Vol.78 『ヨシュア記』第七~二四章を読んで


 前回の更新(Vol.77)からの続きで、2回に分けて読んだ『ヨシュア記』についての感想です。
 

 一〇章
 一二 主がアモリびとをイスラエルの人々にわたされた日に、ヨシュアはイスラエルの人々の前で主にむかって言った、「日よ、ギベオンの上にとどまれ、月よ、アヤロンの谷にやすらえ」。
 一三 民がその敵を撃ち破るまで、日はとどまり、月は動かなかった。これはヤシャルの書にしるされているではないか。日が天の中空にとどまって、急いで没しなかったこと、おおよそ一日であった。
 一四 これより先にも、あとにも、主がこのように人の言葉を聞きいれられた日は一日もなかった。主がイスラエルのために戦われたからである。

 上に引いた箇所を読んで平清盛が沈む夕日を扇で仰いだというエピソードを思い浮かべたのは、きっと僕だけではないはず。そして、ヤシャルの書を読んでみたくなった。

 二〇章
 二  「イスラエルの人々に言いなさい、『先にわたしがモーセによって言っておいた、のがれの町を選び定め、
 三 あやまって、知らずに人を殺した者を、そこへのがれさせなさい。これはあなたがたが、あだを討つ者をさけて、のがれる場所となるでしょう。

 もしも現代に「のがれの町」があったとしたら、世の中の姿は大きく違っていたことだろう、と。

 二三章
 二  ヨシュアはイスラエルのすべての人、その長老、かしらたち、さばきびと、つかさびとたちを呼び集めて言った、「わたしは年も進んで老人となった。

 老いたヨシュアの口から出た言葉を僕は二度、三度と読み返していた。

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