Vol.67 『ペテロの第一の手紙』を読んで


 『ペテロの第一の手紙』の中で、僕が最も印象深いのは第二章第一一節であり、僕にとって、『ペテロの第一の手紙』は第二章第一一節に収斂されると言っても過言ではない。

 第二章
 一一 愛する者たちよ。あなたがたに勧める。あなたがたは、この世の旅人であり寄留者であるから、たましいに戦いをいどむ肉の欲を避けなさい。
 

 人は、そして、僕は何者かと言えば、この世で、今、生きているうちは「旅人であり寄留者である」と。そして、いつか旅は終わり、あるいは滞在が終わって、帰って行く(死ぬ)のだ、と。
 旅の途中、滞在者として、いかに行動する(生きる)のかについても、続けて記されている。

 一六 自由人にふさわしく行動しなさい。ただし、自由をば悪を行う口実として用いず、神の僕にふさわしく行動しなさい。

 話題が前後するけれども、『ペテロの第一の手紙』を読んで、僕がハッとさせられたのは、いつか別の場所で書いたこと(『ペテロの第二の手紙』2・13、3・14)のある「きず」と「しみ」という表現が、ここにも出てきたことだ。

 第一章
 一九 きずも、しみもない小羊のようなキリストの尊い血によったのである。

 『新約聖書』には、全部で21の手紙がしたためられているが、『ペテロの第一の手紙』はまるで僕宛てに差し出されたのではないかと、そう思えてならない。まだまだ書きたいことは山ほどあるのだが、それは止めておくことにする。

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