Vol.257 さよなら名古屋栄の中日ビル


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 今朝は春休みで遊びに来ている甥っ子と一緒に栄へ行きました。
 

 下の写真は今日で閉館となる中日ビルの建物内です。
 

 朝から冷たい風が強く吹いており、午後になってから、天気が急変して、一時的に雨が降った際、二重の虹を目にしました。
 下の写真がそれで、助手席に座っていた甥っ子が撮影。
 

 以下は余談。
 明日発表されるという新元号に「安」の字は使ってほしくない。権力者の苗字と「暗」を連想させるから。

Vol.256 贅沢なお花見を楽しんで


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 今朝はいつもより少し早く足を運んで、短い時間ながら、お花見を楽しみました。
 下の写真がそれで、『尾張名所図会』(前編 巻5 愛智郡)に記載されている由緒ある場所です。
 


 当時は藤棚でしたが、今は桜となっています。
 いずれにせよ、限られた人しか目にすることができないことから、贅沢なお花見に違いありません。

Vol.255 山谷省吾ほか編『増訂新版 新約聖書略解』(日本基督教団出版局)を読んで


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 数日前から、山谷省吾・高橋伊三郎・小川治郎編集『増訂新版 新約聖書略解』(日本基督教団出版局)を読んでいます。ただし、詳しすぎる注解は、かえって邪魔になることもあることを承知しつつ、読んでいます。
 なるほど、聖句(み言葉)に関して、自分勝手な解釈ではいけないと、よく言われる。もちろん、研究者や牧師様、先達のクリスチャンの声も大切で、教わることは実に多い。だからと言って、他人のそれを僕は鵜呑みにはしない。
 また、聖句(み言葉)の解釈に関しては、正しい、正しくない、といった議論は役に立たない。
 『聖書』を読み、聖霊の声を聞くのは自分自身の心である。分かりやすく言い換えると、自分自身の心で、聖霊の声に耳を傾けなければ意味がない。
 注解書を読んで、「木を見て森を見ず」とならないように。
 下の写真は『ヨハネによる福音書』第三章の、イエスとニコデモの対話とそれに続く小福音書(16節)の注解ページで、ごらんのとおり、僕の愛用している口語訳というのがミソです。
 


 以下は余談。
 イエス様を好きになった理由は、クリスチャンの口からよく言われる「十字架上で私たちのために死んでくださった」(『ローマ人への手紙』5;8)こともさることながら、僕としてはやっぱりイエス様が海の上を歩いたり、病人を癒やしたりといった奇蹟(しるし)を行ったことから、好きになったのだ(『ヨハネによる福音書』)。
 同じく『ロマ書』にある「神の義」がどうのこうのと言われても、僕には完全に理解はできない(できていない)。むしろ、使徒パウロの言葉をすべて理解しているという人がいたならば、会ってみたいくらいだ。
 とにもかくにも、イエス様の思いやりと先達のクリスチャンが僕を変えてくれたことには違いない。そのことに大いに感謝している。

Vol.254 田川建三著『書物としての新約聖書』(勁草書房)を読んで


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 田川建三著『書物としての新約聖書』(勁草書房)を過日(16日夕)から数回に分けて、今夕(25日)読み終えました。
 はじめに「序」を、次に第四章七(616ページ)から「後書き」まで目を通して、第一章から第四章六といった順番で読みました。
 いったい、なぜ、そんな不規則な読み方をしたのか。答えは既に(このブログの)過去の更新のあちらこちらに記されている。
 約700ページの本書の感想を逐一書くのは、いささか無理のあることなので、僕が最も勉強(参考)になったと感じた箇所だけに的を絞ると、174ページの補遺1から197ページの補遺4であった。
 下の写真はそれに該当する本書の目次です。
 

