「テトスへの手紙」において、しばしば取り上げられるクレテ人のパラドックスに関しては、さほどの重きを感じなかった。
一章
一二 クレテ人のうちのある預言者が「クレテ人は、いつもうそつき、たちの悪いけもの、なまけ者の食いしんぼう」と言っているが、
一三 この非難はあたっている。だから、彼らをきびしく責めて、その信仰を健全なものにし、
一章
一五 きよい人には、すべてのものがきよい。しかし、汚れている不信仰な人には、きよいものは一つもなく、その知性も良心も汚れてしまっている。
二章
一五 あなたは、権威をもってこれらのことを語り、勧め、また責めなさい。だれにも軽んじられてはならない。
三章
二 だれをもそしらず、争わず、寛容であって、すべての人に対してどこまでも柔和な態度を示すべきことを、思い出させなさい。
テトスは「コリント人への第二の手紙」「ガラテヤ人への手紙」「テモテへの第二の手紙」にも登場するという。それら3通の手紙を僕はまだ読んでいない。
彼(テトス)の人間像に触れていないからだろうか。あるいはパウロのメッセージに上からの目線をどことなく感じたからだろうか。「テトスへの手紙」は僕の心にはあまり響かなかった。
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