Vol.224 『オクシリンコス・パピルス』その他を読んで、と『蓮如上人御一代記聞書』


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 18日夕、日本聖書学研究所編『聖書外典偽典6』新約聖書外典Ⅰ(教文館)に収録されているパピルスを読みました。
 下の写真が目次で、7つのパピルスが翻訳されています。
 

  オクシリンコス・パピルス840
  オクシリンコス・パピルス654
  オクシリンコス・パピルス1
  オクシリンコス・パピルス655
  カイロ・パピルス10735
  エジァトン・パピルス2(大英博物館所蔵)
  ファイユーム断片(ファイユーム・パピルス)

 ブルトマンも著作集において、それらを取り上げているが、主に脚注においてである。
 「オクシリンコス・パピルス654」や「オクシリンコス・パピルス1」では、イエスの語った言葉が記されており、『トマスによる福音書』に平行するとのこと。「エジァトン・パピルス2」では、イエスが奇跡(らい病を治す)を起こし、また、『ヨハネによる福音書』と「似かよっている面が強い(本書27ページ)」とのこと。
 文末になったが、参考までに『ファイユーム断片』の全訳を引用しておく。

 いつものように食事をしたのちに言った。「きみたちすべての者が今晩、『われわれは羊飼いを撃ち、それに伴って羊たちは散らされるであろう』と聖書に言われている通りにつまずくであろう。ペテロが、「たとえすべての者がそうであったとしても、わたしは違います」と語り終えた時、主は言った。にわとりが二度鳴く前に、きみはきょう三度わたしを拒否するであろう」。

 以下は余談。
 今日の午後は長谷川公茂先生が講師を務める一宮円空会へ顔を出しました(先月は諸事情により、お休みしました)。
 

 テーマは親鸞聖人の『歎異抄』にある「摂取不捨の利益」について。最後には、まだ僕が読んだことのない『蓮如上人御一代記聞書』が出てきて、ハッとさせられました。すなわち、「只仏法は聴聞に極まることなり(仏の教えはひたすら聴くことに尽きる)」と、蓮如上人は仰せになられたという。

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