『ブルトマン著作集14』神学論文集4(新教出版社)に収録されている論文の内、過日(先月の30日)、「ギリシア思想とキリスト教における歴史理解」を読んだ。
ブルトマンの歴史理解の方法(観点)が以下のように記されている。
「歴史の意味への問いは、全体史の意味への問いとして答えることはできない。われわれは歴史の外に立って、歴史を全体として見渡すことはできないからである。歴史の意味はむしろつねに現在にある。人間はそのつど問われている責任を受け止めることにおいて、歴史の意味を受けとめる(本書133ページ引用)」。
僕はただ単純に歴史の意味は過去から学ぶことだと思っていたが、それだけではなかった。歴史とは単なる過去の出来事(人類の歴史)ではなくて、そのつど現在であると知った。
また、本論の中では『ダニエル書』が取り上げられていた。
以下は余談。
昨日(2日)の午後は長谷川公茂先生に随行して、笠松町の中央公民館へ行き、長谷川先生の講演「円空の生涯と笠松」を聴きました。
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