Vol.81 『テサロニケ人への第二の手紙』を読んで


 僕には自分の力ではどうにもならないことを気に病む悪い癖があって、それがこうして『聖書』を読ませる(いわば外側の)要因の一つになっている。
 と、本論とは何の関係もないことから、書き始めたのには、理由がある。

 一章
 六 すなわち、あなたがたを悩ます者には患難をもって報い、悩まされているあなたがたには、わたしたちと共に、休息をもって報いて下さるのが、神にとって正しいことだからである。

 二章
 二 霊により、あるいは言葉により、あるいはわたしたちから出たという手紙によって、主の日はすでにきたとふれまわる者があっても、すぐさま心を動かされたり、あわてたりしてはいけない。
 

 二章の途中から「テサロニケ人への第二の手紙」は僕の心を打たなくなった。なぜだろうか。同様に「テサロニケ人への第二の手紙」の中で、最も人に知られている以下の箇所についても。

 三章
 一〇 また、あなたがたの所にいた時に、「働こうとしない者は、食べることもしてはならない」と命じておいた。

 僕はまた、『聖書』において、第一の手紙と第二の手紙があると、どういう風の吹き回しなのか、順序通りではなくて、第二の手紙から読みたくなってしまう。

 以下は余談。
 昨日(17日)の午後はすいとぴあ江南へ行き、(毎年恒例となっている)円空彫り講座のお手伝いをしました。

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