vol.1085 覚明行者生誕地と御嶽山


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 一昨日の午後は春日井市へ行き、牛山町にある覚明行者の生誕地を見てきました。
 

 生誕地に建てられた石碑と掲げられていた幟には「覚明霊神」とありました。
 覚明行者は御嶽山を開山したことで広く知られています。しかし、僕は御嶽山へ何度も足を運んでいましたが、今こうして生誕地を訪れるまで、覚明行者について詳しいことは知りませんでした。
 下の写真は以前に足を運んだ御嶽神社遥拝所です。
 

 僕は山頂まで登らず、いつも遥拝所でお参りを済ませていました。

 以下は余談。
 昨日の午前中は長谷川公茂先生とお会いして、楽しい円空談義で、幸せな時間を過ごしました。
 


vol.1084 早稲田柳右衛門の生誕地記念碑


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 少し前の更新(vol.1080)で、早稲田柳右衛門先生について書きました。
 小出種彦著『早稲田柳右衛門伝』(貿易之日本社)を読むと、1974(昭和49)年に早稲田柳右衛門の生誕地記念碑が建立されたとあったことから、過日(27日)の午後、小牧市舟津地区へ足を運んで、下の写真にあるように石碑を目にしました。
 

 早稲田柳右衛門の屋敷跡(生家跡地)は今現在、「ワセ田児童遊園」となっていて、公園の一角に「早稲田柳右衛門先生誕生之地 福田赳夫筆」と刻まれた石碑が建っていました。
 石碑の裏側には、「早稲田柳右エ門先生 明治三十三年二月二十五日此地に生る長じて地方政界に在りて奔走令名あり。(中略)世に伝ふべくここに碑を建て記念とする。昭和四十九年五月五日 小牧市舟津 早稲田代議士後援会」と刻まれていました。
 今後も機会があれば、早稲田柳右衛門先生の足跡を辿ってみたいと思っています。

vol.1083 カブトムシの蛹の殻


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 一昨日、カブトムシの幼虫を飼育していた植木鉢を片付けるため、鉢内に残っていたマット(土)を捨てようとしたら、土の中からカブトムシが脱皮した際に脱ぎ捨てた蛹の殻が出てきました。
 下の写真がそれで、画面左にある土の塊は丸くて滑らかになっていたことから、蛹室の壁だろう。
 

 子どもの頃、カブトムシを飼育していたけれど、蛹の殻を目にしたのはこれが初めてでした。

 以下は余談。
 自民党議員と旧統一教会の関係や新型コロナの感染者数が過去最多など、世間のニュースを知るにつけ、格差社会においては、僕一人の力ではどうにもならないことばかり。

vol.1082 星合信令の観音像 瀬戸市立水無瀬中学校


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 前回の更新(vol.1081)からの続きで、過日(25日)の午前中は瀬戸市へ行きました。
 はじめに瀬戸少年院へ向かい、次に水無瀬中学校へ行き、校庭に安置されている陶芸家の星合信令が制作した観音像に会ってきました。
 

 像の背面には例によって、「大日窯」「信令作」の印が押されており、「昭和四十一年三月大吉日 祈 学童安全 加藤美知三建立」と記されていました。但し、「和」という字は「禾(のぎへん)」と「口」の字が反対に記されており、さらに「知」の字が違うかもしれないので、下に写真を載せておきます。
 

 「吉日(きちじつ)」ではなく、「大吉日(だいきちにち)」と記されていたことから、暦を少し調べてみたら、1966(昭和41)年3月において、大安は1日、7日、13日、19日、25日、31日で、20日は赤口ながら、「一粒万倍日」と「天赦日」と「寅の日」の3つが重なる日となっていました。
 文末になってしまいましたが、水無瀬中学校の教職員様には大変お世話になりました。この場を借りて、お礼申し上げます。

vol.1081 星合信令の観音像 瀬戸少年院


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 一昨日の午前中は瀬戸市へ向かいました。
 はじめに瀬戸少年院へ行き、院内の高台に安置されている陶芸家の星合信令が制作した観音像に会ってきました。
 

