Vol.90 ブルトマン著「古代ギリシアならびにキリスト教における楽観主義と悲観主義」を読んで


 前回の更新(Vol.89)からの続きで、『ブルトマン著作集14』神学論文集4(新教出版社)に収録されている論文の内、過日に読んだ「古代ギリシアならびにキリスト教における楽観主義と悲観主義」について。
 

 古代ギリシアの詩歌に見られる悲観主義(の調子)についてはホメロスの『イーリアス』などを例に挙げて、また、プラトンやストアの世界観を分かりやすく取り上げたりと、ブルトマンの知識に僕は感心しきり。
 さらに人間について論じた箇所には、今回も深く教えられた。

 「人間(すなわち彼の本来の自我)は異邦人としてある。この人間を、ぞっとするような孤独感、恐ろしい不安を襲うことがある(104ページ)」。
 「この世における人間の存在は時間的なものであり(117ページ)」。

 『コリント人への第一の手紙』第七章三一節「この世の有様は過ぎ去るからである」とあるように、もはや楽観か悲観か、それは問題ではなくて、「人は過ぎ去って行く時間にしばられたままでいるか(117ページ)」、それとも新しい者となるか、ということである。『コリント人への第二の手紙』第五章一七節「だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである」。

0 件のコメント:

コメントを投稿