Vol.51 『ローマ人への手紙』とブルトマンの2つの論文を読みました


 昨日は『聖書』の「ローマ人への手紙」を読んだ。読んでいる最中、ブルトマンならば、という視点が見えた。読後の感想としては、簡潔に「凄い」とだけ記しておく。
 例によって、僕の心に響いた言葉(口語訳)を挙げておきたい。

 2・11 なぜなら、神には、かたより見ることがないからである。
 8・6 肉の思いは死であるが、霊の思いは、いのちと平安とである。
 10・17 したがって、信仰は聞くことによるのであり、聞くことはキリストの言葉から来るのである。
 12・19 愛する者たちよ。自分で復讐をしないで、むしろ、神の怒りに任せなさい。なぜなら、「主が言われる。復讐はわたしのすることである。わたし自身が報復する」と書いてあるからである。
 13・11 なお、あなたがたは時を知っているのだから、特に、この事を励まねばならない。すなわち、あなたがたの眠りからさめるべき時が、すでにきている。なぜなら今は、わたしたちの救が、初め信じた時よりも、もっと近づいているからである。
 15・15 しかし、わたしはあなたがたの記憶を新たにするために、ところどころ、かなり思いきって書いた。それは、神からわたしに賜わった恵みによって、書いたのである。
 16・27 すなわち、唯一の知恵深き神に、イエス・キリストにより、栄光が永遠より永遠にあるように、アァメン。
 

 続けて、ブルトマンの論文「ローマ人への手紙の挿入句」(『著作集8』聖書学論文集2)を読んだ。短いということもあって、今まで読んだ他のブルトマンの論文と比較すると、その内容がほぼ理解できた。嬉しい(ただし、後になって、取り上げる章が前後する内容に手間取った)。ブルトマンの著書『ヨハネの福音書』を読んだときの、ワクワクするような感じとは、また違うけれど、それに似た高揚感があった。
 

 今日の午前中は一昨日に途中まで読んでいたブルトマンの論文「ローマ人への手紙第七章とパウロの人間論」(『著作集8』聖書学論文集2)を再読した。途中までの理由は、本書(本稿)の7ページ以降の内容がそれまで(第7章第14節以下に描かれた分裂)と違い、全章を眺めることから、ひとまず横へ置いておいた。内容としては、なかなか手強く、理解できなかった箇所があるのも事実だ。
 

 ブルトマンは「ローマ人への手紙」に関する論文を他にも書いていることから、それを読むのが(苦痛を伴うだろうけれども)楽しみである。
 そして、今日の午後は妨害されたけれど、こうした難しい本を読むことができる幸せな環境に感謝と、それがこの先も続くようにと、そうした平安を僕は心の底から願っている。

0 件のコメント:

コメントを投稿