Vol.91 ブルトマンの2つの論文とロビンソン著『神への誠実』


 『ブルトマン著作集14』神学論文集4(新教出版社)に収録されている論文の内、昨日、「神への信仰はもうおしまいか」と「神観念と現代人」を読んだ。
 どちらの論文も冒頭にジョン・A・T・ロビンソン司教の著書『神への誠実』が引き合いに出されている。ぜひとも読んでみたいと思い、調べてみたら、ロビンソン著『神への誠実』の翻訳本が小田垣雅也の訳で、日本キリスト教団出版局から出ている。だが、書店の店頭はおろか、愛知県下のいずれの図書館にも蔵書として無いことが分かって、はなはだ残念だ。書店の店頭に並んでいないのは、諸々の事情から致し方ない。けれども、どれだけ立派な図書館を建てたとしても、借りたい本が無ければ、何の意味があろうか。
 話を戻そう。
 2つの論文を読んで、宗教と人間に対する考え方が大変勉強になった。たとえば、「神の変様」について。いずれにせよ、ブルトマンにはいつも感心させられ、教えられる。
 

 『神への信仰はもうおしまいか』について。
 文末に「此岸から彼岸への逃避はありえない。神に出会うのは此岸においてなのである。この逆説を理解することこそ、唯一の重要なことである」と記されており、僕は思わず深く頷いた。
 

 『神観念と現代人』について。
 「無神論は虚無主義である(中略)。自然科学の無神論は、それが世界を客体化的観察方法で処理してゆくという点においては、一つの方法的な操作である。この方法はどうしても神を無視するほかない。神とか超感覚的なものとかは、客体視の対象ではありえないからである」。
 「『宗教心はとどのつまり孤独のあらわれである』。世界は彼岸との結びつきから解放されたが、そこにいる人間に重くのしかかっている問題は、自己自身を見出し、自己自身の在りかたを確かなものにすることである。超越との関係を失ったために、人間の自己自身についての知の確かさも失われてしまった(後略)」。

 上の文章に関して、丁寧な注釈があり、それも引用しておく。

 「人間は万事に対処できるが、自分のことばかりはどうにもならぬ。人間は一切に対して身を守れるが、人間が相手だとだめである。ぎりぎりのところ人間が問題だからである。」

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