仰者たちのせいで蝮の毒を飲んだけれど、キリストの名ものもとに、無害のまま無事であったという。さらにまた他の驚異をも記録したが、とりわけ、マナイモスの母親で、死人たちの中から甦った女性のことをも記録している。また、キリストのおかげで死人たちの中から甦った人たちについて、アドリアヌス(帝の時代)まで生きながらえたという。
 一二
 1 ドミティアヌスの後、ネルヴァが、1年間、王支配した、彼はヨハネを島から呼びもどし、エペソに住むことを赦したが、当時、十二使徒たちのうちで生きながらえていたのは彼ひとりだけで、自分で福音書を著したので、殉教者にふさわしいとみなされた。2 すなわちヒエラポリスの監督者パピアスは、その人物の目撃者であって、『主の語録』の第2巻の中で主張している、ユダヤ人たちによって亡き者にされたと。つまり、兄弟とともに、彼らに対するキリストの予言と、彼に対する自分たちの告白と同意とを、明らかに成就したというのである。というのは、主が彼らに向かって、「わが飲む杯、これを汝ら飲むや?」とおっしゃった、すると彼らは熱心に諾いかつ申し合わせたところ、「わが杯を」とのたまう、「汝ら飲まん、また、わが受ける洗礼、これを汝ら受けん」(『マルコ福音書』10;38~39)。げに尤もなことである。神が虚言なさることはありえないからである。3 同様に、博学者オリゲネスも、『マタイ福音書註釈』の中で、ヨハネが殉教したと、確信をもって断言している。このことは使徒たちの後継者たちから学んだと述懐しつつ。それから、博識者エウセビオスも『教会史』の中で主張している。トマスはパルティアを籤でひき、ヨハネはアシアを籤でひいた、そうしてヨハネは彼らのもとで過ごして、エペソで命終した、と。
 一三
 (欠番。ヴァチカン所蔵の写本 Alex.14 9世紀)

 以下は余談。
 先月までは風邪(最初に喉が痛くなり、次に鼻水が止まらない症状)でしたが、2日、3日、4日をどうにか無事に乗り切りました。
 下の写真がそれで、僕の毎年の楽しい恒例行事ながらも、足が冷たくなるのが応えます。
 

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