 上の写真は瀬戸少年院の庁舎入口で、ガラス扉に貼られた掲示にあるようにカメラ等の持ち込みは禁止となっており、写真撮影ができないことから、下の観音像の写真については瀬戸少年院より提供していただきました(無断転載を固く禁じます)。
 

 上の写真にある台座に記された「立志観音」については、更生の志を立てるという意味から名付けられたとのこと。観音像の背面には、「立志 瀬戸少年院長 小川洋 書 昭和四十年十二月吉日」と記されていました。
 文末になってしまいましたが、瀬戸少年院の職員様には写真提供等で、大変お世話になりました。この場を借りて、お礼申し上げます。
 続けて瀬戸市内を少し走り、次の目的地に向かいましたが、別の話題となることから、次回の更新で。

 以下は余談。
 前回の更新(vol.1080)で取り上げた早稲田柳右衛門が瀬戸市会議員であった1933(昭和8)年に瀬戸市少年院の設立に協力しています。

vol.1080 早稲田柳右衛門(早稲田柳右エ門)について


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 早稲田柳右衛門については、瀬戸市の名誉市民で、瀬戸市民公園に銅像があることは知っていましたが、星合信令を通じて、さらにその名を目にする機会が増えたことから、どのような人物だったのかと興味を持ち、過日、小出種彦著『早稲田柳右衛門伝』(貿易之日本社)を読みました。
 下の写真は目次です。
 

 『瀬戸市史』を読むと、早稲田氏の名前が何度も出てきますが、それらがほとんど本書を元に書かれていることから、彼を知る資料が少ないことに気付かされました。

  早稲田柳右衛門 年譜
 1900(明治33)年、小牧市生まれ。幼名、詮道(のりみち)。
 1917(大正6)年、小牧尋常高等小学校卒業。
 1921(大正10)年、幼名の詮道から柳右衛門に変更(襲名)。
 1924(大正13)年、小牧市役場、書記に任命(税務係)の後、社会教育主事に登用。
 1925(大正14)年、政治運動で借財、勘当される。小牧町役場を退職。
 1926(大正15)年、瀬戸市へ移住。
 1929(昭和4)年、瀬戸市会議員選挙で初当選。
 1931(昭和6)年、結婚。
 1946(昭和21)年、第22回衆議院議員総選挙で初当選。
 1975(昭和50)年、政界を引退。勲一等旭日大綬章を受章。
 1978(昭和53)年、瀬戸市名誉市民、小牧市名誉市民に推挙される。
 1984(昭和59)年、死去。

 「五十年にわたる先生の政治生活は多岐多彩で、愛知県下はもとより、中部圏各地、中央など、どこへ行っても手の跡、足の跡が残っている。この道も、この川も、この学校も、この海岸も、この都市計画も、この耕地整理も、至るところの治山治水も、福祉施設も、先生の努力によって結実したものであり、地元民の記憶にとどまっているのに驚く(中略)。しかし、何んといっても、政治家として一番油の乗り切っていたのは、自民党愛知県連会長時代だったと思う。十三年余の長い間、愛知県地方政治の頂点に立って縦横に腕をふるわれたことは、いまなお我々の記憶に新しい」(序文、吉村豊より抜粋)。
 本書の序文に寄せられた吉村氏の言葉に嘘偽りはないのだろう。しかしながら、令和の時代になっては、忘れられてしまっていることがあまりに多く、先人に対する敬意も失われつつあるのが、今の日本社会である。
 下の写真は早稲田柳右衛門先生です。
  

