Vol.93 ブルトマン著「クリスマスが持つ意味」と「『哲学的神学』の問題によせて」を読んで


 『ブルトマン著作集14』神学論文集4(新教出版社)に収録されている論文の内、過日(先月の30日)、「クリスマスが持つ意味」と「『哲学的神学』の問題によせて」を読んだ。

 「クリスマスが持つ意味」について。
 アンドレアス・グリフィウスの詩の一節が引用されていた。

  私のものでない、私から時をうばった年月は、
  私のものではない、ひょっとしたらくるかもしれない年月は。
  瞬間こそ私のもの、そして瞬間に心をとめるなら、
  年と永遠を創造された方は私のものである。

 僕は詩があまり好きではないことから、恥ずかしながら、アンドレアス・グリフィウスの詩を今回、初めて読んだ。ブルトマンの教養は凄いと、いつも感心させられる。
 

 「『哲学的神学』の問題によせて」について。
 今までの更新でも何度となく書いてきたけれど、ここでも僕は人間について、ブルトマンに教えられた。
 「いったい、実存とは何であろうか。人間存在が『実存』として特徴づけられるのは、人間がその存在を自己のものとして引き受けねばならないからであり、またそれは人間に、『いかに存在するか』としてゆだねられているからであり、それは時間的であり、歴史的であり、その過去からその将来に向かって、過去と未来に対する決断において生起するからである(本書136ページ引用)」。
 上の引用箇所を読んだ際、僕は以前に読んだブルトマンの論文に「神を考えることは人間(自分自身)を考えることだ」という内容があったことを思い出した(ブログをさかのぼって調べたら、Vol.53で取り上げた「神を語ることは何を意味するのか」であることが分かったので記しておく)。
 神学はもちろん神(この場合、イエスや『聖書』をはじめとするキリスト教全般)について考えるのだろうが、ことブルトマンに限っては、それを突き詰めると、人間を考えていて、であればこそ、僕はブルトマンが好きなのかもしれない、と気がついた。

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