 著者の田川氏がこのブログを読まれるはずはないので、生意気なことを書かせてもらうと、「以上のようなさまざまな目的を追求したした結果、どうしても頁数がふくらむのを避けることができなかった(本書ⅷページ)」と記しておられるが、くどくどと書くよりも、もっと読者を信用すれば良かったのに、と思う。せっかくの素晴らしい内容が、かえって読者を遠ざける結果となっているのでは、と感じた。もっともこれは著者のせいではなく、勁草書房の編集者の責任かもしれない。

 以下は余談。
 ひょんなことがきっかけで、過日、伝道師らしき人の書いたブログに目を通した。
 さすがに素人の僕とは違って、当然ながら、キリスト教(『聖書』)に対する知識が比較にならない。凄いな、と思うと同時に、悔しいというか、僕の心の中に、いわゆる「負けた感」が残った。
 しかしながら、今は違う。
 マジック(手品)に種と仕掛けがあるように、ブログに綴られている伝道師らしき人の知識には、仕入元があることが分かったからだ。
 さらに当人はユニークさが売りらしいが、冷静に読めば、どこか上滑りしているようにしか感じられない。
 そして、み言葉の解釈は一つではないことに、遅まきながら、僕は気が付いた。そのときから、僕の心には晴れ間がのぞき、光が差してきた。
 信仰は知識(の量)ではない。他人と比較する必要もない。
 僕は僕の道を走っている。

 『ピリピ人への手紙』
 3章
 13 兄弟たちよ。わたしはすでに捕えたとは思っていない。ただこの一事を努めている。すなわち、後のものを忘れ、前のものに向かってからだを伸ばしつつ、
 14 目標を目ざして走り、キリスト・イエスにおいて上に召して下さる神の賞与を得ようと努めているのである。

Vol.253 聖書の学び(自習)


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 前回の更新(Vol.252)に関連した話題で、今日の午前中は清掃奉仕のボランティア活動に従事しました。
 午後には、一時間ほど部屋をお借りして、旧約聖書の自習。
 下の写真は使用したテキストです。
 

 文末になってしまいましたが、関係者の皆様には、部屋の使用許可等で、大変お世話になりました。この場を借りて、深くお礼申し上げます。

Vol.252 本ばかり読んでいると


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 渡辺和子著『人間としてどう生きるか』(PHP研究所)を数回に分けて、昨日、読み終えました。
 シスター渡辺和子さんの著作を数冊、読んだ中で、数回に分けて、目を通したのは、この本が初めてだろう。その理由は下の写真にある「まえがき」に記されていることに関係がある。
 

 今日は船本弘毅監修『図説 地図とあらすじで読む聖書』(青春出版社)を読みました。
 ただし、読みました、と言っても、正確には、第Ⅰ部 旧約聖書のページだけ。
 下の写真は目次で、第3章「約束の地を目指して」にある出エジプトのページが最も参考になりました。
 

 以前にも書きましたが、本ばかり読んでいてもダメで、行動することに意味があることから、明日はそうすることに。

Vol.251 小水力発電カード 佐布里分水口発電所(知多市)


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 少し前の更新(Vol.241、Vol.247)にて、公共配布カードの話題を取り上げました。
 以前と違って、今は機会があれば、収集するといった具合で、下の写真は偶々、ゲットした新規配布らしい小水力発電カードです。
 

 佐布里分水口発電所(知多市)のカードは数枚の余剰があることから、全国消防カードや水の恵みカードと同様、トレード(希望)します。

Vol.250 一宮円空会の社会科見学 日進市の碩善寺


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 今日の午前中は某所にて所用を済ませた後、日進市にある碩善寺へ行き、一宮円空会の社会科見学に途中合流しました。
 下の写真が碩善寺で、副住職様は、とても礼儀正しい好男子です。
 

 僕が碩善寺を参拝するのは3度目で、今回も大変お世話になりましたことから、この場を借りて、お礼申し上げます。

 以下は余談。
 碩善寺での参拝を終え、一宮円空会の皆様と別れた後、少し走って愛知池(東郷調整池)へ行き、天皇陛下御在位三十年を記念した特殊デザインの記念ダムカードをゲット。
 