 本書で何度か引用されている早稲田先生の言葉があって、それは「学歴なく、財力なく、門閥なく」というフレーズ。裸一貫の政治家として、まさしく彼の人柄を表わしている。昨今は世襲議員が多いことから、彼らとは正反対である早稲田先生とお会いしてみたかった、というのが正直な僕の感想です。
 惜しむらくは僕が知りたかった早稲田柳右衛門先生と星合信令氏がいかにして懇意となったかという契機については、本書を読んでも分かりませんでした。

vol.1079 星合信令の観音像 東郷町立東郷小学校


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 過日(23日)の午前中は愛知郡東郷町にある東郷小学校へ行き、校庭に安置されている陶芸家の星合信令が制作した観音像に会ってきました。
 

 観音像を拝んだ際、気付いたことが2つあって、1つは像の身体、特に衣の部分が上の写真にあるように三角形で2色に塗り分けられていたこと。
 もう1つは像の背面で、例によって「大日窯」「信令作」の印が押されていましたが、いつも記されている「祈 交通安全」ではなく、下の写真にあるように「昭和四十年十月吉日 祈 学童安全 早稲田柳右エ門」とありました。
 

 前回の更新(vol.1078)で取り上げた小牧市立村中小学校に安置されている観音像(「昭和四十年八月吉日 早稲田柳右エ門」)と同様、早稲田柳右エ門によって、2ケ月違いで寄贈されていることに。衆議院議員の早稲田柳右エ門については、以前の更新(vol.846)でも触れましたが、瀬戸市の名誉市民で、瀬戸市民公園に銅像があります。
 東郷小学校の敷地に沿うようにして走る県道218号線を見おろす場所に観音像は建てられていました。観音像の前には県道を跨ぐ歩道橋があり、名古屋市と豊田市を結ぶ国道153号線豊田西バイパスができるまで、この道路は交通量の激しい道路だったのだろうと想像した。

vol.1078 星合信令の観音像 小牧市立村中小学校


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 過日(21日)の午前中は小牧市にある村中小学校へ行き、校舎に安置されている陶芸家の星合信令が制作した観音像に会ってきました(写真は村中小学校から許可を得て撮影しており、無断転載を禁じます)。
 

 上の写真には映っていませんが、台座は昭和55年3月の後付けで、長年、室内に安置されていたことから、観音像に傷やひび割れが少なくて、保存状態がとても良かったです。
 像の背面には「昭和四十年八月吉日 早稲田柳右エ門」と記されていました。
 昭和40年8月ということは小牧市役所東庁舎にある星合信令が制作した陶板と同時期で、どちらも早稲田柳右エ門の寄進ということになります。
 衆議院議員の早稲田柳右エ門については、以前の更新(vol.846)でも触れましたが、瀬戸市の名誉市民で、瀬戸市民公園に銅像があります。
 文末になってしまいましたが、写真撮影等において、村中小学校の教職員の皆様には大変お世話になりました。この場を借りて、お礼申し上げます。

vol.1077 星合信令の観音像 多治見警察署瑞浪交番前


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 過日(18日)の午前中は瑞浪市へ行き、土岐町にある多治見警察署瑞浪交番前に祀られている陶芸家の星合信令が制作した観音像に会ってきました。
 

 像の背面には例によって、「大日窯」「信令作」の印が押されていましたが、「祈 交通安全」の文字は記されていませんでした。
 観音像については、下の写真にあるように「交通安全観音像の由来」と題する看板があり、説明が記されていました。
 

 観音像を覆う上屋(うわや)についても、木製の看板があり、平成10年7月7日完成、10日落慶式と記されていました。

vol.1076 クワガタムシの羽化


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 少し前の更新(vol.1070)にて、カブトムシの羽化について書きましたが、過日(18日)、今年初めから春先にかけて採集したクワガタムシの幼虫が羽化しているのに気が付きました。
 下の写真がそれで、コクワガタのメスです。
 

