Vol.95 ブルトマン著「古代ギリシアおよびキリスト教の自由の概念」を読んで


  『ブルトマン著作集14』神学論文集4(新教出版社)に収録されている論文の内、過日(3日)の午前中、「古代ギリシアおよびキリスト教の自由の概念」を読んだ。
 以下に挙げる2つのことを自分なりに理解したつもり。律法についても書かれていたのだが、半分くらいしか理解できなかったので、それはここに記さない。

 はじめに罪について。
 「『新約聖書』で「罪」を意味するギリシア語は、本来は射そこなうこと、的の射そこないの意味である。その意味は(後略・65ページ引用)」。

 次に自由について。
 パウロの自由については具体例として、「コリント人への第一の手紙」(三・二二と六・一二)が挙げられていた(本書66ページ)。
 さらにブルトマンがパウロを通じて、僕に教えてくれた自由とは、常に相対的なものであり、完全な自由であるためには、人は自分の過去からも自由であらねばならない、ということ。そして、人が自分自身から自由にする力、すなわち、過去からの解放はキリストの内にあって、恩寵が古い人間の死であり、新しい人間の覚醒が復活である。言い換えると、恩寵(神の恵み)を信じて、自己を開く者には、(キリスト教の)自由が贈られる(本書67~68ページ)。
 

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