Vol.249 天井照明器具の交換取り付け


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 先週末の夜、部屋の明かりが点かなくなった(蛍光灯の寿命ではない)。
 今朝から壊れた天井の照明器具を交換しようとしたところ、取り付けられていた古い照明器具を外すのに大変苦労させられました。
 具体的には、使う必要のなくなったシーリングハンガーと、それに伴う角形引掛シーリングの取り外し。
 

 角形引掛シーリングをホームセンターで購入(128円)。
 LEDシーリングライトを家電量販店で購入(6138円)
 角形引掛シーリングの接地側に白いコードを差し込んで、天井へ取り付けた後、LEDシーリングライトを取り付けて、完了。半日作業になってしまいました。

 以下は余談。
 数日前から何回かに分けて、シスター渡辺和子さんの著作である『愛することは許されること』(PHP研究所)を読みました。
 

Vol.248 聖書通読の会(2018年度)とシスター渡辺和子さんの「キリストの香り」


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 今日の午後は聖書通読の会に参加しました。
 下の写真がその様子で、僕にとって、月に一度の大切な時間です。
 

 7回目の参加となった今回は「フィレモンへの手紙」と「ヘブライ人への手紙」を参加者の皆で通読しました。
 3月ということで、2018年度の聖書通読の会は終了。
 下の写真は2018年度の予定表で、初めて参加した日がなぜかずっと昔のことに感じられます(Vol.84)。
 

 文末になってしまいましたが、「山さん」をはじめとする参加者の皆様に、この場を借りて、深くお礼申し上げます。また、来月からの2019年度も、よろしくお願いいたします。

 以下は余談。
 シスター渡辺和子さんのお話「キリストの香り」を先週から視聴して、今夜、全24回を視聴し終えました。シスターの聡明なお話しぶりは素晴らしいの一言に尽きます。

Vol.247 犬山頭首工のダムカードと水の恵みカードのトレード(交換)希望


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 今日の午前中は犬山市へ行き、犬山城前観光案内所にて、2種類の公共配布カードをゲットしました。
 下の写真がそれで、犬山頭首工のダムカードと濃尾用水地区の守口大根の水の恵みカードです。
 

 カードを求めてやって来る大半の人は、ダムカードがお目当てだろう。しかしながら、僕はどちらかと言えば、水の恵みカードが欲しかった。
 下の写真は僕がこれまでに収集した水の恵みカード(の在庫)で、トレード(交換)を希望しています。
 

 参考までに僕が収集した公共配布カードは、こちら のページに一覧が記載されています。

Vol.246 渡辺和子さんのご尊父である渡辺錠太郎氏について


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 前回の更新(Vol.245)からの続きで、渡辺和子さんの著作に3冊、目を通して、特に『心に愛がなければ』(PHP文庫)が最も印象に残りました、と書いた。
 『心に愛がければ』に収録されている「もしもあの時」と題するエッセイで、次のように記されていた。

 もしもあの時、父が青年将校たちの手で殺されていなかったら、後年キリスト教の洗礼を受けなかったかもしれないし、その結果として修道者となり、岡山に派遣されることもなく、したがって、この原稿をお引き受けすることもなかったのだ。

 上に出てくるシスターのご尊父は二・二六事件にて殺害された故渡辺錠太郎氏で、彼の銅像が小牧市の西林寺にあると知り、今日の午後、足を運んだ。
 下の写真がそれで、一目で見渡せる境内へ足を踏み入れると、本堂前に傾き始めた陽射しを浴びて、それは建っていた。
 

 二・二六事件と聞いて、僕が思い付くことは、当時の大蔵大臣である高橋是清が殺害された、ということ。今まではそうだったけれど、これからは違っている。
 「南無阿弥陀仏」を唱えて、合掌した後、境内を出た。

