Vol.209 クレメンスの手紙 第一、第二を読んで


 ブログ「Stay The Young (Trilogy)」をお読みいただき、ありがとうございます。

 今年も早いもので、一ケ月が過ぎてしまった。『ピリピ人への手紙』の3章14節に「目標を目ざして走り、キリスト・イエスにおいて上に召して下さる神の賞与を得ようと努めているのである」とあるように、先月はキリスト教に関する文献をまさしく走るようにして読みました。そうであるからして、月が替わっても、その話題です。どうぞお付き合いください。
 さて、本題。荒井献編『使徒教父文書』(講談社文芸文庫)に収録されている『クレメンスの第一の手紙』と『クレメンスの第二の手紙』を先月の28日午前と31日午後に読みました。
 『クレメンスの手紙』はどちらもブルトマンの論文において、数多く取り上げられている。第一の手紙がおよそ200箇所で、第二の手紙がおよそ100箇所となっており、数の上からも、ここでは逐一取り上げることはできない。
 また、『クレメンスの第二の手紙』の内容は悔い改め(説教)なので、『クレメンスの第一の手紙』と同列に論じることはできない。したがって、備忘録としては、印象に残った章を挙げておく。
 『クレメンスの第一の手紙』は全部で六五章から成る。そのうち、七章、八章、二〇章、二七章、五九章に学ぶべき箇所があった。

 五八章
 2 私たちの助言を受入れよ、そうすれば君たちは悔むことがないであろう。なぜなら、神は生きておられる。主イエス・キリストと聖霊は生きておられる。選ばれた者の信仰と希望(中略)それは生きているのだ。このイエスを通して、神に栄光が永遠から永遠にあるように、アメン。

 また下の写真にあるように四七章1節には、「使徒なる至福パウロの手紙を取挙げよう」とあった。 
 

 『クレメンスの第二の手紙』は全部で二〇章から成る。そのうち、八章と一〇章に(聖書からの引用ではなく、オリジナルという意味での)学ぶべき箇所があった。

 以下は余談。
 人は自らの生きる時代に左右されながら、生きていく他はない。一方で、キリスト教に関する文献を読んでいると、イエスの言葉が2000年の時空を飛び越えて、僕に語りかけてくる。

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