 僕が幼虫から育てたクワガタムシが羽化したのは、これが初めてです。

 以下は余談。
 過日(17日)の午後は聖書通読の会に参加しました。

vol.1075 常滑市消防本部のオリジナル消防カード


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 前回の更新(vol.1074)からの続きで、過日(13日)は知多半島へ行き、南知多町と美浜町に足を運んだ後、常滑市へ向かいました。
 はじめに常滑市消防本部へ行き、庁舎にある「とこなめ防災学習プラザ」を見学して、常滑市消防本部のオリジナル消防カードをゲットしました。
 下の写真がそれで、令和3年度版です。
 

 常滑市消防本部のオリジナル消防カードについては、以前の更新(vol.552)に書いたとおりで、通常版と令和元年度版に続いて、3種類目となりました。
 次に少し走って、ユニーオイルで給油後、めんたいパークとこなめで、お土産を購入。
 

 西知多産業道路を走って、帰途に着きましたが、過日(13日)は晴れて、気持ちの良い天気でした。

vol.1074 南知多町の文化遺産カード


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 前回の更新(vol.1073)からの続きで、過日(13日)は知多半島へ行き、はじめに南知多町へ向かいました。
 南知多町にある内田佐七家、土御門神社、大石さまの3箇所に立ち寄ったことから、カードの配布場所である南知多町総合体育館へ足を運んで、下の写真にあるように文化遺産カードをゲットしました。
 

 次に美浜町へ向かい、つくだ煮街道は定休日だったことから、えびせんべいの里美浜本店へ行き、試食して、お土産にえびせんべいを購入。
 

 続けて、常滑市へ向かいましたが、別の話題となることから、次回の更新で。

 以下は余談。
 自民党の茂木敏充幹事長は「国民から『国葬はいかがなものか』との指摘があるとは、私は認識していない」とのこと。以前の更新(vol.1063)でも書きましたが、僕は安倍氏の国葬に反対であり、またしても日本国民の一人である僕の声は政治には届かない。

vol.1073 星合信令の観音像 貝がら公園


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 前回の更新(vol.1072)からの続きで、過日(13日)は知多半島へ行き、はじめに南知多町へ向かいました。
 豊浜地区へ行き、木々の緑に覆われた貝がら公園を散策して、園内に祀られている陶芸家の星合信令が制作した観音像に会ってきました。
 

 観音像の台座には「五色観音」とありました。
 像の背面には例によって、「祈 交通安全」の文字が記されており、「大日窯」「信令作」の印が押されていました。
 公園内で犬を散歩させていた人にお話をお聞きしたところ、「公園は今現在、地元の人たち数名で管理している」とのこと。
 下の写真は貝がら公園から眺めた豊浜漁港です。
 

 下の写真にある看板には、「貝がら公園」とあったことから、このブログでもそのように書いたけれど、「貝がら公園」、あるいは「貝殻公園」のどちらが正しい名称なのだろうか。
 

 次に南知多町総合体育館へ向かいましたが、別の話題となることから、次回の更新で。

vol.1072 星合信令の観音像 極楽寺


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 前回の更新(vol.1071)からの続きで、過日(13日)は知多半島へ行き、はじめに南知多町へ向かいました。
 南知多町の内海と山海の両地区に続き、豊浜地区にある極楽寺を参拝して、境内に祀られている陶芸家の星合信令が制作した観音像に会ってきました。
 下の写真がそれで、観音像の台座には南知多五色観音の一体として「須佐浦観音」の文字が刻まれ、ソテツの葉に覆われるようにして、祀られていました。
 

 像の背面には「祈 交通安全 昭和五十年五月吉日」の文字が記されており、「大日窯」「信令作」の印が押されていました。
 極楽寺は参道の坂道に見覚えがあったことから、調べたところ、2014年2月に参拝していました。
 極楽寺に続いて、土御門神社を参拝した後、「大石さま」を目にしました。
 次に同地区にある貝がら公園へ向かいましたが、別の話題となることから、次回の更新で。

vol.1071 星合信令の観音像 中之院


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 過日(13日)は晴れて、気持ちの良い天気だったことから、知多半島へ向かいました。
 はじめに南知多町へ行き、内海地区にある内田佐七家に立ち寄った後、少し走り、山海地区にある中之院を参拝して、境内に祀られている陶芸家の星合信令が制作した観音像に会ってきました。
 