 以下は余談。
 四旬節中でありながら、太ってしまった(53キロ)。BMIでは低体重でも、節制しなければ。

Vol.245 渡辺和子さんの著作を読んで、と続・人生大出世夢街道スタンプラリー


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 今日の午後はシスターである渡辺和子さんの著作を3冊、読みました。
 下の写真が表紙で、いずれも素晴らしい内容で、特に『心に愛がなければ』(PHP文庫)が最も印象に残りました。
 

 渡辺和子さんと言えば、真っ先に浮かぶのはベストセラーになった『置かれた場所で咲きなさい』であり、白髪の修道服姿です。父親を二・二六事件で亡くしたとか、マザー・テレサが来日した際に通訳を務めたことは、彼女の著作を読むまで、僕は知りませんでした。
 渡辺さんの本を読んだきっかけは、彼女が書いた本の中で、イエスの誕生に際して、四人目の博士として、医者のアルタバルのエピソードが記されており、そうしたエピソードがあることを僕は知らなかったから。渡辺さんにはたくさんの著作があることから、他にも目を通したいと思います。

 以下は余談。
 少し前の更新(Vol.241)で書いた人生大出世夢街道スタンプラリーは、いつもお世話になっている「円空仏彫刻・木端の会」のO様のおかげで、7ヶ所のスタンプを完収して、下の写真にあるようにピッバッジをゲット。
 

 文末になってしまいましたが、O様には、この場を借りて、お礼申し上げます。

Vol.244 名古屋東別院の境内


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 今日のお昼は真宗大谷派名古屋別院(東別院)を久しぶりに参拝しました。
 

 僕はこの広い境内が好きです。とりわけ人の姿が少なくて、がらんとしていると、不思議と落ち着いた気持ちにさせてくれます。

 以下は余談。
 ZARAから届くお知らせで、「MOZOワンダーシティ店のメンズフロアが3月10日(日)にリニューアルオープン!」とあったことから、今夕、店舗へ足を運びました。
 

Vol.243 『使徒たちの手紙』を読んで


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 これまでテキストに使用した日本聖書学研究所編『聖書外典偽典 別巻』補遺Ⅱ(教文館)の「はしがき」には、「近年学界の注目を引いてきた重要な外典である」と記されていたことから、8日の夜、『使徒たちの手紙』にざっと目を通しました。
 

 下の写真が本文で、読んでいると、『福音書』や『使徒行伝』をおさらいしているような印象を受けました。
 

 以下は余談。
 今日の午後は長谷川公茂先生とお会いして、短い時間ながら、楽しい円空談義で過ごしました。

Vol.242 犬千代ルート・前田利家百万石への道(名古屋市中川区)


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 前回の更新(Vol.241)からの続きで、9日、人生大出世夢街道スタンプラリーを巡った際、自転車で走った犬千代ルートについて。
 犬千代ルートについては、下記のPDFを参照のこと。

  犬千代ルートマップ 表(PDF
  犬千代ルートマップ 裏(PDF

 午前10時にあおなみ線の荒子駅からスタート。
 下の写真にあるように荒子公園内にある梅園を通り抜けて、荒子観音寺と富士権現天満宮を参拝。
 

 犬千代ルートマップの裏面を読むと、「コースの各ポイントには『梅と矢印』の案内マークが用意されています」とありますが、路上にあるはずのそれは、ところどころ消えていて(剥がれていて)、識別できないことから、さすがお役所仕事といった見本のようでした。
 八熊通を走り、新前田橋までやって来ると、犬千代ルートマップの裏面にもあるとおり、「名古屋駅のツインタワーが良く見えます。御岳が望めることも」となっていて、下の写真がそれです。
 

 庄内川を渡り、前田速念寺を参拝。
 下の写真が本堂で、ユニークな外観の説明はここでは省略します。
 

 近鉄名古屋線を越える際には、立体交差の工事が終了しており、犬千代ルートマップの作成時とは違う道路になっていました(またもやお役所仕事でした)。
 下の写真は密蔵院です。
 

