Vol.151 旧約聖書続編(外典)の『知恵の書』を読んで


 ブログ「Stay The Young (Trilogy)」をお読みいただき、ありがとうございます。

 一昨日(15日)に旧約聖書続編(外典)の『トビト記』と『知恵の書』を読みました。前回の更新(Vol.150)は『トビト記』を取り上げたことから、今回の更新は『知恵の書』を取り上げることに。
 巻末にある解説において、『知恵の書』は『シラ書』と同様、『箴言』の系統に属して、「日常生活と人生問題に指針を与えている」とあった。
 僕は『箴言』のような教訓書(『聖書』では「知恵文学」と呼ばれている)を読むのは決して嫌いではなく、むしろそこから何かを学びたいといつも思っている。『旧約聖書続編(外典)』を読み始めたのも、『シラ書』がきっかけになったことは既に述べたとおり(Vol.142)。
 前置きはこのくらいにして、本題へ。
 

 二章
 1 彼らはこう言い合うが、その考えは誤っている。「我々の一生は短く、労苦に満ちていて、人生の終わりには死に打ち勝つすべがない。我々の知るかぎり、陰府から戻って来た人はいない。
 2 我々は偶然に生まれ、死ねば、まるで存在しなかったかのようになる。鼻から出る息は煙にすぎず、人の考えは心臓の鼓動から出る火花にすぎない。
 3 それが消えると体は灰になり、魂も軽い空気のように消えうせる。
 4 我々の名は時とともに忘れられ、だれも我々の業を思い出してはくれない。我々の一生は薄れゆく雲のように過ぎ去り、霧のように散らされてしまう。太陽の光に押しのけられ、その熱に解かされてしまう。
 5 我々の年月は影のように過ぎ行き、死が迫るときには、手のつけようがない。死の刻印を押されたら、取り返しがつかない。
 四章
 7 神に従う人は、若死にしても安らかに憩う。
 8 老年の誉れは長寿にあるのではなく、年数によって測られるものでもない。
 五章
 11 空を舞う鳥のように、飛び行くあとには何も残らない。鳥は軽い空気を羽で押しやり、飛び進む力でかき分け、羽ばたきで打ち散らすが、通り過ぎたしるしは後には何も見られない。
 16 それゆえ彼らは輝かしい王位を授かり、主の御手から見事な冠を受ける。主は右の手で彼らを覆い、その腕で彼らを守られる。
 八章
 9 わたしは、知恵と一緒に暮らそうと考えた。知恵が、善を勧めてくれ、悩みや苦しみを慰めてくれることを知っていたからである。
 一一章
 24 あなたは存在するものすべてを愛し、お造りになったものを何一つ嫌われない。憎んでおられるのなら、造られなかったはずだ。
 一三章
 11 一人のきこりが手ごろな木を切り出し、その皮をすべて念入りにはぎ、巧みに手を加えて、生活に役立つ器具を造り上げた。
 12 仕事に使った木材の余りを燃やして、食事を準備し、空腹を満たそうとした。
 13 そのまた残りの、何の役にも立たないねじ曲がった、節目だらけの木片を、仕事の合間に取り上げて注意深く彫った。暇つぶしとして巧みに形を整え、それを人の姿に造り上げた。
 一五章
 1 神よ、あなたは慈しみ深く、真実な方。怒るに遅く、すべてを治める憐れみ深い方。
 一六章
 12 主よ、彼らをいやしたのは、薬草や塗り薬ではなく、すべてをいやすあなたの言葉であった。

 以上は『知恵の書』を読んで、僕の心に響いた箇所です。備忘録として、記しておきたい。

 以下は余談。
 今日の午前中は土曜日の朝ということで、例によって、ボランティア活動(清掃奉仕)に従事しました。この後、結婚式が行われるということで、いつもより念入りに掃除しました。
 

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