 観音像の背面には例によって、「大日窯」「信令作」の印が押されていましたが、「祈 交通安全」の文字は記されておらず、少し驚きました。
 観音像の傍らには、「祈 交通安全 老堂狸会二十五周年記念」と刻まれた石碑がありました。
 中之院といえば、故浅野祥雲氏が制作したコンクリート製の軍人像が有名で、そもそも珍奇だったはずが、今ではすっかりもてはやされるようになった。星合信令氏が浅野祥雲氏と同じように扱われないことを僕は心の底から願っている。
 内田佐七家と中之院は調べたところ、2010年には足を運んでいることから(ひょっとしたら、もっと以前かもしれない)、ずいぶん時が経ったのだ、と。
 次に町内を走って、豊浜地区へ向かいましたが、別の話題となることから、次回の更新で。

vol.1070 カブトムシの羽化とセグロアシナガバチの採集


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 3月と5月にカブトムシの幼虫を採集してから、拙宅で飼育していたのですが、過日(11日)、カブトムシが無事に羽化しており、立派な成虫になっていました。
 下の写真がそれで、羽化した2匹ともにオスだったのが実に嬉しいです。
 

 過日(12日)にもオスが1匹、成虫になっていました。
 羽化は計3匹ということで、おそらく3月23日に同一の場所で採集した幼虫の3匹だろう(vol.997)。

 以下は余談。
 昨日(14日)の午前中はセグロアシナガバチを2匹、採集しました。
 下の写真がそれで、観察しやすいようにガラス瓶の中へ入れました。
 


vol.1069 うなぎ専門 関辻屋支店のうな丼


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 過日(11日)の午前中、陶芸家の星合信令が制作した観音像に巡拝した後、可児市今渡にある関辻屋支店にて、昼食にうな丼を食べました(写真の無断転載を禁じます)。
 
 
 
 

 関市内にある辻屋には何度も足を運んでいますが(vol.45、vol.676、vol.771、vol.819 vol.980)、可児市内にある支店はこれが初めてでした。

 以下は余談。
 岸田総理がやるべきことは、「わが国は暴力に屈せず、民主主義を断固守り抜くという決意を示していく」といった的外れな発言をして、国葬を行うのではなく、第2、第3の山上容疑者のような不幸な人を生み出さない社会を作り上げることである。亡くなってからも安倍氏に対して忖度するなんて、ウンザリだ。

vol.1068 星合信令の観音像 可児市下恵土


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 過日(11日)の午前中は加茂郡八百津町へ足を運んだ後、続けて可児市へ向かい、下恵土に祀られている陶芸家の星合信令が制作した観音像に会ってきました。
 

 像の背面には「祈 交通安全 可児町」とあり、「大日窯」と「信令作」の印が押されていました。
 1974(昭和49)年1月に寄贈とのことだから、当時は可児郡可児町であり、碧南市に祀られていた観音像(vol.1059)と同様、星合信令が晩年に制作した観音像になります。
 文末になってしまいましたが、写真撮影の際、吉田整備株式会社様には大変お世話になりました。この場を借りて、お礼申し上げます。
 次に少し走って、同市内今渡へ向かいましたが、別話題となることから、次回の更新で。

vol.1067 星合信令の観音像 加茂郡八百津町 上流管理所


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 一昨日の午前中は加茂郡八百津町へ行き、独立行政法人 水資源機構 愛知用水総合管理所 上流管理所構内に祀られている陶芸家の星合信令が制作した観音像に会ってきました。
 下の写真がそれで、台座には「愛知用水観音」とありました(上流管理所の許可を得て、撮影しており、無断転載を禁じます)。
 