 犬千代ルートを徒歩ではなく、自転車で走りましたが、所要時間は約45分でした。今回の更新記事を書いたからといって、おススメしているわけではありませんので、あしからず。


Vol.241 人生大出世夢街道スタンプラリーと名古屋市中村区まち歩きカード


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 昨日の午前中は所用の後、人生大出世夢街道スタンプラリーを巡りました。
 少し説明すると、人生大出世夢街道スタンプラリーとは名古屋市とあま市に残る豊臣秀吉、前田利家、蜂須賀正勝ゆかりの史跡を巡るスタンプラリーで、7ヶ所(豊國神社、妙行寺、荒子観音寺、前田速念寺、甚目寺観音、菊泉院、蓮華寺)のスタンプを集めれば、武将キャラクターピンバッジをゲットできるといった企画です。
 

 下の写真はスタンプを集めるために足を運んだ場所で、上は妙行寺の境内にある加藤清正像、下は前田速念寺の山門です。
 


 下の写真が集めたスタンプです。
 

 それにしても苦笑を禁じ得なかったのは、世捨て人のような真逆の生き方に憧れている僕にとって、まったく無縁な出世をポイントとするスタンプを集めている自分の姿でした。尚、スタンプを集めるために巡った犬千代ルートについては、別の機会に記したいと思います。
 豊國神社と妙行寺がある中村区において、まち歩きカードが配布されていることは既に知っていました。以前のように公共配布カードの類を集めたいとは思っておらず、上に書いたように豊國神社へ足を運んだ際、偶然、手にしました。
 

 以下は余談。
 残りのスタンプはいつもお世話になっている円空仏彫刻・木端の会のO様にお任せしました。ブログを読んでくださっているかもしれないことから、よろしくお願いいたします。
 午後からは例によって、ボランティア活動でした。

Vol.240 『ソロモンの頌歌』と『アリステアスの手紙』を読んで


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 7日の午前と午後に『ソロモンの頌歌』を、引き続き『アリステアスの手紙』を読んだ。
 使用したテキストは『ソロモンの頌歌』が日本聖書学研究所編『聖書外典偽典 別巻』補遺Ⅱ(教文館)で、『アリステアスの手紙』が日本聖書学研究所編『聖書外典偽典3』旧約偽典Ⅰ(教文館)である。
 はじめに『ソロモンの頌歌』について。
 『ソロモンの頌歌』はブルトマンが取り上げていることもあって、どうしても目を通しておきたかった一つだ。しかしながら、『ソロモンの頌歌』そのものよりも、翻訳者による概説を興味深く読んだ。
 

 『ソロモンの頌歌』は全部で第四二頌歌まであるが、第二頌歌は喪失とあり、翻訳はコプト語とギリシア語が記載されている。
 ふと、思ったのだが、「頌歌(しょうか)」という漢字をすっと読める人は、どれくらいいるのだろう。
 次に『アリステアスの手紙』について。
 下の写真は翻訳者による概説に載っていた区分で、それに従うと、僕は「王からの贈与品の説明(51~82章)」が最も退屈で、「饗宴の席での翻訳者との質疑応答(187~294章)」を面白く読んだ。
 

 以下は余談。
 地震(9日1時08分 岐阜県美濃中西部 M4.5)で目が覚めてしまい、そのまま眠れず。

Vol.239 『ピルケ・アボス』を読んで


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 『ピルケ・アボス』を5日の午後に読んだ。
 使用したテキストは日本聖書学研究所編『聖書外典偽典3』旧約偽典Ⅰ(教文館)である。
 翻訳者による概説には、「律法学者のことばを任意に集めたいわば箴言集ともいえる書」であり、特徴としては「およそ七〇人にものぼる教師の名まえとともにそのことばを保存している」。また、アボス(父祖たち)であることから、表題の意味は「父祖たちの章」。(本書255~256ページ)。
 下の写真は『ピルケ・アボス』の第三章です。
 

