Vol.96 『創世記』第一~四章を読んで(自己解説)


 先月末(30日)、とうとう(ようやく、か)『創世記』に目を通し始めて、途中、中断を挟んで、結果的に3回に分けて、昨日(4日)読了した。
 『旧約聖書』だけに限れば、『ルツ記』、『ヨナ書』、『箴言』、『詩篇』、『エレミヤ書』、『ハガイ書』、『ヨシュア記』、『ハバクク書』、『エステル記』、『哀歌』の順に読んで、モーセの五書の内、他の四書もまだ残ったまま。つまり、気の向くままに読んでいたけれど、冒頭に書いたように「とうとう」必要に迫られて、大いに手こずりながらも、何とか読んだ。
 天地創造、アダムたち、ノアの箱舟と洪水、バベルの塔、イスラエルの歴史(アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフ)など、どれも壮大な内容で、物事の始まりはいつでも大変だな、と。
 

 『創世記』の第一~四章を読んで、最も印象深かったのは三章八「彼らは、日の涼しい風の吹くころ、園の中に主なる神の歩まれる音を聞いた」である。僕には難しいこと(聖書の解釈)は分からない。ただアダムとエバが風の中で聞いたという神の足音を、僕も一度でいいから聞いてみたい。
 自然が発する音(波音や雷鳴など)ほど素晴らしい音は他にない、と僕は思っているけれど、神様の発せられる音ならば、それは自然の発するどんな音よりも、きっと素晴らしいのだろう。
 無論、一番は神の声を聞きたい(だから『聖書』を読んでいる)。

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