『エステル記』に関しては、その内容について、特に(具体的に)心に留めておきたい、といった箇所はなかった。なるほどタイミングというのは、とても大切である。
『ルツ記』と同じく、聡明な女性が主人公で、悪者のハマンは一喜一憂したり、陰謀が失敗して、処刑されたりするが、登場人物の中で、最も人間的らしく描かれていたように感じた。
しかしながら、『エステル記』は別の意味において、僕の心に残った。
各教会ではいろんな集会が行われているが、その一つに「聖書通読の会」があり、過日(19日)、参加した。つまり、いつも、というか、これまでは独りで『聖書』を読んでいたが(主日礼拝は別として)、初めて他の人と一緒に読んだのだ。
下の写真が集会となった場所(部屋)です。
僕は聖書通読の会に参加して、『エステル記』を朗読しながら、『マタイによる福音書』第一八章二一節「ふたりまたは三人が、わたしの名によって集まっている所には、わたしもその中にいるのである」の言葉を思い出していた。
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