 今まで読んだ旧約聖書偽典の中では、かなり面白く感じた。人名が次から次へと出てきたり、「三つの云々」として、3という数字が繰り返し出てくることも、読んでいて、いかにも、という感じがした。また、全五章の中で、最も印象に残ったのは第四章で、人は死ぬために生きるのであって、クリスチャンにとって、人生とはパラダイス・ロード(パラダイスへ至る道)であり、ゴールにはイエス・キリストが待っている、そんなふうに感じた。
 僕が面白いと感じた聖句を以下に記しておくと、1;5、2;1、2;8、3;1~2、4;1、4;21である。
 下の写真は『ピルケ・アボス』の第四章です。
 

 以下は余談。
 今、一番読みたい本は『新共同訳 旧約聖書続編スタディ版』(日本聖書協会)なのだが、書店には並んでいないし、図書館(愛知県内)にも所蔵されていません。もっとも僕の場合、図書館に読みたい本がないのは、今に始まったことではないけれど。振り返ってみれば、学生時代もそうで、国立国会図書館から取り寄せてもらったりしていた。

Vol.238 『シビュラの託宣』「断片」一~三を読んで、と一宮円空会


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 5日の午後、『シビュラの託宣』の内、「断片」の一、二、三を読んだ。
 使用したテキストは日本聖書学研究所編『聖書外典偽典3』旧約偽典Ⅰ(教文館)で、はしがきには、「本巻には、旧約聖書偽典の中から、ギリシア文化の影響を受けた、ヘレニズム時代のユダヤ教(徒)の文書を中心に収録した」とあり、『アリステアスの手紙』、『第四マカベア書』、『シビュラの託宣』、『スラヴ語エノク書』、『ピルケ・アボス』が翻訳されている。

 下の写真は『シビュラの託宣』「断片」一です。
 

 「断片」二の本文訳は「ところでもし神々が(子孫)を生み、不死のままであるならば、神々(の数)は人間よりも多くなり、死ぬべき人にとって立つ場所もなかったろう」といった短い内容です。
 「断片」の一から三を読んで、これといった感想もなかったことから、他にも翻訳されている『シビュラの託宣』には目を通さず、また、「シビュラ」と『シビュラの託宣』についての概説(説明)も省くことにする。

 以下は余談。
 今日の午後は長谷川公茂先生が講師を務める一宮円空会へ顔を出しました。
 下の写真がそれで、今月は開催日が変更になりました。
 

Vol.237 『預言者イザヤの殉教と昇天』と『ペテロの宣教(ケリュグマ)』を読んで


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 はじめに『預言者イザヤの殉教と昇天』について。
 2日の朝に読みました(その後はVol.235に書いたとおり、清掃奉仕へ)。
 『預言者イザヤの殉教と昇天』の内容は前半(第一~五章)が殉教で、「イザヤが鋸(ノコギリ)にひかれて勇敢な殉教の死を遂げる」。後半(第六~一一章)が昇天で、第六章の冒頭に「アモツの子イザヤ見た幻」と記されている。
 僕は下の写真にある第三章と第五章を興味深く読みました。
 


 ブルトマンは『預言者イザヤの殉教と昇天』の第一〇章と第一一章を取り上げています。
 次に『ペテロの宣教』について。
 4日の午前中に読みました。
 翻訳者による概説には、「『ペテロの宣教』と題する文書がかつて存在した」とあり、「確実に『宣教』に遡ると思われることばは、アレクサンドリアのクレメンスによる九箇所とオリゲネスによる一箇所のみということになる」と記されている。
 それが下の写真で、一aから六までの計10の断片で構成されており、宣教はケリュグマと訳されていることから、このブログでは単に『ペテロの宣教』ではなく、『ペテロの宣教(ケリュグマ)』と呼ぶことにする。
 

