Vol.98 『創世記』第一四~五〇章を読んで(自己解説)


 過日(4日)に『創世記』第一四~五〇章を読みました。
 アブラハムが偉大過ぎて、イサクを一回り小さく感じたり、ヤコブとヨセフの生涯は凄いけれど、彼ら自身に魅力を感じなかったりと、『創世記』の中盤から後半にかけても、大事な箇所がたくさんあるけれど、逐一記したいとは思わない。
 『創世記』に出てくる女性では、ハガルの存在が僕は気になった。厳密に言うと、ハガルと主の使い、もしくは神との係わりが、である。そして、イシマエルについても。

 一六章
 七 主の使は荒野にある泉のほとり、すなわちシュルの道にある泉のほとりで、彼女に会い、
 八 そして言った、「サライのつかえめハガルよ、あなたはどこからきたのですか、またどこへ行くのですか」。彼女は言った、「わたしは女主人サライの顔を避けて逃げているのです」。
 九 主の使は彼女に言った、「あなたは女主人のもとに帰って、その手に身を任せなさい」。
 一〇 主の使はまた彼女に言った、「わたしは大いにあなたの子孫を増して、数えきれないほどに多くしましょう」。
 一一 主の使はまた彼女に言った、「あなたは、みごもっています。あなたは男の子を産むでしょう。名をイシマエルと名づけなさい。主があなたの苦しみを聞かれたのです。
 一二 彼は野ろばのような人となり、その手はすべての人に逆らい、すべての人の手は彼に逆らい、彼はすべての兄弟に敵して住むでしょう」。
 一三 そこで、ハガルは自分に語られた主の名を呼んで、「あなたはエル・ロイです」と言った。彼女が「ここでも、わたしを見ていられるかたのうしろを拝めたのか」と言ったことによる。

 二一章
 一三 しかし、はしための子もあなたの子ですから、これをも、一つの国民とします」。
 一四 そこでアブラハムは明くる朝はやく起きて、パンと水の皮袋とを取り、ハガルに与えて、肩に負わせ、その子を連れて去らせた。ハガルは去ってベエルシバの荒野にさまよった。
 一五 やがて皮袋の水が尽きたので、彼女はその子を木の下におき、
 一六 「わたしはこの子の死ぬのを見るに忍びない」と言って、矢の届くほど離れて行き、子供の方に向いてすわった。彼女が子供の方に向いてすわったとき、子供は声をあげて泣いた。
 一七 神はわらべの声を聞かれ、神の使は天からハガルを呼んで言った、「ハガルよ、どうしたのか。恐れてはいけない。神はあそこにいるわらべの声を聞かれた。
 一八 立って行き、わらべを取り上げてあなたの手に抱きなさい。わたしは彼を大いなる国民とするであろう」。
 一九 神がハガルの目を開かれたので、彼女は水の井戸のあるのを見た。彼女は行って皮袋に水を満たし、わらべに飲ませた。
 

 以下は余談。
 今日の午後はすいとぴあ江南へ行き、下の写真にあるように展望台から景色を眺めました。
 

 あいにくのくもり空でしたが、高い場所からの景色を目にして、少し気分が晴れました。

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