Vol.155 神谷美恵子著『生きがいについて』(みすず書房)を読んで


 ブログ「Stay The Young (Trilogy)」をお読みいただき、ありがとうございます。

 数日前から、少しずつ読んで、今日、読み終えた。
 

 神谷美恵子著『生きがいについて』(みすず書房)は学生時代、何度も手に取る機会があったのに、とうとう読まずにいた。大学を卒業してからも、一度手にとってはみたが、やはり目を通さなかった。それが今になって、不思議な巡り合わせとでも言う他はない。

 「平穏無事なくらしにめぐまれている者にとっては思い浮かべることさえむつかしいかも知れないが、世のなかには、毎朝目がさめるとその目ざめるということがおそろしくてたまらないひとがあちこちにいる。」

 上に引いた語り出しで始まる本書は、今の僕にとって、大切なことを教えてくれた。とっさにどこを引用するか、迷うけれど、例えば、次のような箇所。

 「自暴自棄によって自殺、犯罪、嗜癖やデカダンスに陥るひとびとを眺めていると、そこにいくつかの共通点がある。そのなかで一ばん目立つのは我慢のなさと時間に対する不信の念である。つまり、みな短気をおこしているのである。どうせ自分なんかもうだめだ、と自分をみかぎり、事態もよくなることなどありえない、と世界と時間の可能性に対して完全にみきりをつけてしまっている。そして、耐えがたい苦悩をたち切るため、まぎらすため「短絡反応」に出るわけである。生きがいをうしなった人が、もし新しい生きがいをみいだしたいとねがうならば、その探求はまず一切をみかぎってしまいたいこの心、このはやる心を抑えることから始まらなければならない」(本書144~145ページ抜粋)。

 「この時もまた、何がいけなかったのか、ということで心は果てしなくさわぎ立つ。今さらことのおこりがすっかり究明できたところでどうなるものでもないことはわかっていても、責任の所在がわかるだけでも、心のやりばができて打撃が少しは軽くなりそうに錯覚する。そして自分がわるいとなれば自分を責め、他人がわるければ他人を、運命がわるければ運命をせめることになり、ローゼンツワイグ(S.Rosenzweig)の言う「無罰的」な境地、つまり何をも責めない心境に達するのはなかなかむつかしい」(本書154~155ページ抜粋)。

 上に引いた文章を目にした際、僕は以前に読んだことのあるラインホールド・ニーバーの「Serenity Prayer(平静の祈り)」を思い出した。
 話題を戻す。
 僕の手元には、神谷美恵子の著作集が他にもあり、6巻『存在の重み(エッセイ集2)』を読み始めた。

 以下は余談。
 下の写真は今日、拙宅のバルコニーで見つけた野鳥(モズ?)です。
 

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