 下の写真は本文訳で、2Aの途中から4までです。
 

 ブルトマンが取り上げていることから、目を通したが、特段の感想はない。
 『預言者イザヤの殉教と昇天』と『ペテロの宣教』のテキストには、日本聖書学研究所編『聖書外典偽典 別巻』補遺Ⅱ(教文館)を使用しました。

 以下は余談。
 花粉が大量に飛散しているらしく、外に置かれている物を凝視すると、そこかしこに黄色い粉が付着しています。

Vol.236 『フリア・ロギオン』と『十二族長の遺訓』と『ソロモンの詩篇』を読んで


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 はじめに『フリア・ロギオン』について。
  『マルコによる福音書』には、新共同訳では2つの結びがあるけれど、全部で7つもあると、僕は知らなかった。7つの内の1つが「ワシントン写本」であり、フリア・ロギオンとは何かと言えば、翻訳者による概説を引用すると、

 本写本(ワシントン写本)において、(『マルコによる福音書』の)一六章八節のあと、九~一四節が続き、そのあと、一五~二〇節との間に挿入がある。これが「フリア・ロギオン」である(本書35ページ)。

 上に引用した文章で、カッコ内の「(ワシントン写本)」と「(『マルコによる福音書』の)」は僕の補足です。フリア・ロギオンはもちろん『マルコによる福音書』の原文ではなく、注釈である、と僕も思う。
 下の写真が全文で、使用したテキストは日本聖書学研究所編『聖書外典偽典 別巻』補遺Ⅱ(教文館)です。
 

 次に『十二族長の遺訓』について。
 使用したテキストは日本聖書学研究所編『聖書外典偽典5』旧約偽典Ⅲ(教文館)で、先月28日に読んだ。
 

 翻訳者による十二族長の遺訓概説の冒頭には、次のように記されている。

 「十二族長の遺訓」は創世記四九章にある「ヤコブの遺訓」にならって、ヤコブの一二人の息子たちが、その死の床でその子ら(兄弟がはいっているものもある)に語った遺訓である(本書221ページ)。

 また、写本によっては、各々のタイトルに遺言の中心思想が入っているという。

  ルペン遺 思慮について
  シメオン遺 嫉妬について
  レビ遺 祭司職と傲慢について
  ユダ遺 男らしさ、金を愛すること、姦淫について
  イッサカル遺 純真さについて
  ゼブルン遺 憐みと慈悲について
  ダン遺 怒りと嘘言について
  ナフタリ遺 本性の善について
  ガド遺 憎しみについて
  アセル遺 善悪二つの顔について
  ヨセフ遺 貞節について
  ベンヤミン遺 純粋な思いについて
 
 僕が読んでいて、面白く感じたのは、シメオンの第四章、ダンの第二章、アセルの第五章で、一方、最も退屈に感じられたのはユダの遺言(後半部分)でした。
 引き続き、『ソロモンの詩篇』を読んだ。
 『ソロモンの詩篇』はブルトマンが論文において、多数の箇所を引用しているのだが、僕としては、全18篇を読んで、特段、これといった感想はない。
 

 以下は余談。
 今朝は僕の好きな Rainy Monday となっている。

Vol.235 戦争のない平和な世界へ


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 昨日(2日)の午前中は例によって、下の写真にあるように清掃奉仕(ボランティア活動)でした。
 

 清掃奉仕の終了後、鶴舞中央図書館へ行き、調べものでした。
 

 同じく昨日、下の写真は航空自衛隊小牧基地で行われていたオープンベースにて、ブルーインパルスの飛行する様子です。
 

 午後、名古屋市内を走っていたら、遠くの空に見えました。世間では平成最後とか、新元号と騒いでいる。とにもかくにも、誰もが戦争へ行かないで済むことを祈っています。

 おほけなく うき世の民に おほふかな わがたつ杣に 墨染の袖 (前大僧正慈円)