 像の背面には「信令作」の印が押され、「昭和四十年五月建立 慈眼視衆生 愛知用水公団 理事長 塩見友之助」とありました。
 構内には観音像と並んで、石碑もありました。
 下の写真の画面奥がそれで、元愛知用水公団総裁の濱口雄彦の書が刻まれていました。
 

 下の写真が愛知用水取水口(兼山取水口)です。
 

 愛知用水総合管理所の施設であることから、牧尾ダムや東郷調整池と同様、ここでもダムカードを作って、配布したらいいのに、と思っています。
 次に可児市へ向かったのですが、別の話題となることから、次回の更新で。

vol.1066 率直な感想として


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 書こうかどうか、正直に言うと、迷いました。
 僕のブログでは宗教の話題を扱っていることから、率直な感想として、「献金」、「寄付」、「お布施」、「施し」と呼び方はさまざまなれど、必要以上にお金のかかる宗教は信じるに値しないと思います。
 世界平和統一家庭連合(旧統一教会)は記者会見を開いて、あれこれと説明したらしいが、せめても宗教者ならば、その口から「山上徹也容疑者が罪を犯す前に救ってあげることができなかったことが悔やまれる」という言葉を僕は聞きたい。
 言わずもがな、本当の宗教とは人を救うためものであるからして。
  

 僕は今、星合信令が制作した観音像を巡拝して、こうして像に手を置くたびに、実に心が落ち着きます。

 以下は余談。
 選挙が終わって、岸田総理は憲法改正に意欲を示しているけれど、それよりも先に景気対策やコロナ対策など、経済的に困窮する人たちに対して、先にやるべきことをやってほしい。

vol.1065 星合信令の観音像 愛西市善太新田町十二上


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 前回の更新(vol.1064)からの続きで、一昨日の午前中は弥富市へ行った後、国道1号線を走って、次に愛西市へと向かい、善太新田町十二上の交差点脇にある観音石像に会ってきました。
 

 観音像の傍らには3つの石碑がありました。
 

 慈悲観音再建記の石碑には、「当時 国道1号線のこの附近で交通事故が多発 交通安全の祈願の為 陶芸家大日窯星合信令氏作 慈悲観音像を昭和37年11月17日 建立開眼するも長い年月を耐えるが傷みが目立ち 善大観音会一同の発願により再建する事と成り岡崎へ観音石像の製作を依頼 平成23年10月14日 開眼供養を行う」と記されていました。
 ということで、先に結論を書くと、僕が拝みたかった星合信令の制作した観音像には会えませんでした。
 交通安全観音像の石碑には、「この国道1号線は車輌の通行がはげしく 特にこの附近では悲惨な交通事故が多発したので これを防ぐため当時の津島警察署長森本定春氏の発議により 当時東春日井郡旭町在住のこの道で有名な陶芸家大日窯星合信令氏の手づくりの『慈悲菩薩観音像』を昭和37年11月17日 愛知県交通安全協会津島支部(支部長伊藤新左エ門氏)により建立安置開眼供養され 地元が管理協力している」と記されており、かつてこの場所に星合信令の制作した交通安全観音像が建っていた証しが残されていました。
 星合信令の制作した観音像には会えませんでしたが、こうしてこの場所に足を運ぶことができて、嬉しかったです。心残りがあるとしたら、「長い年月を耐えるが傷みが目立ち」となった像は今、どうなったのだろうか、ということ。

 以下は余談。
 第26回参議院議員通常選挙の結果、僕が暮らす愛知県は現職4人が皆、再選。投票に行っても、何も変わらなかった。

vol.1064 金魚御朱印と金魚カード


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 昨日の午前中は弥富市へ行きました。
 弥富市歴史民俗資料館へ足を運んで、下の写真にあるように金魚御朱印と金魚カードをゲット(手に持った金魚カードが上下逆になっていることは後になって気付きました)。
 

