Vol.214 『ヘルマスの牧者』「まぼろし」「いましめ」「たとえ」を読んで


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 7日の午後、『ヘルマスの牧者』をざっと読みました。「ざっと」と書いたのは、同じ「使徒教父文書」の『ディダケー』や『バルナバ書』とは違って、細部にはこだわらず、目を通したことからで、『ヘルマスの牧者』は「使徒教父文書」と呼ばれる中で、(内容を理解するのに)最も苦労させられました。
 先に書いておくと、ブルトマンの論文において、「使徒教父文書」の中では、『ヘルマスの牧者』が最も数多く取り上げられている。ブルトマンによれば、『ヘルマスの牧者』は「神の戒めをヘルマスはくりかえしくりかえし読者に教え込んで」いて、「この書は全体が一つの悔い改めへの招き」であると指摘する(『著作集5』92ページ)。
 『ヘルマスの牧者』の内容は5つのまぼろし、12のいましめ、10のたとえの三部で構成されている。例を挙げると、下の写真は『ヘルマスの牧者』の「第五のいましめ」の一章1節で、表記しては「いましめ 5,1;1」となる。
 

 上の場面(いましめ 5,1;1)はヘルマスが質問をして、それを彼(牧者の姿をした天使)が解き明かすといった箇所の1つで、全書を通して、そうした内容が繰り返されている。巻末に付された訳者による解説によると、『ヘルマスの牧者』は当時、広く読まれたらしい。が、僕個人としては、くどい、というか、単調に感じて、退屈でもあった。
 印象に残ったのは第五のいましめ一章と二章(に出てくる短気について)と第六のたとえ四章から五章(に取り上げられていた懲罰と責苦の期間について)。
 テキストである荒井献編『使徒教父文書』(講談社文芸文庫)において、『ヘルマスの牧者』は3分の1以上のページが割かれており、文芸文庫の一冊とした(新版とした)理由はここにあったのだろう、と。

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