 金魚カードについては以前の更新(vol.1015)でも書いています。
 次に国道1号線を走って、愛西市へ向かいましたが、別の話題となることから、次回の更新で。

 以下は余談。
 街頭演説中に殺害された、と大々的に報じられているが、警察は殺害の動機となった宗教団体の名前を公表しない、マスコミは特番で安倍元首相を称賛する声ばかりを取り上げたりと、やはり忖度しているのかと思ってしまう。あるいは、奈良県警はきちんと仕事をしていない、マスコミは視聴率を気にしていると考えるのが妥当なのだろうか。

vol.1063 手揉み二番茶の自家製緑茶


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 少し前の更新(vol.1042)にて、「5月の上旬に新茶となる新芽を摘んでから、1カ月以上が過ぎた。6月中旬になって、(中略)チャノキから再び新芽が芽吹いてきたことから、二番茶を作る絶好の機会がやってきました。もう少し様子(生育具合)を見て、新芽が一定量まで揃ったら、茶摘みをして、手揉み茶に再度、挑戦するつもりです」と書きました。
 一昨日の午後、上記の事柄を実行すべく、二番茶を摘んで、手揉みの自家製緑茶を美味しく飲みました。
 下の写真は手摘みした二番茶の茶葉に熱を加えて、殺青(さっせい)しました。
 

 上の写真の続きで、殺青した茶葉の手揉みを開始。
 

 下の写真は手揉みを終えて、完成した茶葉です。
 

 下の写真は出来上がった緑茶です。
 

 茶葉の量が限られていたことから、僕の他には5人に試飲していただきました。

 以下は余談。
 安倍元首相が亡くなったことで、モリ・カケ・桜の疑惑が不問になってしまうのが残念でならない。奈良県警がしっかりと仕事(警備)をしていれば、結果は違っていたのだろう。政治家たちの「民主主義に対する~」といったコメントには上辺だけしか感じられない。疑惑が解明されず、コロナもまだ完全に終息していないのに、国葬はあり得ない。

vol.1062 メナード美術館「美術の森に生きるどうぶつたち」


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 5日の午後は小牧市にあるメナード美術館へ行き、「なつやすみ所蔵企画展 美術の森に生きるどうぶつたち」を見てきました。
 

 ワイヤーアート作家である水谷一子さんの作品も展示されていました。
 

 以下は余談。
 5日の午前中、第26回参議院議員通常選挙の期日前投票へ行きました。経済対策(景気対策)は言わずもがな、とりわけ少子化対策や雇用対策は2、30年前なら、いざ知らず、今さら手を尽くしても、もう手遅れ。この国がこのまま衰退の一途をたどるのは明白。

vol.1061 星合信令の狛犬 大乃伎神社


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 過日(2日)の午前中は名古屋市西区にある大乃伎神社を参拝して、本殿に祀られている陶芸家の星合信令が復元制作した狛犬像に会ってきました。
 下の写真は大乃伎神社の境内に植えられている菩提樹(ボダイジュ)で、名古屋市の文化財(天然記念物)に指定されています。
 

 1884(天保15)年に城内御殿奉公女中が寄進した狛犬像が破損していたことから、1966(昭和41)年に早稲田柳右衛門を通じて復元依頼を受けた星合信令が狛犬を制作して寄贈したとのこと。
 下の写真が狛犬像で、本殿に祀られていたことから、触れることができませんでした。
 
 

 衆議院議員の早稲田柳右エ門については、以前の更新(vol.846)でも触れましたが、瀬戸市の名誉市民で、瀬戸市民公園に銅像があります。

 以下は余談。
 同日(2日)の午前中は大乃伎神社を参拝後、清掃奉仕のボランティア活動に参加しました。